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投稿者:kusukusu
コメント、どうもです。
僕も、肝炎の問題にかかわらず医療崩壊の問題についてはよく分かっていないところが多いので、とりあえず『世界』2月号と『現代思想』2月号(どちらも「医療崩壊」の特集号)を購入し、考え始めたところです。
投稿者:アイスゆず
こんばんは。おじゃまします。

『現代思想』2008年2月号 特集=医療崩壊 「C型肝炎特別措置法の功罪」を教えて下さったこと、本当にありがとうございます。毎日、無我夢中で勉強させて頂いています。全てkusukusuさんが教えて下さらなければ、出来ないことでした。有難うございます。

下に、kusukusuさんのコメントへの北村さんのコメントがあります。
「薬害エイズの構造」
http://39774186.at.webry.info/200801/article_41.html
北村さん
kusukusu さんの肝炎対策と難病政策の関連の話ですが、難病は患者数がどちらかと言えば少ないのでやっていける、という部分があると思います。
肝炎の場合は、まず総数さえ充分に把握できていないところがありますから、「そもそもどういう枠組みで対策を立案するか」という問題があると思います。そこを「調査の不作為」と指弾することはたやすいですが、「沈黙の感染症」なので、実態把握が難しい面があります。もちろん、それを理解した上で、積極的に実態把握に努めるべきです。
投稿者:birds-eye
 お返事ありがとうございます。
 自分のところで薬害肝炎をまとめにかかっているので、それで青息吐息デス(^^;) 短めのお返事ですが、ご容赦を。

>マスコミ…必ずしも売らんがためではなく
 これは、なるほど、と思いました。つい偏見の目で見ていた部分があるように思います。
 ただ、いろいろな医師のご意見を見ていると、「同じ苦しみを持ってる人は他にもいるよ」というコメントを多く見かける気がします。薬害肝炎→血友病、肝がん救済→じゃあ肺がんは? といった具合です。
 逆に、悪く言えば人の生き死にを見慣れているので「そんなアタリマエのことで何騒いでるんだ」という部分もあるような気がしますが…

>肝炎の総合対策のほうをまず…
 これは全く同感です。そのあたりを、いままとめ記事にしています。

>日本の医療は薬物療法に偏りすぎ
 これはとても鋭いご指摘で、実際その通りだと聞いています。特に精神科。

>医療崩壊…国の医療行政
 これも、おっしゃるとおりです。前門の虎後門の狼、という感じです。

 こちらこそ、じっくり議論させていただいて、大変参考になりました。
 自主制作、もしネット上(でなくてもいいですが)で見られるような形になるようでしたら、教えていただければ幸いです。どんなものなのか、興味を惹かれます(^^)

http://8910-1000.at.webry.info/
投稿者:kusukusu
ただ医療崩壊ということだと、たしかにマスコミの問題もあるのかもしれないけど、それより国の医療行政にもいろいろと問題点があるような気もしますね。
だらだらとすみません。
投稿者:kusukusu
僕自身、現在、自主制作である問題のドキュメンタリーをつくっているのだけど、やっぱり法的には限界はあるかもしれないけどこれはなんとかできないのか?という問題提起みたいな形のものになるのではないかという気がしています。birds-eyeさんが見たら、やはり違和感を持つものになるかも・・。

でも、C型肝炎についてはちょうど考えているところでしたので、birds-eyeさんのように異なる視点からの意見に触れて議論したことは大変、参考になりました。有難うございます。

僕はC型肝炎の場合もそうかもしれないけど、公害、薬害については発生責任をどこまで問えるか?ということもあるけど、起こった後の対処についても問題があるように思います。訴訟になると、国は被告の側なのだから仕方がないのかもしれませんが、責任を逃れるのに必死になってしまい、現に進んで広がっている被害の対策が後手にどんどんまわってしまう。水俣病からしてそういうところがあって、それではなんのために裁判をやっているんだろうか?という気がするところがある。肝炎に関しても、本当は肝炎の総合対策のほうをまずもっと早くやっておく必要があったんじゃないかと思う。まあ、こうした問題についてはどのように考えていけばいいのか、難しいですが。

