ただただ僕に出来ることは、その冥福を祈るばかり。あの頃から、早、十数年、幾年。僕は日常の煩瑣な出来事から逃れようとするかのように今日も本を開く。今はその文章にひとり、泪することは無いけれど、このこころ沈みたる想いは、ただただ真摯に生きよう、と。じっとその本を読む。僕にはこの世界が残されている。いまだに満たされている。かつてその世界の住人だった彼女。その霊前にそっと花を手向けた。・・・・・・
*「風友仁のささやかなる文芸批評・その6 」拠り。
『文学雑感』以下の文章は、文芸批評と大層に謳っておりますが、ほんとうにただの雑感です。そのおつもりでお読みいただけるならば、幸いです。お読みいただいて、もしも気を悪くされるようなら、先に謝っておきたい、「ほんとうにすみません」と。そんな気持ちを、私におこさせる文章の羅列です。
また川端康成先生のお作『雪国』を読んでみたくなり、先ほど読み終えたところです。私は身辺、嫌なことや、どうしてもこの心が晴れないとき、そんな葛藤を自身で処理しかねるとき、決まって川端先生の作を読む、習癖があります。不思議と、心が落ち着くんですよ。これは言葉では言い表しがたい性質のようなもの、といいましょうか、だんだん、この心が晴れてくる。たとえば、私のうんと遠い祖先と、もしや川端先生の祖先が、何か深い契りで結ばれた関係だったのでは、とかそういった多分有り得ない性質のもの、感覚というやつでしょうか。私の範囲、この心根のけっして及ばない範囲での関係、とでも申しましょうか?、川端文学は、本当に、私にとっては大切な心の拠り所なのでした。
文学は、わけてもその奥は深いです。幼い頃の私みたいに、ある文章だけを読んで、憧れ、文筆の世界に、たとえその末端であろうとも、足を踏み込むことになったり、或いは文学をその根底に置き、違うジャンルで活躍されている方も、多数いらっしゃる。さまざまな場面で、それら文学特有の世界観は活用され、そして生かされている。文学に毒を盛られて、その命を絶つひとまでいます。そういう意味では、非常に底が見えているのに実際底なし沼みたいな、得体の知れない怪物、世界です。
文学世界は限りが無いです。追えば追うほど見えなくなるときがある。私の、23の歳の夏、知り合った女性は、熱狂的な太宰の信者でした(ごめんよ、・・・ちゃん、君のことを公にするよ)。桜桃忌にもふたり、連れ立ち、何をするにしても一緒だった彼女。渋谷の道玄坂を、よく闊歩し、彼女との想い出は愉しかった出来事ばかり。けれど、ふとある日から音信不通になり、彼女が亡くなっていたと知ったのは、彼女の命日から数えて二月たったのちでした。私は故郷で、その報を知り、涙しました。(その頃、私は身体を壊して故郷に静養みたいな感覚で帰っておりました。)その死亡原因は、自殺でした。「私はできるだけ、早く死にたい。清らかなままで死んでいきたい。生きていけばいくほど、どんどん汚れていく私。」そんな言葉が、いつもの口癖で、私はいつも諌めていたのですけれどね・・・・・・。彼女のことは、私の身内すら知らない出来事だろうに、何故、私はそんな重大事を、ついに公しようと想ったのか???・・・・・私にも解りません。あれから、もうもう幾年。
あれから幾年、何十年も立っているのに彼女のことは、忘れられないでいます。恋人という感覚は当時、私には無かった。気の合う愛しい妹、という感じ。私の影響で「嫌いだ!嫌いだ!」と言っていた川端作品を読むようになり、「凄い!凄い!」とキャッキャッはねていた彼女。文学のこんちくしょう!太宰のこんちくしょう!と心の底から想ったのは、彼女の死を知ったときだけ。そして彼女を想い出すときだけ。・・・・・・・・
私は、このあと、また今度は『伊豆の踊り子』あたりを読もうと想います。文学は人生と似たり。考えれば考えるほど、深く、そして私にとって大いなる存在で、多分、今後も死ぬまで追い続けることでしょう。それは、私の半人生で私を応援してくれる、或いはしてくれた人たちへの、ほんのご恩返し。
ええ、くじけるものですか!!、私はいま自分に向かって、そうどなっております。