2015/1/27

雨ですよ・・・。  

雨ですね・・・。


気候の変化がもたらす、これからの地球全体の影響は、どんなことが起こっていくのでしょうか。
南国で採れていた果物や農産物、魚介類が北海道で採れるようになったりなどに変化が起こってくるでしょうか。

災害はどうでしょう。
ゲリラ豪雨や熱波など、これまでの北海道ではあり得なかったことが起こってくるかもしれませんね。


プラスもマイナス、備えをすることがとても大事です。
先入観の排除や発想の転換などが必要となってくるかもしれません。

本州で盛んだったモノが北海道で盛んになるかもしれない。試験的な栽培を始めたり、採れる魚種による設備の変更など、後押しの準備をしておく想定は持つ必要があります。
そこを、プラスに考えられるかどうか。

災害は、より慎重に本州の例やデータを集積したり、分析したり、河川の状況や土砂、高波や波浪の影響など関係機関と連絡を密にしていく必要がありますよね。


ともかく、10年、20年先の天候の変化はそう簡単に予測することは専門家ではないので、無理があるけど、準備するという概念は今から持っていくことに越したことがないだろうなと最近つくづく感じます。


今日の、この雨・・・。
10年前と比べても何だか、おかしな感じですよね。
不気味だな。

今日も街頭演説予定していましたが、いきなり朝からくじかれました^^;
今日は、印刷物や提出書類などの作成など事務作業になりそうです。
3

2015/1/26

読み聞かせボランティアから  

さて、本日は古丹別小学校に読み聞かせボランティアに出かけてきました。
今年の読み聞かせボランティアは残り2回・・・
名残惜しいですが、子どもたちの成長の糧になるように努めたいです。


今年度は、とままえゲンギッズ・ふくしまキッズなど子どもたちとの触れ合いを多くさせていただきました。私よりもずっと若い産業従事者の方々の頑張りも見ることができましたし、一緒に活動ができて交流が深まっていく実感がありました。
私もUターン後、色々な仕掛けをしながらまちづくりに精を出してきた当時を思い起こします。

時代は受け継がれ、20代の若い青年たち、そして今の子供たちへ
大人の一生懸命な姿を見て、子どもたちは何かを感じ、時代時代を生きて欲しいなと思うと同時に、その責任を強く感じます。

フェイスブックに投稿した内容ですが、昨日、嬉しいことがありました。



昨日の日曜日は、苫前地区と力昼地区で街頭演説行い、初めて力昼地区の街頭に立たせて頂きました!


苫前地区では、郵便局・セイコーマートの国道角で行いました!
沿道を行き交う皆さんが、車中から手を振ってくれたり、わざわざ窓開けて激励下さったりありがたかったです!


また、軽自動車に乗った金髪の若い今風の男女4人が『なんかしゃべってるよ』と言いながらセイコーマートに入って行きました。

ちょっと恥ずかしいな^_^;とか思いましたが、出てきた4人のうちの1人のお姉さんが、立ち止まって時間にしたら30秒程だと思いますが、聞いてくれています。
そして、その後みんなで店を後にするとき、みんなで「頑張って!」と激励してくれました‼︎車の窓あけて手を振っていってくれました!

最高に嬉しい出来事です。
苫前の方か、どこの町の方か関係ありません!少しでも、自ら自分たちの町のことを思い、小さくてもやれることをやっていってくれると良いなと胸にこみあげながらお話いたしました。


2

2015/1/22

古きから学ぶこと。  

毎年、5月の古丹別移住記念祭に行った時に、当時の入植、開拓の話を聞くことが楽しみで参列していました。郷土史研究会のメンバーとしても、大切な行事です。


かれこれ10年以上通っていますが、実は今、開拓当時の情景を思い浮かべ、想像しながら偲ぶお話しを伺うことが厳しくなっています。それは、当時を知る方が少なく参拝者もごくごくわずかです。先日、三渓地区へご挨拶に伺った際、雪がいっぱいでしたが三渓神社前に建立されている羆害慰霊碑の前に行き、先人に敬意を表してきました。


私は、この数年、町史の執筆や編纂作業に携わり、全く想像ができない長く厳しい開拓の歴史の中にあった苫前町の歴史に触れ、後世に伝えるべき大事な精神を学ぶことができたことは、とても貴重でありました。


そもそも苫前町とはどういう町でしょうか。


はるか数千年も昔の縄文時代から先住民が暮らし、豊かな資源があり、1600年代には交易がなされ、早くから運上屋が設置されていたなど浜や港、河口を中心に栄えてきた町です。そして明治の開拓により、山間深くまで開拓の鍬が入り、これまでの労苦を思うと私たちは大きな偉業のもとに繁栄させていただいてるという感謝がいつも込みあげます。


昭和、戦後の復興から高度経済成長、バブル期、デフレ不況とめまぐるしく変化してきたこの国日本。強く強靭な国創りの陰に、忘れてはいけない精神、心はどうであったか。これからは、成熟された社会において、全くちがった視点や物の見方で、田舎の在り方を確立していかなくてはいけません。


