下記のブログでC型肝炎の問題について取り上げていて、その記事のコメント欄に書き込み、ちょっと議論したりしたのだけど。
その議論で、改めて考えたことを、整理する意味で書きとめておきたい。
白鳥一声
http://8910-1000.at.webry.info/
C型肝炎の場合、薬害については(薬害であることを証明するカルテなどが認められれば)賠償金が貰えるようになったのだけど、今度は、輸血や予防接種により感染した者、また血友病の被害者など、他の医療行為によって感染した者がその補償の対象にならないのは不公平なのではないか?という問題が生じてきているわけである。
で、上の「白鳥一声」のブログの管理人さんは、
>医療の限界が引き起こした避けられない被害に対して、政府が責任を認める≪前例≫を作り重ねてはならないのです。
という考えから、「補償の対象に含まれる方」と「補償対象に含まれない方」ということを書かれていたので、それに対して、僕は以下のような反論のコメントを書き込んだのである。
(以下、自分が書き込んだコメントを引用)
初めまして。
これは本当に難しい問題だと思います。僕も考えがまとまらないでいるのですが、このブログの記事を読んで思った疑問をコメントします。
>血友病に対する血液製剤の投与や、大量出血に対する輸血は、肝炎のリスクを考慮しても生命維持のためには必須でした。それを行わないという選択は、患者さんの側も望まなかったはずです。特にC型肝炎の危険性が十分に解明されていなかった当時においては、これらの処置は妥当な医療行為でした。
というのは分かるのですが、しかし、たとえば大量出血に対する輸血のケースにおいても、行政の責任がまったくなかったと言えるのでしょうか?
たしかに、ふせげなかったというのは分かりますよ。その意味では薬害でC型肝炎になった場合とは責任の度合いが違うとは思います。
でも、輸血のケースでも、肝炎になる可能性があることは(C型肝炎が特定されるずっと以前から)分かっていたようです。なら、赤十字などは、輸血の手術をした人は肝炎に感染している可能性があるので定期的に検査をするようにと広く国民に呼び掛けることをするべきだったのではないかと思うのです。そうすれば
肝炎に感染している人は早期発見、早期治療に取り組めたのですから。しかし、行政や赤十字はそのような呼びかけをしてこなかった。この点で、輸血で感染した人のケースでも、行政に責任があったのではないかと考えます。
また、
>5)予防注射で、注射針の使い回しにより特定肝炎となった方
の場合は、これはふせぎようがなかったわけではなく、「注射針の使い回し」をしなければふせげたわけだから、「補償対象に含まれない方」に入れるべきなのか? 薬害と同じように、はっきりと補償対象に含めるべきなのではないか?という疑問も抱きました。
あと、血友病の場合はまた難しい問題ですが・・。
これは、ちょっと内輪の話みたいになるけど、薬害エイズ訴訟の弁護団とC型肝炎訴訟の弁護団とで重なっていますが、もともと血友病の人には両方の被害があったわけで、最初から薬害エイズで裁判をするか、肝炎で裁判をするかで議論もあったようです。薬害エイズには感染していない人も肝炎には感染していたわけだから、広く血友病患者を救済するなら肝炎で訴訟をするほうがいいのではないかと。でも、やはり薬害エイズの被害があまりに突出していたので、そっちの訴訟を開始したのです。で、そちらがひと段落したのでC型肝炎の訴訟が始まったんです。なのに、今回も血友病の被害者の人達は救済の枠から外されるのであれば、血友病で薬害エイズは幸い、免れたけど、C型肝炎には感染してしまった人の救済はいつも先送りにされてしまっているような感じはしてきます。
(引用、終わり)
というのが僕の主旨なのだけれども、しかし上の反論は、「白鳥一声」のブログの管理人さんの論に対する全面的な反論にはなっていない、あくまで部分的に異を唱えているものであるとは言えるだろう。というのは、「たしかに、ふせげなかったというのは分かりますよ」「その意味では薬害でC型肝炎になった場合とは責任の度合いが違うとは思います」と書いたように、薬害の場合とたとえば輸血で感染した場合とで違いがあることは僕もある程度、認めているからである。
では、一体、この違い、この差はどこから生じているのだろうか?ということを考えてみたのである。
よく言われるように、薬害と言うけれども、薬というのはどんな薬でも副作用があるものであり、効果があるからこそ副作用もあるのだからそれは仕方がないものなのだという考え方がある。そして、医療行為によって生じる間違いは、患者側は受け入れ、受忍するしかないのではないか?という議論がある。そうした、ある程度、副作用があるものは仕方がないことなので受け入れなければならないという論も一理あるとは思うのだけれども、しかし、やっぱり患者側から見て、これは到底、受け入れることは出来ないという一線があるように思う。
その一線はどこにあるのか? 副作用と薬害とを分ける線はどこにあるのか?
