2008/11/18
若き詩人たちの肖像雑感2 本
昨日、とりとめもない感想を書いたが、今日もまたその続き。
この本は上下2巻だ。私にとっては、どちらかというと上巻の方が面白い。
下巻は戦局が厳しくなり、段々息苦しくなる。すべての面で締め付けが厳しくなり、人々の自由が奪われていく。思想犯の検挙が相次ぎ、目を覆うような拷問が行われる。
若者たちは徴兵され、大学から、集いの場から、一人また一人といなくなる。まさに
And then there were none.
かくて誰もいなくなった。(アガサ・クリスティ)
上巻では、その巻頭に2.26事件が置かれていたにしても、まだ、社会に余裕が見られる。
特に、作者がまだ実家や金沢中学にいた頃の話は、どこか現実離れしている。
「山賊めいた山窩出身」と思われる女中の話。金沢の下宿先であるアメリカ人宣教師宅のヒステリー妻の話。鳥類図鑑に出てくるほとんどの鳥を飼い、おかしくなってしまった伯父の話。自由民権の闘士と面識のあった伯母の話。
東京に出てきても、下宿先の畳屋が妻を刺殺してしまったり、浅草のレビュウ小屋で臨時のピアノ弾きをしたり、そのまま北海道の興行についていったりする。一座の中にはその地その地で空き巣をして、必要物資を補っている者もいる。
どうも、私はこういう下世話な話が好きみたいだ。
朝鮮貴族の息子と知り合ったり、思想犯として留置場に入れられたり、めまぐるしい。
作者は多才。学費は、実家にあった骨董品を売り払って得る。骨董品に対する鑑識眼も確かだ。古道具屋店主に店で働かないかと言われる。
母親に筝を仕込まれていて、宣教師宅ではピアノを弾いた。東京に出てからはギターを習った。
宣教師宅では英語以外は使用禁止だったから英語はマスター。英語以外の洋書は日本語訳より英語訳の本の方が分かりやすいと、英語で読む。
大学ではドイツ語を学んでいたが、ナチスのゲッペルスの激烈なアジ演説を聞いて、ドイツ語がすっかり嫌になってしまう。
同じ時聴いたリシュエンヌ・ボアンヌ「パルレ・モア・ダムール(私に聞かせてよ、愛の言葉を)」でフランス語に魅せられる。そして、とうとう法学部を辞めて、文学部フランス語学科に編入してしまうのだ。
とにかく、こういう文化的素養の基礎は、200年続いた廻船問屋の文化的蓄積の上にある。
昭和初年にあって、父親は英字新聞を読んでいる。伯母は明治6年生まれながら英語を話す。
廻船問屋には世界各地の商船がやってくる。外国を直に知っている。
また、江戸時代から俳諧師や能楽師、絵師、道具屋、筝の師匠等が長逗留する。自然と家に物的、精神的な遺産が残されていく。
この人々は、戦争へ突き進む世相を冷静に見ている。小泉信三(慶大塾長)と同窓だった父親は「アメリカの経済や軍事力を一番よく知りながら、そのことを一言も言わず軍や宮中におもねっている侫臣」と小泉を非難していた。そして、この戦争は負けると判断していた。
自分は35歳まで生きることがあるだろうか、と考える青春。
友が思想犯として留置場で死ぬ。従兄弟が入営して数ヶ月で(たぶんリンチのため)死ぬ。文学を語り合った仲間が戦死する。
そういう中で、残された日々を指折り数えながら、古今の文学哲学の書を必死で読み込んで行く彼ら。
戦前の知識青年達の物語は、いくつか読んでいるが、いつも思う。私達は彼らほどの重みをもって、世の中を見ているか、古今東西の書に向きあっているか、と。
やっぱり、一人一人が広い視野と深い考察を持たなければ、この世に不幸をもたらす。そのためにはもっと本を読まないとだめだね。
そして、私の永遠の課題とあこがれ。原書で本が読めたらいいなぁ。
11/19追記
私は初めて知ったのだが、平田篤胤のこと。
主人公は「そのために死ねる日本とは何であるか」を求める。国学」特に「平田篤胤」を読む。そして、平田篤胤は儒教仏教を排した日本古来の神道を作り上げんと、キリスト教や西洋天文学を援用していると知る。
え〜!と驚いてしまった。が、これは夫に聞くと結構有名な話だそうだ。小説の中でもそう言っていた。「村岡典嗣『平田篤胤の神学におけるヤソ教の影響』と言う研究論文もあるよ」。
純粋日本の学ということなっている「国学」が「毛唐紅毛の思想」を援用して作られているとは、なんとも拍子抜けの話だ。
「神道からの儒仏排除」というと、島崎藤村「夜明け前」を思い出す。木曽御嶽山に登った時の話だったと思う。神社の神仏混交の有様を主人公が「唐様に汚されている」と嘆くのだ。読んでいて、外国文化の影響を嫌悪することに奇異の念を持った。しかし、幕末期は復古神道の時代だったのだ。明治初年には廃仏毀釈の激しい文化破壊も行われた。
この本で感じることのもう一つ。作者が大正生まれだから女性への視点が古い。この世代にしては十分進歩的だけれども、やっぱり限界がある。「それはないよ」と思う箇所がチラチラ。仕方ないことではある。
戦前は女性には選挙権がなかった。2級市民だった。その1点を持ってしても私は「戦後社会」を支持する。「戦後レジーム云々」なんてとんでもない。
この本は戦前戦後を考えるためにもお奨めします。
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この本は上下2巻だ。私にとっては、どちらかというと上巻の方が面白い。
下巻は戦局が厳しくなり、段々息苦しくなる。すべての面で締め付けが厳しくなり、人々の自由が奪われていく。思想犯の検挙が相次ぎ、目を覆うような拷問が行われる。
若者たちは徴兵され、大学から、集いの場から、一人また一人といなくなる。まさに
And then there were none.
