
*青年は、この書物と一夜を共にする。O『太陽の季節』
昭和30年、第1回「文学界新人賞」受賞作。翌年、第34回「芥川賞」受賞作。受賞時、史上最年少受賞者。
当時の文壇を分かつほどの問題作であり、なにゆえかと申せば、しばしば取り上げられる「障子破り」等に代表される過激な性描写に対する好悪の感情が、ときの文学者達のまさしく文学観をひどく揺さぶったからに他ならないからでしょう。選者・佐藤春夫は「この作を受賞させると言うのならば、私は以後、選者を降りる」みたいなことを言い、実際、後日、けちょんけちょんに貶す文章を起こしました。選ぶ方も真剣そのもの、選ぶ作によって揺らぐほどの文学観でも無かろう、とある識者は佐藤春夫の功績を重んじ揶揄されてもおりますが、時代がまた今とは違った意味で混沌としている状況にあって文壇もまた平静を装える時代ではなかったのだろうな、と想えます。
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夏に入る前、葉山にあったサマーハウスの準備にやってきた英子が、ついでに逗子の竜哉の家を訪れた時、彼は英子をヨットに誘った。夕方舟から上った彼女が、もう東京に帰るのは面倒だから今夜は葉山に泊ると言うので、彼は英子を自宅に連れ戻すと一緒に食事を取り風呂をすすめた。湯上りの彼女を庭に建てられた自分の離れに案内し、
「僕もやっぱり風呂に入って来らあ。悪いけど一寸待ってて。どうせ今夜は良いんだろ」
(中略)
風呂から出て体一杯に水を浴びながら竜哉は、この時始めて英子に対する心を決めた。裸の上半身にタオルをかけ、離れに上ると彼は障子の外から声を掛けた。
「英子さん」
部屋の英子がこちらを向いた気配に、彼は勃○した陰○を外から障子に突きたてた。障子は乾いた音をたてて破れ、それを見た英子は読んでいた本を力一杯障子にぶつけたのだ。本は見事、的に当って畳に落ちた。
その瞬間、竜哉は体中が引き締まるような快感を感じた。彼は今、リングで感じるあのギラギラした、抵抗される人間の喜びを味わったのだ。
彼はそのまま障子を明けて中に入った。(以下省略)
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以後、石原慎太郎、氏は、『亀裂』『行為と死』『化石の森』等、人間の根底に根ざす物、愛欲だとか物欲、名声欲だとか、その存在をも題材に抽出し佳作を発表なされているが、実際、いまや氏が文学者としての顔を覗かせるときと申せば、それこそ文学賞の選者としての辛らつな咆哮文とも言うべき場、くらいのものでしょうか。現東京都知事でもあり、政治家としての顔がふんだんに色濃く、さる識者に拠れば「文学の限界を感じ、彼は政界に転じたのだ」とされる。
文学はしばしば『個の芸術』と表記、され、それは揶揄すれば、一個人の内面から一歩も外に出ない、まさに自慰行為の何物でもない、と糾弾されやすい特筆を持つ、ということであり、もしも氏が、この観念に囚われてしまったのだとするならば、個、ではない、明らかに建前上は民、を相手にせねばならぬ政治家としての職種の方が魅力的に見えたことに、なる。
私は、ご本人にお逢いしたことはありません。氏、自らでもない為、その精神は察せようもないのですが、
恒に他者の中にあって自身が脅かされている、そのことを立地点に自身の内面をより良く掘り起こそうと努めるならばそこにはもう、他者も個もないはずだ、と想って生きている私としては、政治の世界よりも文学の世界の方が、より私にはふさわしい、ように想えます。もうこれ以上煩瑣な会話、会談、それらに伴う窮屈な日常は要りません。誤解を畏れず申しますれば、私は今一辺、私に潜りたいと思考、するのみです。
青年は、この書物と一夜を共にする。『太陽の季節』は、私に私を感じさせてくれる、やはり良書でした。