2006/12/13

『硫黄島からの手紙』  映画

面白い映画だったんだけど、逆にこういう戦争映画を面白がって見てしまっていいんだろうか・・と不安な気持ちになってくるような感じでした。
なんか、プログラムピクチュアの職人的な小技がきいている映画という感じ。
栗林中将もだけど、バロン西大佐の描き方が印象的でしたね。あのオリンピック馬術競技の金メダリストの西大佐が被弾した愛馬を悼むシーンなんて、本当にあったことかどうか、よく知らないんですが、なんで日本人向けにこんなサービス(?)をイーストウッドがしてくれるんだろうかと思いました。西大佐と言えば、アメリカ軍が投降を呼びかけたというエピソードが出てくるかと思っていたのですが、出てこなかったですね。アメリカが投降を呼びかけるというのはこの2部作のテーマから外れてしまうのでやらなかったんでしょうか?
しかし、美化というわけではないと思うけれども、栗林中将や西大佐を好意的に描いていて、この2部作はやけにイーストウッドが日本よりのような気もするんですけど・・。そんなに日本好きだったんだろうか!?
それとも、根がエンターテイメントの人だから、日本の観客を想定すると、やっぱりいかに客を楽しませるのかをついつい考えてやってしまうのかな・・。個人的にはこうした題材は、別に客を楽しませることなんて考えないで、ただ淡々と退屈なぐらい、えんえんと戦場を見せてくれればいいのに・・と思うんですが、イーストウッドはやっぱり面白い話、面白い映画につくってしまうんだなあ・・という感じはしました。でも、そう思う一方でほんと、よく出来ているなあと感心もしてしまうんですけれども。
複雑な気持ちです。
戦場の悲惨さは思ったほど、描かれていない感じがしました。これは戦闘の最後のほうは食べ物がなくなって飢餓の状態になっていたと思うんですが、そのあたりがあまり描かれていなかったためでしょうか?
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2006/12/25  20:22

投稿者:mirokuninoti

 現場では皆クリントかボスって呼んでたみたいですよ。
 う、う、いい人だ、クリントは。

2006/12/25  18:19

投稿者:kusukusu

クリント、クリントって、かのイーストウッド大監督のことを気安く名前で呼んでほしくないんですが・・

2006/12/24  13:36

投稿者:mirokuninoti

>私は大観できる人が好きなんです。


 自分が偏っているからね〜(爆)。
 

2006/12/24  13:35

投稿者:mirokuninoti

誤:さい・バートレット
正:サイ・バートレット

誤:米軍が居応答を占拠したあとで
正:米軍が硫黄島を占拠したあとで
 
あかん、急いで打ったらこれだよ。

2006/12/24  13:32

投稿者:mirokuninoti

誤:ローレンツ足しは
正:ローレンツたちは

2006/12/24  13:30

投稿者:mirokuninoti

 ちょっとちょっと〜〜。
 昨日パンフ手に入れまして、泣きながら読んでいたのだけど、バロン西への投降呼びかけ『真実』ですよ。

***
 「オリンピックが開催されたころ。バロン西はロサンゼルスの名誉市民になっていた」と伊原は説明する。「当時、多くの日本人外交官をアメリカに行かせるよりも、バロン西ひとりを行かせた方が外交がうまくいくと言われるほど、アメリカでの人気があったらしい」。栗林中将と同じく、バロン西もアメリカを友人だと考えていた。それに関して、ローレンツ足しはリサーチ中に、ロサンゼルス滞在中のバロン西を知っていたさい・バートレットというアメリカ人フィルムメーカの逸話を発見した。「バートレットは、米軍が居応答を占拠したあとで島に到着し、友人バロン西がそこにいることを知った」とローレンツは説明を続ける。「それで彼は拡声器を使い、彼に投降をするように呼びかけたんだ」。「『バロン西、あなたは私たちの友です。出てきてください』というアメリカの呼びかけを耳にしたとき、彼がどんな心境だったか知りたいよ」と伊原は言う。
***
 やっぱり真実だったんだわ〜〜〜〜。
 ウィキにどうやって訂正入れたらいいんでしょうかね。
 
 クリントは第二部を創る気は元々なかったのに、栗林中将に出会ってしまったが為に創り始めたのだそうですよ。
 
 私は大観できる人が好きなんです。
 クリントはそのひとりですよ。
 

2006/12/24  10:30

投稿者:kusukusu

mirokuninotiさんの中でバロン西とイーストウッド株、急上昇中のようですね。

2006/12/22  22:33

投稿者:mirokuninoti

***
 この時のインタビューに「我々(自分とウラヌス号)は勝った」と応じ、当時の日本人への敵愾心を越えて世界の人々を感動させた。
 西はバロン西(Baron=男爵)と呼ばれ欧米、とりわけ社交界で人気を集めた。

 男爵・西家の嫡子として車を趣味にもし、性格も至って鷹揚、天真爛漫サッパリし、いわばネアカであったと生前に交流のあった人たちは証言する。
 コンバーチブルを愛用し、ロサンゼルス滞在中はそれを乗り回し、当時のアメリカの著名な映画俳優達との友好が話題となった。
***
 白州も英国で車乗り回していましたね。
 井原さんだっけ、上手に演じられていました。明るい感じで、良かった。

 アメリカ人が投降を呼びかけたと言うのは、日本側の希望でしょう。
 http://www.iwojima.jp/data/baron.html
***「いうまでもなく、伝説が事実でないことが証明されたからといって、西そのものへの評価が変わることはない。あらゆる伝説は虚像であり、事実でないからこそ伝説なのだ。伝説そのものの中には、西に対する何らの評価も含まれていない。
 ただ人々の、何かを信じたい心が仮託されているだけだ。
 評価ということを言うならば、伝説が生まれたという事実にこそ、西を評価すべき点があるだろう。」(同書255頁)***
 
 アメリカ人はスポーツマンシップになんか乗っ取らない事は、戦後よく証明されていると思うけど。
 日本人はこういう美談が好きなので。
 私は日本の判官びいきがこの伝説を生んだと思います。
 まさに義経的なるものです。
 
 そして、クリントはその判官びいきを理解できる数少ないアメリカ人の一人だと思い至りました。

2006/12/22  22:23

投稿者:mirokuninoti

>魅力的な人だったということですね。

 東京の人ならご存知の日比谷高校でしょう。

***
 学習院初等科を経て、1914年、府立一中(現日比谷高校)に入学。
 3年次に府立一中を中退し、1916年、広島陸軍幼年学校に入学。
 1924年、陸軍士官学校卒業(第36期)。さらに陸軍騎兵学校を卒業。
 1930年にイタリアで愛馬ウラヌス号に出会う。 
 ウラヌス号は陸軍から予算が下りず自費での購入であった。
 ウラヌス号と共にヨーロッパ各地の馬術大会に参加し、数々の好成績を残す。
 さらに陸軍騎兵中尉時代の1932年に参加したロサンゼルスオリンピックでは、ウラヌス号を駆って馬術
大障害飛越競技に優勝して金メダルを受ける。
 これは日本が馬術競技でメダルを獲得した唯一の記録である。
***
 いまだ誰も取ってないんだと思います。
 ディープ・インパクトだってパリで汚名きせられちゃってさ〜。
 乗馬だの競馬だの、西欧の馬業界に入り込むのは至難の業ですよ。
 戦後誰も入り込めていないでしょう。
 武も悔しい思いをしたことでしょう。

2006/12/18  23:43

投稿者:kusukusu

アメリカが投降を呼びかけたという話は事実ではないのかもしれないが、そういう伝説がいろいろと出来るぐらい、魅力的な人だったということですね。

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