端的に言ってしまうと、もともとのその病気の症状と、副作用の結果の症状とのどちらが重いか?ということから区分けが生じるのではないかと思うのである。
たとえば、もともとの症状は軽いものであり、薬を使わなければ治療が長引いて、薬で1日で回復するのが1週間、寝ていなければならなくなるのだけれども、でも薬を使わなくても1週間、安静にして寝ていれば治っただろうという病気だったとする。ところが、薬を使用したことにより、失明してしまうとか、もっとひどいケースでは死んでしまうとかいうことになったとする。この場合、被害者(患者)もしくは被害者の遺族は、どうしたって「そんなことならその薬を使わなければ良かったのに・・」と思うのはごく当然のことであると言えるだろう。いくら医療行為において起こった間違いなのだから受忍しなければならないんだ・・と説かれても、それで納得する被害者はまずいないのではないだろうか?
しかし、手術をしないと命が助からないが、手術をすると命は取りとめるけれども足を切断して車椅子生活をおくらなければならないというケースがあったとする。この場合に、医者が手術をすることを決断したとして、「車椅子に乗るようになるならば手術なんてして欲しくなかった。死んでしまったほうが良かった」と思う患者もいないのではないだろうか? むしろ、命を取りとめる手術をしてくれた医者に患者は感謝するのではないだろうか?
つまり、もともとの症状と、医療行為によって生じる症状(副作用)とを比較して、副作用のほうが軽ければ、その医療行為は仕方がなかったものとして患者側は受忍することが出来るが、副作用のほうが甚大な結果を招くのであれば、受忍できないのは仕方がないことではないか?と思うのだ。
そこに、副作用と薬害との違いがあるのではないだろうか?
以上の考えをC型肝炎の場合に当てはめて考えてみる。
もっとも、厳密にはひとりひとりのケースで違いがあるのかもしれないので、大雑把に区分けすることが正確ではない場合もあるかもしれないけれども。
輸血のみによって感染した場合は「薬害」には当たらないが、血液製剤を使用した場合は薬害になるというのは、たとえば出産時に止血剤として血液製剤を使用した場合、その止血剤はどうしても使わなければいけないものではなかったのではないか? また止血剤を使用するにしても他の止血剤を使用すれば良かったのではないか?という疑問が生じるからである。だから、どうしても使用しなければいけないわけではなかった薬を使用し、結果としてより甚大な症状を招いてしまったので薬害であると考えられるわけである。
それに対して、輸血をしないといけない手術をしたとか、血友病患者が血液製剤を使用したというケースの場合は、まあ、厳密にはもしかしたら輸血をする必要がない手術で医者が間違った判断をして輸血をしてしまったというケースもあり得るとは思うのだけれども、基本的には輸血をする必要があって輸血をしたのであって、輸血をしなければ死んでしまったかもしれないというようなケースのほうが多いのではないだろうか? この場合に輸血をして結果として肝炎になったのだとしても、その医療行為を行った医師を非難できるのか?というと、ある程度、妥当な判断であったのではないか?と思えるのである。
また血友病の患者の場合は、血液製剤をまったく使わないというわけにはいかず、それでは死に至ってしまうかもしれないのだから、血液製剤を使用したのは仕方がなかった面があるのではないかと思うのである。もっとも、薬害エイズの場合は、国内の献血の血液で出来ているクリオ製剤を使用していればHIVに感染することはふせぐことが出来た。だから、薬害エイズの場合は、結果のほうが甚大なのだから薬害であったと言えるのだけれども、肝炎に関しては、たとえクリオ製剤を使用していてもやはり感染していた可能性があるようである。(下記のリンク先の、血友病でC型肝炎に感染した方が書いている記事を参照。)
http://web.kyoto-inet.or.jp/people/ryu-sano/barker.html
とすると、血友病で薬害エイズに感染した場合は薬害だけれども、C型肝炎に感染した場合は薬害とまでは言えないというのは一理、あるのかな・・と思えてくるのである。ここが複雑な気持ちがするところなのだけれども・・。(補足注)
