2008/11/17

若き詩人たちの肖像・雑感  

先日、堀田善衛著「若き詩人たちの肖像」を読んだ、と書いた。

神奈川文学館で開催されている「堀田善衛展」に刺激されて、読もうと思った。40年来の課題でもあった。

ちゃんとした感想でなく、いつものようにバラバラな思いつきの連想話。

まぁ、とにかく異様に面白い小説。電車で読みふけって下車駅を乗り過ごした。

本を読んでいて乗り過ごしたことは数回ある。

初めて電車を乗り過ごしたのは高校生の時。電車通学自体が高校生になってからだから、初めてなのは当たり前。

その時は「堀辰雄」を読んでいた。「風立ちぬ」と「曠野」だったと思う。

堀辰雄は「若き詩人・・・」では「成宗の先生」で出てくる。先生のそばにいる「遠いい少年」は「立原道造」だろうか。

若き詩人たちはみなニックネームで登場するが、加藤周一、芥川比呂志、白井浩司、加藤道夫(彼は早世)、中村真一郎、田村隆一、鮎川信夫とか、その活躍した時代を知っている。

博学のドクトル=加藤周一さんは朝日新聞夕刊に「夕陽妄語」連載している。休みになったりすると、体調がお悪いのだろうか?と心配になる。筑紫哲也さんを「座標軸」だったと言った方がいるが、私にとっては加藤さんが座標軸とも言える。

加藤さんは、日米開戦を聞いて、「これで日本の美しいものは見られなくなる」と「文楽」を見に行った、という話を聞いたことがある。

この小説でも「ジャズ」が禁止されることになり、最後に皆でジャズを聴く会を催している。

そう、戦前を美化する動きがあるけど、とんでもないことだ。

野球の英語は禁止。この時「ストライク」は「よし」等と言い換えたが、これは堀田さんと従兄弟で考えたものが採用されたそうだ。

「超現実主義の美術や文学」も禁止。「少女歌劇」も禁止。「短歌」も「俳句」も難癖をつけて発禁。「札幌の同人誌『エルム(楡の木)』は『E』がエンゲルス、『L』はレーニン、『M』はマルクスの頭文字だから、検挙」

徴兵・入営前の、作者たちが集っていた「新橋サロン」について、

「(略)戦争へ戦争へと吹いていく時代のなかにあって、これはいわば一種の吹き溜まりのようなものかもしれない、と若者は考えていた。(略)彼らは自分たちのための、自分たちだけの吹き溜まりを自らつくろうと努力もしている。

彼らが相互に見せている、一種異様なほどのやさしさと深切さは、その努力のあらわれででもあるのであろう。それは一種の防衛努力というふうに、若者には見えていたのだったが。

またこれを逆に言えば、風が次第に烈しくなって来るからこそ、彼らは懸命に勉強をし、明日を思い患う心を、つとめて読書や作詩のなかに捩じ込んでいるのだ、とも言えるのであろう。

そうしてようやく自由に使うことの出来るようになった語学力によって、西方の文学を、残された日々を指折り数えるようにして、まことに貪欲に、(略)古典も現代もずんずんと読み進めて(略)」

この痛切な文章を読んだ時、そして、低劣な「論文」とも言えぬ恥ずかしい文章を発表して、その無知蒙昧にも気づかぬ厚顔無恥な空将の顔を見る時、心の底からの怒りが湧き上がってくる。

澄江君=芥川川比呂志は言うまでもなく芥川龍之介の長男で俳優である。私は高校生の時、劇団雲「リア王」で彼を見た。

友人の家に泊めてもらって、浦和まで見に行った。芥川比呂志のリア王、3姉妹は平野朋子、加藤治子、結城美栄子だった。神山繁、高橋昌也、山崎努、有川博、三谷昇等が出ていた。今思えば豪華な顔ぶれだ。

劇が終わった時、観客席は拍手はするものの、ちょっと微妙な空気だった。劇的な盛り上がりというか陶酔感がなかった。つまり高校生の私にとっても、今ひとつと感じられた舞台だった。

この本で、作者が芥川家を訪れた時、見事なバイオリンが聞えてくる場面がある。弾いていたのはもちろん芥川也寸志氏だ

芥川也寸志さんは私が子どもの頃、楽団を率いて田舎の町にも来てくれた。学校や工場の体育館で、クラッシック音楽を演奏した。私にとって初めての西洋音楽だった。芥川也寸志さんは洗練された素敵な紳士だった。

長くなったので、今日は終り。
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