日常のとある最中、突然、閃く言葉がある。神のご宣託なのか、或いはあまりに良いものを書きたいとの普段の妄執から起こる、邪な神の悪戯なのか。だが、いざ想いついてパソコンに向かい書き留めようとしても、その言葉が出ない。困った。やはりつれない閃き、だったのかと悔やむ。在る頃、こういうことがしばしばありまして、いつのころからか僕は自身の居場所、すなわち寝室、居間、床の間等、様々な場所にノートとペンを置く癖がついてしまいました。だからといって、突如、生まれる言葉は自宅、ばかりとは限りませぬけれど。一体、思索とはなんだろう?、自身の今を知る手がかりか、さてのんぺんたらりんとは生きられないのが、僕の悲しき性、なのでした。
僕は大抵、物語を編もうとするとき、最終章を先に想いついて、そこに至るプロセスを鑑み、ある程度、自分なりに展開を固めたあと、肉付けしていく、といった書き方なのですが、これらほとんどノートみたいなものに書き込みません。自身の頭の中で組み立てます。断片的な文章のみ、あちこちのノートにさらっと書き込んでおくばかり。というのが僕は、けっして思索でうんうんうなったあとにある言葉がうまれるといったタイプ、性格ではないと自身で自身をもう、この歳、知ってしまっているから。我慢強いタイプでは無い僕が為、文章を編む際、ひとつところで留まっていると厭きるというか、精神くたくたになってひどくつかれてしまうので、そういう自分を悟る、ことがもっとも嫌なものですから、僕は、パソコンに向かって、「さあ、書くぞ」と思い立ってバババと一気に書き込むほうが僕、らしいと想うし、不思議とそちらの方がうんうんうなって書き込んだものよりも、評判がいいという事実、もあるのですね。
思索的な事柄も、普段からいざパソコンに向かったとき、すぐ書き込めるように、恒にどこか起きているときは考え込んでいる節がある、みたいな僕なのですが、だからといって自分をがむしゃらに追い込んだりはしません。ここのところは、あまりがむしゃらに追い込むと、まあ、黄泉の方のお迎えがきそうな為、ほどないところで止める。ほんに悲しき性、僕なりの執念で書いてはいるのですが、やはりなのに読み返すと、「ああああ」と溜息ばかりが出るのは、何故?、きょうもきょうとてそんな一日の始まり、です。