かくて誰もいなくなった。(アガサ・クリスティ)
上巻では、その巻頭に2.26事件が置かれていたにしても、まだ、社会に余裕が見られる。
特に、作者がまだ実家や金沢中学にいた頃の話は、どこか現実離れしている。
「山賊めいた山窩出身」と思われる女中の話。金沢の下宿先であるアメリカ人宣教師宅のヒステリー妻の話。鳥類図鑑に出てくるほとんどの鳥を飼い、おかしくなってしまった伯父の話。自由民権の闘士と面識のあった伯母の話。
東京に出てきても、下宿先の畳屋が妻を刺殺してしまったり、浅草のレビュウ小屋で臨時のピアノ弾きをしたり、そのまま北海道の興行についていったりする。一座の中にはその地その地で空き巣をして、必要物資を補っている者もいる。
どうも、私はこういう下世話な話が好きみたいだ。
朝鮮貴族の息子と知り合ったり、思想犯として留置場に入れられたり、めまぐるしい。
作者は多才。学費は、実家にあった骨董品を売り払って得る。骨董品に対する鑑識眼も確かだ。古道具屋店主に店で働かないかと言われる。
母親に筝を仕込まれていて、宣教師宅ではピアノを弾いた。東京に出てからはギターを習った。
宣教師宅では英語以外は使用禁止だったから英語はマスター。英語以外の洋書は日本語訳より英語訳の本の方が分かりやすいと、英語で読む。
大学ではドイツ語を学んでいたが、ナチスのゲッペルスの激烈なアジ演説を聞いて、ドイツ語がすっかり嫌になってしまう。
同じ時聴いたリシュエンヌ・ボアンヌ「パルレ・モア・ダムール(私に聞かせてよ、愛の言葉を)」でフランス語に魅せられる。そして、とうとう法学部を辞めて、文学部フランス語学科に編入してしまうのだ。
とにかく、こういう文化的素養の基礎は、200年続いた廻船問屋の文化的蓄積の上にある。
昭和初年にあって、父親は英字新聞を読んでいる。伯母は明治6年生まれながら英語を話す。
廻船問屋には世界各地の商船がやってくる。外国を直に知っている。
また、江戸時代から俳諧師や能楽師、絵師、道具屋、筝の師匠等が長逗留する。自然と家に物的、精神的な遺産が残されていく。
この人々は、戦争へ突き進む世相を冷静に見ている。小泉信三(慶大塾長)と同窓だった父親は「アメリカの経済や軍事力を一番よく知りながら、そのことを一言も言わず軍や宮中におもねっている侫臣」と小泉を非難していた。そして、この戦争は負けると判断していた。
自分は35歳まで生きることがあるだろうか、と考える青春。
友が思想犯として留置場で死ぬ。従兄弟が入営して数ヶ月で(たぶんリンチのため)死ぬ。文学を語り合った仲間が戦死する。
そういう中で、残された日々を指折り数えながら、古今の文学哲学の書を必死で読み込んで行く彼ら。
戦前の知識青年達の物語は、いくつか読んでいるが、いつも思う。私達は彼らほどの重みをもって、世の中を見ているか、古今東西の書に向きあっているか、と。
やっぱり、一人一人が広い視野と深い考察を持たなければ、この世に不幸をもたらす。そのためにはもっと本を読まないとだめだね。
そして、私の永遠の課題とあこがれ。原書で本が読めたらいいなぁ。
11/19追記
私は初めて知ったのだが、平田篤胤のこと。
主人公は「そのために死ねる日本とは何であるか」を求める。国学」特に「平田篤胤」を読む。そして、平田篤胤は儒教仏教を排した日本古来の神道を作り上げんと、キリスト教や西洋天文学を援用していると知る。
え〜!と驚いてしまった。が、これは夫に聞くと結構有名な話だそうだ。小説の中でもそう言っていた。「村岡典嗣『平田篤胤の神学におけるヤソ教の影響』と言う研究論文もあるよ」。
純粋日本の学ということなっている「国学」が「毛唐紅毛の思想」を援用して作られているとは、なんとも拍子抜けの話だ。
「神道からの儒仏排除」というと、島崎藤村「夜明け前」を思い出す。木曽御嶽山に登った時の話だったと思う。神社の神仏混交の有様を主人公が「唐様に汚されている」と嘆くのだ。読んでいて、外国文化の影響を嫌悪することに奇異の念を持った。しかし、幕末期は復古神道の時代だったのだ。明治初年には廃仏毀釈の激しい文化破壊も行われた。
この本で感じることのもう一つ。作者が大正生まれだから女性への視点が古い。この世代にしては十分進歩的だけれども、やっぱり限界がある。「それはないよ」と思う箇所がチラチラ。仕方ないことではある。
戦前は女性には選挙権がなかった。2級市民だった。その1点を持ってしても私は「戦後社会」を支持する。「戦後レジーム云々」なんてとんでもない。
この本は戦前戦後を考えるためにもお奨めします。
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