細かくは書きませんが、身の丈にあった町政運営をするという意識と時代に即したまちづくりに努めなくてはいけない一方で、苫前町という良い意味での特異的な(地理的・産業構造など)町をどう運営していくかというビジョン。

例えば、皆さんの関心ごとの高い、教育(学校耐震対策)をケースに考えてみましょう。


冒頭に申し上げた通り、苫前町は古くから漁業や交易で栄えた苫前地区と開拓により農耕を中心に山と生きた林業や炭鉱など苫前地区とは産業形態も風土も違う古丹別地区と同じ町でありながら、中心の市街地が形成されています。

これは、今もそう変わりありません。
以前は各集落ごとに小学校があり、商店なども存在していました。学校の統廃合が進み、近くは三渓、力昼にも小学校がありましたが、現在苫前、古丹別と2つに集約されました。

競争社会の中においては、学歴やステイタスによる意識が高いところですが、小さいころより育ったまちや地域で学ぶことは単に勉強だけでしょうか。地域の中で暮らす一人の社会の一員として見た時、学校や地域で心を育み、親の働く姿を見て育ち、隣近所のおじさんおばさんに目をかけられ育っていきます。学校では勉強を中心に行事や地域との関わりの中でのびのび育ちます。

学力の向上の基本は家庭での教育であり、学業をさらに磨きをあげたい子には夢を追いかけられるように支援し、例えこの町へ留まらず、戻ることがなくても、ふるさとを思う苫前町出身者として活躍を願います。


私はここで大事なことは、元に戻りますが苫前町には2つの市街地があり、この市街地を中心に風土が異なり多様な産業、文化が根付いているということを考えなくてはいけないと思っています。苫前町は苫前地区のように漁業を中心として行政事務機能(役場)がある街、古丹別地区のような農業や林業、建設業を中心とした街により成り立っています。

この成り立ちにより、米、蔬菜、酪農など農業生産や林産、そして漁業、海産物加工とこれからの地方の生き残りの最大の武器であります。それぞれの地区で生産性を向上させ、生産高、所得の向上が図られていくことを目指したとき、担い手の方々は家族を持ち、子どもを育て、次世代へ繋げる。


子は親の背中を見て育ち、漁師を目指す子、農業を目指す子、付随して技術を磨き大工になりたい子、建設に携わりたい子、商売をやってみたい子など様々な夢を与えます。

その夢は、身近にそういった姿を見ることが一番大事です。
そして体験をすることです。家業があるのなら、手伝いをし、友達の家に遊びに行ってそういった仕事に触れること。

子に背中を見られている親は、言わずと子どもに思いを伝える。その親はその親の背中を見て育ち、その親の親も・・・。代々にわたり根付いてきた産業。この産業を軸に苫前町はこれからも発展し続けます。そうあるべき理念を持ったなら、その地区に何が必要かを掘り下げてみます。間違いなく、学校が必要となるでしょう。
こうして、時代時代の子供たちにこれまで沢山のみんなが踏み固めたこの地や道を活かすためにあるべき教育の姿をみんなで理解し合いながら、組み立てていくことが大事です。


こうして一見、不効率と思われる公共的役割にも今後直面いたします。一般論ではなく、苫前町の歩んだ歴史と繁栄。「古きをたずね新しきを知る」苫前町に必要な教育とは、特異的な風土の中で子どもも大人も心を磨き、苫前や古丹別、力昼などお互いの地区同士が認め合うことではじめて一つになるということだと思います。


ただ、効率的にすべきところはどうなのかという点は、町有施設や分野の中で分散しているよりもまとめた方が良いことなどあるわけですから、そこはしっかりと時間をかけて効率化を目指し、時代に即した形へのリニューアルが必要です。


地域風土と教育を例えとして考えてみましたが、根本にもつビジョンや理念がいかに大事かという話です。一般的の考えの中では時に視点は大都市や地方都市といった規模での話がされることが多いと思います。苫前町の考え方の芯を持ち、みんなと共有することが必要です。


その考えが『ならでは』なのか『言われた通りの乗っかり』なのかをしっかりと見極めなくてはと思いながら北海道開拓使に残る苫前町の精神力をもう一度示すことができるように責任世代、頑張りましょう!!


