
*青年は、この書物と一夜を共にする。P『金閣焼亡』
小林秀雄「金閣焼亡」について
古い文献をまさぐっていたところ、かの世に「考えるヒント」「無常といふ事」で名高き、小林秀雄の評論集が出てきました。しばし、黙読。すると、興味深い評論作が。三島が「金閣寺」を上梓する以前、書かれた「金閣焼亡」という論文。そこには、すでに今から60年以上も前に、現代の狂気とも言うべき有りようを、示唆した文章がしたためてありました。以下は、その文章の抜粋とともに、私なりに想う感慨です。
金閣寺焼失事件は、実際に若き寺僧が起こした事件です。犯行の「動機は、美に対する反感にあった」「悲しい哉、現代は狂人に満ちている」犯人は「意思を病んでおり」「人間を、まず信じないことを欲している」犯人の性格を鑑み、そこから(当時の)現代において、常識とされている事柄に疑問を投げかけ、「金閣放火事件は、現代における、まことに象徴的な事件」ですと結んでいる。
私が着目した文章は、その小林氏が自ら、その春、訪れた金閣寺での境内風景。「境内は、何ひとつ変わっていなかったが、見物の方には、新風俗が見られた。青ゴケを踏みにじり、女を追う紳士。赤松によじ登り、下のカメラにポーズする女性。石を拾い、池に向かって、ピッチングの練習の如きものをする学生。鹿苑寺の番人達は、声を嗄らして怒号するが、衆寡敵せぬ有様で、誠に見るに忍びなく」
金閣という建造物を前にしての、境内。氏が、新風俗と評した一群は、まさに、この現代の社会の縮図。そこから、また古い建造物を燃やす輩が現れてもおかしくないし、ましてや人殺しの殺戮を起こす者が現れてもおかしくはない。いつの時代でも、そういう輩は居るものだ、と言ってしまえば元も子もないけれど、人が育っていく環境にあって、いにしえの物や、荘厳なるものに対する、尊ぶべき精神は、境内の彼らからは微塵も感じられない。ましてだいの大人であろうのに。
現代は狂気と「狂人に満ちている」。この一文は、きっとそんな境内の一群を指して、発せられたものであろうと想う。
時代を経て、平成の世になり、今では毎日のように、顔を背けたくなるようなニュースが後を絶たない。氏が、もし存命ならば、今の日本に対し、どんな文章を編まれるだろう。「境内」という単語がもしや「日本」という固有名詞に変更されていたら・・・・。いや、それだけは勘弁願いたき、我が一存ではあるけれど・・・・。