悲壮感が漂う、この町に何が必要なのか、町民の方と色々話をした。
ここは、ご存知田舎。
しかも、かなり恵まれた田舎なんだと私は自負する。
山があって、川がながれ、海がある。
山の楽しみ、川の楽しみ、海の楽しみ。
何もかも便利ですごしてきたこの数十年。それは、ひと時のの時代のなかの流れとなり、今、何を求めてこの田舎で暮らしていくのか。
便利、物質的豊かさを求めるのなら、やっぱり都市にかなわないし、都市の魅力がある。田舎は、田舎の魅力を感じることが、これから田舎で暮らす最も必要なものだと私は気づく。
必要なものは、ここに暮らすみんながもう一度、見直してみることが実は一番肝心なのかなとつくづく思う。
人はみな、自分を含めて、ずるさ(いい意味で)を覚え、色々と発展してきたのかな!?
田舎で暮らす子供は子供らしく、のびのび育つと考えるのなら、この数十年過ごしてきた日々を思い返すと、ずいぶんともったいないことをしてきたかなとも思う。極端かな・・・。
これから、春の息吹を感じるとき、山の恵みに出会い、山に感謝し、山を守り育てることを学ぶだろう。その山から川の恵みの水を頂き、命はぐくむ食材で私たちは生きていることを学ぶ。
根本はここに尽きるのか・・・。
このまちは、この根本を教えてくれる、人を育む学校だ。
絶対に見失ってはいけない。
壮大な自然の中で活かされていること。
子供は、この学校の中で生きるということを学び、大人はその術を伝える。
ただ、この数十年の暮らしで、それだけでは生きていけないことも作り上げられたのも事実。それによって、生活が成り立っていたのも事実。でも、それはある種、生きるための道具であって、その道具をどう使おうかという話。
根本の教えや、伝えはどうであったか、立ち返る必要があるのだと強く感じる。
今、社会教育などに力を入れていくことが、わかるような気がする。
この先、田舎で暮らすことを考えたとき、何が必要かというところはそれぞれ違うとおもうけど、根本を見失ってはいけない。
その根本の話も、キモチの醸成もおざなりになってきていたんじゃないのかな・・・。
自分は、一つ光明を見出すとしたなら、子供たちに大人が田舎で暮らすことを教え、伝えていけば、何とも元気や希望を持てるだろう。それができないとしたなら続くはずもない。田舎で暮らす術を知らぬまま成長していったなら、この町の意義はそこで途絶える。結果的にこの町で暮らせなかったとしても、母なるふるさとはいつまでも、心にぬくもりを与え、全うした人生を送って欲しい。
道具を使うために、人の中を探り、神経すり減らしあるゆる手段を考え、時には自分のことしか考えないでいることばかりに働き、人が人と共に、自然の中で生きていくことをすっかりと忘れてしまうような状態は、私は正常だと思えない。
悲壮感漂う昨今、もしかすると一番大事だと思うことは、今一度、この町で暮らすことにしっかりと立ち返ることから始めることだと私は思う。
こんな記事をつくるとまた、理想論だとか、甘いだとか、若造がって思われるかもしれないが、自分が心底思うキモチなのだからしょうがない。