
***亡き実父に。(過去投稿ブログサイト、記事拠り)
*青年は、この書物と一夜を共にする。M『種田山頭火詩集』
「分け入った先の聡明 」
私は実父に、多大な影響を受けた。黙しているか、怒っているか、浴びるように酒を飲んでいるか、殴っているか、そして本を読んでいるか・・・そんな父だった。
我が父は、出世を望まぬひとだった。人を扱う立場に立ちたくないのだ、と幼き頃の私に、告げた。県下でも、有数の高校に、進学。けれど七人の子の次男であった父は、高校二年時、脳梗塞でふいに亡くなった祖父に成り代わって、当時、社会人になっていた長男の叔父と共に、家庭を支えねばならず、中退。「本当は、最高学府に進み、国文学及び民俗学の学問を学びたかった」それが、記憶にある、父のある時の嘆き。中退した父は、駅構内で、駅弁を配るバイトに勤しみ、そのとき受けた屈辱、本来ならば同級生の面々が、「やーい!やーい!」と駅弁を配る父をはやしたて、「あのときこそ悔しい想いをしたことは無かった」そうである。息子である私が、実父の自慢話をしても哂われるだけだろうけれど、叔父・叔母の話しによれば、父は小学生時より高校を中退するときまで、恒に学一、つまり学力が校内一だった、と言う。それも核家族化が進んだいまどきの学級編成と違い、一学年、何十クラスもある時代での校内一で、いまでこそ末は博士か、大臣か?などと言って、誰でもが成れる時代になったが、当時はそう呼ばれるのは、ほんの少数で、その一人だったのだと言う。それほど聡明な父も、結局、酒で身をやつし、寂しい人生を歩んだ。その酒が祟り、この五年、病床の身にある。
そんな父が、最も好んだ詩人が、山頭火だった。
種田山頭火は、自身の中に有る「どうしようもない私」に目覚め、肯定し、ならばそんな自分を見つめ直そうと、四十を半ばに、各地を遍路したひとである。行脚の先々で、歩を止め、想うことを紙片に書き留めた。そうして、行き着いた胸中は「どうしようもない私が歩いている」ただ、それだけ、だ。「分け入っても分け入っても山の中」有名な詩句だ。けれど、実際に、その歩で山に分け入ったことがある人でないと呟けない、固有の逼迫感がある。その、読み手にこれでもかというほどに迫ってくる逼迫感は、私なんぞには圧倒されかねない感覚を有しており、まさに脅威的でさえ、ある。
だからといって、私は山頭火が、最も偉いひとなのだと、高飛車な概念を振り回す気は、毛頭無い。生活に疲れた主婦が、台所で蹲り、ふと洩らす「・・・いっそ死んでしまいたい」そこにも、しっかりと高明な哲学は有る、と想う。言い換えれば、山頭火は現実を逃避した人物であり、けれど愚痴をこぼし、ぐたぐたいきまいている人物よりかは、そんな「どうしようもない私」の中の宇宙を探しに、行脚の旅に出た分だけ、高明であろうと想う。よって、私にとって、山頭火は現実から、実は逃げたのではなく、現実の私が知りたくて旅に出た、のだ。ほんとうの私自身を探す旅に。そして得た境地が、ほんとうの私も、やはり「どうしようもない私」だっただけで、ある。多くの年配の方々が、山頭火に魅了される、その背景には、この、なかなか想うように自分探しの行脚遍路に出れない、そのことに対する憧憬も多分にあろうかと、想われる。口にこそ出さないひとでも、やはりどこか、皆、一様に生活に疲れ、厭いているのだ、とも。しかし、口にこそ出さずとも煩悶懊悩するさまには、実はそこに深い哲学が隠れているはずで、この到達感を日々の糧にできようならば、なんと素晴らしきことだろうか?、けれど言うは易し。なかなか、私も想うようにはいかない。留まることも、また是、なのであろうのに。
我が父の、これまでを想うとき、実の子としてはがゆい想いにしばしば囚われる時がある。恥ずかしき話しを繰言のように申すようで、口はばったいけれど、私なんぞが逆立ちしても歯が立たぬほどの聡明な父が、と想うとき、私は子として嘆いてしまう。
いまや、世の中には、さもあらんことをまくし立てる輩が、白狐している。私も、そのひとりだろうけれど、少なくとも、分け入った先の「どうしようもない私」である山頭火の嘆きと、駅弁を配り、その影で悔し泪をみせた、若き日の父の呟きは、同類に想える。息子として、そんな父に育てられたことを、誇りに感じる。「父さん、長生きしてな!」そして父が、その尊さを教えてくれた、山頭火の歩みに、心から敬意を称したい。
青年は、山頭火の詩集に歩み寄る。それは「あの時の父に歩み寄る」ことなのでしょうね。