
☆青年は、この書物と一夜を共にする。D『檸檬』
丸善に行き、書籍の上に檸檬を一個置いて、街に出る・・・32歳という若さで肺病に陥り、夭折した梶井基次郎。私は、いまだに置いてきた檸檬のその後を考えてしまう。やはり、それは短絡、窮(きゅう)というやつなのか。
桜の樹の下には死体が埋まっている・・・Kの昇天では自殺者の心理を判然とさせようとする・・・冬の蝿に己自身を見出してしまった。
彼を指して、世の多くの先人達、その批評家群は、日本文学奇蹟のひと、と呼んだ。かの小林秀雄は梶井の『檸檬』を激賞したが、彼にはその後、幾ばくかの余生しかなかった。夭折ゆえに、未だに彼が読まれるのか!?、否、奇蹟の文学とはいかなるものか!?、私は梶井作もきちんといまだに読み継いではいるのですけれど、これまでけして人に勧めたことはない。何故ならば、梶井の感情をさらりと投げ出す小説手法は、私にはあまりにも柔らかすぎて、まどろっこしいから。けれど、時として私は梶井の作を紐解く。そこには、日本文学奇蹟のひとを探求する愉しみが、残されているのですから。激賞、されるには理由がある。まだまだ私には研鑽の時が、必要不可欠なのです、ね。
青年は、あの頃、枕辺にこの書を置いて、一夜を過ごしてみましたっけ。世界に名立たる日本文学。30もうんと過ぎた私は、いまだにその只中に居られる、のですね。