
「作家の作品とはそれすべてを遺書と見ていいのではないだろうか」実業之日本社刊『三島由紀夫が死んだ日』瀬戸内寂聴氏、寄稿文拠り。なんと衒いの無い、真摯で優しみの篭った言葉であろうかと、想います。三島との邂逅の日々を語られ、畏怖しつつ、畏敬の眼差しと共に三島のときに傍におられた方。それ全てが遺書であるとするならば、やはり心してかからねば文学は死にます。哂われます。さげずまれます。翻って僕の書く物はどう、だろう?・・・・・・はかない。読み返す度に陳腐だなあと口惜しい。それでも声援を送ってくださる方がおられる。ほんとに有り難い。
三島は1970年、昭和45年11月25日に死んだ。僕はその時、4歳で、無論、三島のよすがすら知らない。後年、堆く積もった父の書斎で、その名を知り、ある時むさぼるように読んだ。僕は渾身、逢ってみたくなった。だが、そんな思春期の僕の歳には、逢いたい、そうしてひとことで良い、意見を得たいと想った作家達は、みな死んでしまっていてこの世に居なかった。感情流布な、けれどこの意識を抉るかのような人間の悲哀を描いた芥川、美しく、けれどそこに人工美という感覚をその一等の文体とした川端、心の綾を流暢にさも平易に切り取ってみせた太宰、そうして文士としての苛烈さを時に華麗に時にグレーに様々へんげして投げかけてくれた三島・・・・。
ある有識者は、こうも言っている。「三島が日本の文学思想を、世界に喧伝してくれたお陰で、後発の作家は随分助かった。なにしろ、自分を切り盛りしないでよいのだからね」
さる欧米くんだりで、日本人で最もあなたが影響を受けた人物は?という問いに未だに三島の名が第1位に推されることが多い、という事実。僕は三島の書くものや人間として演じた事柄に対して、批判的な記事をも随分読み聞き、してきましたけれど、いまだにどこかその説に一切合切納得できかねる自分がある、ことも重々承知しております。
無論、無論、三島の書いたものがこの世で最も気高き書、とは申しません。けれど、この作家、素通りなさるには余りにも頑是無いお方、だと僕は想っております。「作家の作品とはそれすべてを遺書と見ていいのではないだろうか」そう、言わしめるものを書いた作家、なのです、ね。