・・・迷った。
このキモチを記事にすべきかどうか。
かなり迷ったあげく、昨日、逝去された先輩の功績をたたえなくてはいけないし、先輩の思いをしっかり刻むためにも記事にしておくことを選択した。
あまりに悲しい、あまりに残念な今回の先輩の逝去に昨日から、まったく気が抜けた状態が続いている。
おそらく、先輩はいつものように「そんなことしている暇あったら新聞でもネットでも情報収集しろ!」と一喝されているところだろう。
私の能力を熟知した上で、可能と思える課題や問題解決の提起を下さっていて、でも、そこを乗り越えられない、情けない自分・・・。
でも、見捨てることなく僕に叱咤激励を繰り返してくれた。
思えば、僕が帰郷した初夏。
ソフトボール大会を通じて、実家の裏でジンギスカンをやったのが始まり、以後、色んなことを教えてくれたし、色んなことに協力してくれた。
議員としてもここまでこれたのも、数え切れない先輩からのアドバイスや教えあってのこと。それは、人一倍お世話になった。育てていただいたということはまさにこのことだと僕は思う。
「大志が一番世話になっただろう」と幾人かにも言われた。
その通り、地域の一住民としての関わり、自治においても世話になって、何も返せずに・・・。
神輿の人が足りないって言ってたら、休暇をとって参加してくれたり、青年部の事業も人手が足りなくてという状況のとき、何もなかったら手伝いにいくよ!って。僕の座談会はいつも、議員の活動や発言がどうであるか自分のために聞きにいくって、よく来てくれた。町のあらゆるイベントや催し事には決まって参加し、顔出して、こんな役場の職員は稀であると思う。
よく言っていたのが、こういう機会でもなければ町民のみんなと触れ合えないし、話する機会がないじゃん。色んな人がいて、色んな話するし、色んなこと言われるけど、いつも通う居酒屋でも、誰か街に出ている誰かと会えば色んな話ができる。それが自分の仕事に繋がるって。
だから、僕も行き詰ったり、悩んだり、糸口がみつけれなくなったら、いつも先輩のいるところへ向かっていた。
当然、先輩はお見通し。
だから、本当にやりきれない。
世の中、仕方がないとかなぁなぁ、まぁまぁにやり過ごしている現状の中、先輩ほど信念曲げず、仕事に向かっていた人はいないと思う。
先を見る、読み取れる、切れ味は相当のものがあって、正論であり、向かうべき姿を導いている。それ故に、思うことは相当あったんだと思うし、同じく感じていたことに議員としてやり遂げれていない自分が本当に情けない。
先輩は苫前町の行く末を誰よりも案じ、いつも厳しく、そして優しく、仕事の能力は随一だと思う。
ただ、先輩が残してくれた町の将来を思うキモチ、そこにいきつくためにすべきことの大事さ、勇気、情熱、方法それを形にしていくために、これからは自分自身でまとめあげ前へ進まなくてはいけない。
自治に対して先輩ほど、思いが強く、そして沢山のことを考えていた人にめぐり合えたこと、教えてくれたことに本当に本当に感謝している。
色んな勉強会、セミナーに出かけた、泊り込みで出かけたことも何度もあった。私はともかく、一緒に学ぼうとしてくれてたことにいつも苫前町にも希望が見えていると確信していた。後は、この先輩の意思をどれだけの人が感じてくれるのかということになると思う。
だから、記事にすることにした。
僕の中で、あまりに大きい存在だったので記事をつくることに迷いがあった。
先輩が何を考え、訴え、仕事に向かっていたか気付いている人はいっぱい、いるということを僕は知っている。
だから、みんなが感じて欲しいと思う。
自分にも言い聞かせ刻むためにも。
有能な人がこの世を去る、この地を去る。
まさに、言葉だけでなく田舎の、そして苫前町の正念場である。
先輩は、どう思っているのかな・・・。
いつものように、「詰めが甘いな」「まだまだ勉強不足だ」「しっかりしろよ」「よく言った」と叱咤激励・・・。
先輩、今、僕に何を語りかけていますか?
めっちゃ涙でてきます。
涙とまりませんよ。
古丹別に帰ってきてからいっぱいお世話になって。
色んなこと、一緒に楽しみ、成長させてくれて、街の地域の若者として、自治の一翼を担うものとして、先輩は僕の『師匠』である。
松原さん、ゆっくり休んでください。お世話になりました。
本当に、本当に感謝しています。ありがとうございました!

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