*旧サイトブログ記事、拠り。
私事ながら、ひとつの仕事場を離れることになりました。未だ人生修行中の身の私にとって、こういった、いわば節目節目の物事に対し、まして達観などできないのですが、やはりどこか感慨はあって、けれどまた「これも人生だ」などとうそぶいてもしまうわけです。
仲間のひとりが、私に言いました。「是非、送別会をしましょう」「いや、俺はそういうのは好きじゃないから」。と言いますのも、私はかなりの泣き上戸で、酒が入ると少しの事で涙したりする。だから送る会だとか、そういった催しは今まで極力遠慮してきました。
人によってはしばしの別れかもしれない。けれど中には随分長い間、御逢いしない人が居るかもしれない。私も30後半で、今まで多くの人々との出逢いを繰り返して参りましたが、いや、やはり別れというものはいつだってつらいものです。
そんな時、よく思い出した言葉が、井伏鱒二氏訳するところの「歓酒」、有名な唐の時代の干武陵が作った五言絶句、
勧君金屈巵 満酌不須辞 花発多風雨 人生足別離
<この杯を受けてくれ どうぞなみなみ注がしておくれ 花に嵐のたとえもあるぞ さよならだけが人生だ>
結局、人は出逢い別れを繰り返し生きているわけです。「一期一会」という言葉がありますよね。さらりと別れられる場合もあれば、どろどろとした激情を伴った別れもある。どんな別れ方をするにしても、最初は必ず出逢うわけで、もしかしたらこの人とは、この一度っきりの出逢いかもしれないと想えれば、おのずと接し方も違ってくる。「花に嵐のたとえもあるさ」いい言葉です。一輪の花、その花びらが散るとき、ひとつひとつゆっくりと散ってゆく場合もあれば、それこそ嵐が吹いて、あっというまに吹き飛んでしまうかもしれない。様々な出逢いかたがあるように、突然、想いも寄らぬ出来事で離れ離れに陥る別れかたもある。だからこそ、示唆的に人との出逢いは大切なのですよと詠うこの漢詩は、とても感慨深いものだと想えます。
私が27・8歳でしたか、或る劇団の団員と仲良くなって、そこの座長さんから、戯曲依頼を受けました。いろいろとコンセプトは聞かされたのですが、私がなんとか書き上げた、その戯曲には、この井伏氏訳する処の「花に嵐のたとえもあるぞ」が台詞として入っていました。現代劇で男女の別れを主軸に、最後、それこそ劇的に再会する場面で用いたと想いますが、私の書くものでハッピーエンドに終わったものは、この一作だけでした。なぜアンハッピーを好むのかといえば、長くなりますのでまたの機会に譲りますが、それにしても「さよならだけが人生だ」とはかなりさみしい気もします。けれど、翻ってだからこそ出逢いが大事なのですよと、私なりに解釈しているこの漢詩は、未だに私にとって魅力的な詩だと想えます。
話しはかなり逸脱したようですが、これまでの人生で、かなり人の好き嫌いが激しい私にとって、ある意味、この漢詩は教訓的とも言えるものでしょうね。昔の人は、たとえ違う国の人であったとしても、いい言葉を編みますよ。・・・感嘆。溜息が出る、私の好きな言葉です。