種田山頭火は、自身の足で歩いて歩いて詩文を綴った。だから僕の好きな詩人のひとりです。ふつふつと湧き上がってきた想いを歌にした。だから、死して幾年経ってもひとのこころを撃つ。僕が好む世界観、です。けれど僕は歩いているかな・・・?、悲しいかな、どこか逃げ道ばかり探そうとしているような・・・?、弱き心根。分け入っても分け入っても山の中。有名な詩句に想いは馳せる。我が古里に分け入った際の詩句が、山頭火の詩集に編まれており、ひとりごちしたのはいつのことであったろう。「山頭火はいいぞ。」ある時、父が僕にその詩集を手渡した。その日から、僕は中也と山頭火の狭間でぐらんぐらんと揺れてきた。この現実に目を背けず、市井の者として詩を編む。いや、この現実に目を背けない為にも分け入る必要が、ある。僕は詩が好きだ。朔太郎は、詩情を理屈で推し量ろうとした。犀星は、ただあられもなく泣かんばかりの感情を詩句に託した。山頭火はただひとり、群れを離れて己を知ろうとした。中也は僕に慰めと優しみを与えてくれたひと。みーんなみんな、そう、僕とおんなじ日本人なのですね。