本日は古丹別国道交差点で街頭演説行いました!
クリックすると元のサイズで表示します
2

2015/1/21

現状を見つめる  

私が学生時代に苫前町を離れた5年間色々なことがありました。


滝川にいた3年の間に、奥尻沖地震。
東京にいた2年間では阪神淡路大震災、地下鉄サリン事件。


帰郷して20年が経とうとしていますが、帰郷後すぐに入団した消防団では、火災の恐ろしさを思い知り、水害、災害の凄まじさ。そして、心に病を負いながら自分を追いこんでしまった方の捜索作業など地域の消防団の果たしてきた役割と重要性を知ることが出来ました。

その消防古丹別分団の総会が昨日行われました。

となりの地区の力昼では今年度を持って解団という運びになります。
今後は、古丹別、苫前が協力し合って、力昼地区の安心安全を守っていかなくてはいけません。


さて、現状に目を向ける。当たり前のようで、思うようにいかないことにもどかしさを感じることもしばしばですが、人口が少なくなることで生じる色々な課題、それに対して対処すべき方策、先を見越してのビジョンと整理。これらを合致させていかなければ、今後の成熟した社会では対応が難しくなります。


私は苫前町生まれ、苫前町育ち、厳しい状況と闘いながら生え抜きの民間人として、私だから見つめられることがたくさんあります。

議員として3期12年間の間に、町内の建設業などの企業や商店が、廃業を余儀なくされたり、そこで働く従業員やその家族などの苦悩。大規模小売店舗などの進出や通信販売(インターネット、カタログ、宅配)の普及により壊滅的な状況になってしまった商工業活動。

この地域をどうやって再生させるかということはかなり至難の業であります。


良いことばかりを言うのでは、現状が見えていないとお叱りを受けてしまいます。

こうした状況を打破するためには、コミュニティの再生をはじめ、そのコミュニティよるビジネス展開をはかる方法を模索するという苫前ならでは取り組みを展開しなくてはいけません。
そして、農業・漁業との連携による活性化と観光業への新たなビジネス展開を可能にできるのは、まさに田舎のフィールドであるのは間違いありません。

つい数年前まで、商工業の後継者は私のUターン以後ほとんどなかったんですが、この数年で何人かの若者が帰郷し、独立している方もいます。


必死に生き残ろうとしていている若い企業家を、ぜひとも応援支援をしなくてはいけません。

こうした商工業だけではなく、産業や福祉の分野、教育の分野、住民自治活動などなど、全てにおいて目配りができる町がこれから住んで納得ができる田舎暮らしなんだと思います。



この12年間、私も議員として活動してきた中で、至らなかったことを見つめ直して、現状がどうか、どうだったをしっかりと考えたいと思います。
4

2015/1/19

苫前町応援団  

人口減少、地方消滅。
言葉だけみると、とてもネガティブな思いを描いてしまう人も多いかもしれません。

確かに、人口の減少となると、ましてや高齢化率が非常に高い私たちの町のようなところは、生産性の力を失っていき、しまいには本当に消滅してまうんでないかと不安に思い、逆に思考停止状態になってしまう方もいるかもしれません。


しかし、現在のように人口が3500人で、これまで同様でいるのと、この先人口が3000人を割り込み2500人にまで減っていったものの、町外からの協力者やファンが増え、地域の風土を活かした取り組みが活発に展開され、交流人口が増えて、人口4000人、5000人いると同じだけの影響があるとしたらどうでしょうか。

うまく、人や物が循環され、それぞれの持つ幸せの尺度の中で、この苫前町に住んでいることへの誇りが抱かれるようになったらどうでしょうか。


人口減少は進んでいくかもしれません。
しかし、決してこの苫前町に住む人の幸福感とは比例しないはずです。
むしろ、皆さんの中に、今よりも自ら動き、自らの町を発展させていく!と思いを持ち続けていくことができればどうなるでしょう。

目を少年のように輝かせ、必死に生産する。それを支え、役割分担がなされていく、人口の数だけで町の活力を語るのではなく、中身がどうかという目線に置き換える必要があります。
人口が少なくても、生き残っていく道は必ずあります!

お互いが支え合う町を築き、この素晴らしい風土と可能性を秘めているこの町、この地域に協力してくださる、町外の応援団の方々、そして惹きつける苫前人を今から一人でも多く少ないながらも増やすことです。

すぐにできることと、できないことあるかもしれませんが、先を見据えて今から準備するということの大事さを忘れてはいけません。
地味なことですから、なかなかピンとこなところもあるでしょうけど、コツコツと素地づくりを始めたいですね。

そこには、外からの協力者の力もかなり重要な要素になってきます。出身者を始め、たくさんの町外の方がこの苫前町応援団として、力を貸していただけるだけで、人口減少を苦にすることなく、町の活気は取り戻すことができると思っています。

ただ、主体的に動くのは苫前町に住む私たちです。臆することなく、失敗を恐れずチャレンジすること。恥ずかしいことはなく、いつまでもチャレンジすることです。全体が守りに入ってしまっては、進むものも進めなくなります。

先日、一人暮らしの年配の女性の方で、私の決断が新聞に掲載された記事を内地に住む同年代の息子さんに送ったという方がいらっしゃいました。苫前町はまだまだ捨てたもんじゃない、苫前町出身の各地で頑張ってくれている方々がいます。その方たちにも誇れる苫前町にしていくためにも、ここに残る私たち責任世代は一生懸命に頑張らなくてはいけません!!
4



teacup.ブログ “AutoPage”