このように考えていくと、血液製剤によって感染した人は薬害の被害者であるけれども、輸血で感染した人や血友病の人の場合は薬害とまでは言えないのではないか?という、一定の線引きがあることを認めざるを得なくなってくるのだ・・。だから、「白鳥一声」のブログの管理人さんが書かれている線引きを、ある程度、認めるしかないような気はしているわけである。現時点での僕の思考では、このような考えに至っているわけだけれども、ドライすぎる考え方なのだろうか・・。
ただし、それでは、血液製剤によって感染した人は薬害の被害者なので国は責任があり補償をするべきだけれども、輸血で感染した人や血友病の人の場合は責任がないので補償する必要はない・・と僕が考えているのかと言うと、そうではない。「白鳥一声」のブログのコメント欄で書いた通り、「責任の度合いが違う」とは思うのだけれども、そのような医療行為をせざるを得なかったという点では仕方がなかった面があったとしても、医療行為後の対処において問題があったので、その点でやはり国に責任はあったのではないか?と考えているわけである。
やはり、副作用よりもともとの症状がより重いものなのだからその薬を使用する、そうした医療行為がするのが仕方がなかったのだ、だから薬害とまでは言えずあくまで副作用なのだ・・というケースにおいても、そうした副作用が生じることが分かっているのであれば、そのことを患者に説明する責任があるのではないかと思うのだ。こうした副作用はあるのだけれど・・ということを説明しなければ、患者の側も、その医療行為を受忍していいかどうかの判断も出来ないのではないかと思うし・・。
まあ、薬の説明書などをよく読むと、製薬会社は後で訴訟になることを恐れているのか、こうした副作用がありますということが小さく書いてあったりするのかもしれないけれども、いちいち薬の説明書をすべて読むことを患者がすることを要求するのは無理があると思うし、やはり製薬会社や医者の側が使用者にきちんと説明した上で使用するか否かを判断するようにしないといけないのではないかと思うのだけれども、そうは言っても製薬会社も商売でやっているわけで、なかなか製薬会社が自ら、うちの薬には効果があるけれども同時にこういう副作用もありますと広言するようなCMをつくって流したりはしないだろうし、小さく説明書の隅に書いてあったとしてもわざわざ使用者ひとりひとりに広言する努力まではしていないものなのではないかと思う。また医者も、よほど正直で良心的な医者は「手術は成功したけれども、もしかしたら肝炎に感染している可能性があるので、定期的に検査するようにしてください」と忠告してくれるかもしれないけれども、医者も人間なのであるから、なかなかそうした自分に不利になると思われるようなことまで積極的に言わないのではないかと思う。
とすると、行政の側でなんらかのフォローをして、製薬会社や医者が説明しないことまで配慮して、国民の側に伝える努力をしていく必要があるのではないかと思うのである。従って、C型肝炎の場合も、行政(国)に「広く国民に呼び掛けること」をしてこなかった責任があるのではないかと思うのだ。
(補足注)
ただし、可能性としては、血友病の患者の場合も、肝炎になることをさけて加熱の血液製剤を使用していればHIVだけでなく肝炎の感染もふせげたのではないか?ということはある。
また、下記の記事にあるように
http://blue.ap.teacup.com/documentary/1308.html
>血友病の患者に多く使われる特定血液凝固第8因子製剤は止血剤として血友病以外の患者にも広く使われている
ということもあり、今回、おそらく血友病患者の人達に使われているものだからという理由で対象から外されたと思われる血液製剤に「特定血液凝固第8因子製剤」があるが、これは「血友病以外の患者にも広く使われている」のであり、血友病患者以外で、たとえば止血剤として特定血液凝固第8因子製剤を使用して感染した人が今回、対象から外されているのは根拠がまったく不明のより理不尽なことのようには思える。

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