宴。さかもり。ここ何年かは全く飲まなくなって久しい。20代の後半頃までは、なにかというとさかもりで、知己にしている者の中に、楽曲家が居たものだから彼の爪弾くギターの音色に合わせて、よく歌わされたものである。歌心、という言葉もあって、幼い時分から父の影響か外国民謡、童謡にも親しんできたせいか、それらが講じてジャンルを問わず、歌も大変好んだ私は、酒の席での音楽は、殊更にこの身に滲みた。
私は書かずにはいられない性分なのですけれど、楽曲家は歌わずにはいられない性分らしく、中には自身の世界に震えてしまって泣き出す者さえ居た。
今から想い起せば、それら情景は私の青春の挽歌ともいうべきしろもので、とかくなあなあの付き合いしか求めぬ昨今の若者像では持ち得ないひと時を私にくれた、のだと想う。
そんな楽曲家の先輩のひとりは、私の拙作『爛熟』にモデルとして、もう既に登場しており、最終章に導くための重要な役割を担う立場に在る。その彼は、父の病いに際し古里に帰らなければならなくなった私に宴を催してくれたのですけれど、その席で彼はいくつか、私、個人の為だけに歌ってくれましたっけ。彼の爪弾く音色とその歌声にはやはり、この心根に響く哀感があった。友は、良いものです。歌はやはり、良いものです。
今を生きるのは過去があったから
わめきちらして未来を探した
それはなんて青春 白く震えた旅人に残る絆さ
たとえ遠く離れても僕は僕だよ
ただそばに 今はそばに
あざやかな朝日をあびて歩こう
すべての愛と過ちを道づれに
終わりのない青春 それを選んで絶望の波に飲まれても
ひたすら泳いでたどりつけば
また何か覚えるだろう
誰にでもある青春 いつか忘れて記憶の中で死んでしまっても
あの日僕らが信じたもの
それはまぼろしじゃない
THE YELLOW MONKEY 『SO YOUNG』