
*青年は、この書物と一夜を共にする。I『シッダールタ』
ヘッセを語りましょう。シッダールタとは釈迦の出家以前の名。始め、内面への道、と題して編まれましたが、その後、長い年月ののち改題、なされた。ヘルマン・ヘッセ流求道者の道、すなわちその心根をまさぐりましょう、感性の赴くままに、とでも申しましょうか?、ヘッセなりに優しく文章を編んでおります。
或る時、シッダールタは、道端に転がる石を拾い上げ、弟子のひとりにこんなことを諭すわけですね。「以前の私ならば、この石は一個の石でしかない、と説いただろう。だが、今の私には、この石が一個の石どころか、ある動物に、いや人間にさえ、想えてくる。」10代の僕がこの一文にこだわったのです。ヘッセが言いたかったことの、在る一面がきっと、この一文にある、とあの頃、僕は感じました。求道者とはつまり、慈愛の精神、ひとつの事柄に耽溺することではなく、求道とはつまり森羅万象、この世の万物、その物者達への慈愛心、探求の道、だと。
迷った時は、まず深く瞼を閉じなさい。
そしてゆっくりと心を落ち着かせるのです。
見えてくるもの、
湧き上がってくる、魂の発露。
そこから拡がる世界、こそ求道という名の途。
ヘッセは、世界に多くの支持者を持ち、晩年まで豊かな精神を有した読み物を多数、編みました。海外文学の中でもけっして一元的ではなくそして卑屈に捻じ曲がったかのような文章でもないので、入り易いという観点もあげられましょう。一読に値する、書です。
青年は、この書物と一夜を共にする。僕が大学でドイツ文学を専攻したいなと、ひじょうにぐらついたのは、ヘッセの存在がやはりかなり大きかったからと、言えましょう、ね。畏敬の作家のひとり、です。
***この投稿は文芸探索サイト『綾』と連動、させました。***