僕は薬害をふせぐためにはある程度、薬の審査がきびしくなって、新薬が承認されにくくなるのは仕方がない面があるかと思います。医療崩壊を心配されるのも分かるけれども、ただ現在の日本の医療は薬物療法に偏りすぎているところがある気もするので、薬だけでなく、運動療法や心理療法など、いろいろな療法を組み合わせることも考えていっていいような気がします。(ただ、これはそこまでする余裕が医者にないとか、患者の側もすぐに効く薬をくださいみたいに求めるとか、そういったこともあるのかもしれないけど。)そういう風に医療のあり方を転換していくというのは必ずしも医療崩壊ということではないと思うんだけど。
まあ、医療崩壊の問題についてはもっと考えていかないといけないのかもしれませんが・・。
投稿者:kusukusu
たびたびコメント、有難うございます。基本的に大きな意見の対立はないように思うのですが、でもbirds-eyeさんは医者をめざしている方なので医者よりに考えていて、僕はそうではないという視点の違いみたいなのがあるのかもしれません。
医者の方のブログなどを見ると、マスコミ批判がよくあるのですが、医者の立場からそういう意見は分かるところはあるけど、ただ僕は立場的にはマスコミのほうに近い人間ではないかと思うので、マスコミの記者の気持ちも分かる気がするところがあります。というのは、マスコミは被害者よりに偏っていたりするところがあるのかもしれないけど、それは必ずしも売らんがため(視聴率をとるため)ばかりにそうしているのではなくて、やっぱり実際にいろいろな被害者の方に会っているからついついそっちよりに気持ちがなってしまっているんだと思う。つまり、頭では法的にはここまでは責任追求はできないだろうか?と思っていても、実際に被害者の人に会って話を聞いてしまうと、それでもあの人を窮地から救うことができないだろうか?と考えてしまい、それでついつい法的な責任をこえて補償する必要がある、なんて記事を書いてしまうんだと思うのです。そういうのは医者の側から見るとちょっと無理があるように思えるんだと思うけど、マスコミとか被害者団体とかに関わっているとついついそういう心理になってしまうのはよく分かる気がするんです。
投稿者:birds-eye
 なんで僕がこんな事にこだわるかというと、この違いが医療従事者にダメージを与えかねないからです。
 薬に限らず医療行為というのは、必ずリスクを伴うものです。それを後から「効用より害のほうが大きかったじゃないか」と叱られてしまうのでは、医者は患者に手を出せないし、厚労省もおいそれと新薬を承認できなくなります。
 実際、医師の方のブログをみると、市民の不理解とマスコミの心ないバッシングで医療はかなり崩壊しつつあります。僕はその点を心配しています。
 責められるべきは、「効果より害が勝った医療行為」ではありません。「避けられたのに生じてしまった被害」だと思います。
 それで、「薬害」という言葉の使い方にこだわっている次第です。
 参考までに、以下もどうぞ(もうお読みになったかもしれませんが)

http://8910-1000.at.webry.info/200801/article_14.html
投稿者:birds-eye
 kusukusuさん、お返事ありがとうございます。
 僕も、基本的には同じ意見だと考えています。そのところをくみ取っていただけたので、ホッとしています(^^;)
 その上で、「薬害」という言葉の使い方に違いがあるのだと思います。kusukusuさんは「効果より副作用が勝れば薬害」とお考えで、僕は「予見できなかったものは薬害じゃない。避けられたものだけが薬害だ」と考えています。

 まず、ぜんぜん屁理屈とは感じませんでした(^^)。共感できる部分も多く、やはり基本的には対立していないと思います。
 法的責任を問うのには「予見可能性」が問題となり、でもそれとは別に被害者の救済が実現されるべきだとは、僕も考えています。おそらくkusukusuさんもそうですよね?

 その上で、議論を続けますと。
 「薬害」という言葉をきちんと定義したいのは、その概念に含まれるものを全部「悪い」と見なして無くす努力をしたいからですよね? 法律的な処分に限らず、全ての意味で。
 この点で、kusukusuさんがおっしゃるところの「薬害」は、ゼロにできないのです。というより、かなりの部分「ゼロにする努力がむなしい」事例が含まれてしまいます。
 最新の科学技術を駆使して最善を尽くして、それでもなお防げなかった「薬害」というのを、後から考えて「ああ確かにあれは薬害でしたね」と言うことはできます。でも、「じゃあどうすれば防げたでしょう?」という質問には、答えが出ないのです。

>そのことを薬の販売前に徹底的に精査して、副作用のほうが大きい場合はその薬は販売に踏み切らないということを貫いていれば薬害は起こらない
 これは、まさしく「きちんと精査して、販売に踏み切らなければ、その被害は≪避けられた≫」から反省する必要があるのですよね? だったら「避けられた被害を薬害と呼ぶ」と決めた方がよいように思うのです。
投稿者:kusukusu
だから、こういう風に言ってもいいのかもしれません。

>「効用より害が勝るものを薬害と呼ぶ」

そう、このように薬害という言葉を定義していいんだと思うんです。効用より副作用のほうが大きいものが「薬害」である、と。
その薬害を予見可能性があったか、否か?というのは、法的にその薬害を起こした者を責任追求できるか、否かという意味での問題なんです。でも、予見可能性がなかったのだとしても、それは「薬害」ではない、ということにはならないと思うんです。予見可能性があった場合は「薬害」で、予見可能性がなかった場合は「薬害」ではない、ということではないと思うんです。害のほうが大きければ「薬害」なのです。だから、「薬害」という言葉を定義する時には、予見可能性があったか、否かは関係なく定義できるのではないかと思うのです。予見できなかったのではないか?という場合というのは、「薬害」だけれども、その「薬害」は医学的に予見できなくて起こってしまったものであり、「医療の限界」なので、その「薬害」を起こした者を法的に責任追求することまでは出来ないのではないか?という話なのであって。それは、「医療の限界」で起こってしまったことなのだから、司法という形で人間が責任追求することも出来ない、「司法の限界」でもあるので法的な責任は追求できないのではないか?ということなのでは?
投稿者:kusukusu
たとえば万能細胞がどんなに医学にとって効用があるものでも、副作用でガンになってしまうということなら、ガンという副作用のほうが現時点では大きすぎるので、その点を解決しない限り(万能細胞がガンにならない方法を見つけるとか、あるいは、ガンそのものを治す方法を見つけるとかして)、実用化に踏み切ってはいけないのです。
つまり、法的な責任追求では「副作用被害の予見可能性」(薬を販売し、実際に使用してからの)のほうが「効用と副作用のどっちが大きいか?」という問題よりも上位の焦点になる問題ではあるんですが、そもそも薬害とはなんなのか?どうすれば薬害を起こらないように出来るか?という点では「効用と副作用のどっちが大きいか?」ということのほうが上位の問題点なんですね。そのことを薬の販売前に徹底的に精査して、副作用のほうが大きい場合はその薬は販売に踏み切らないということを貫いていれば薬害は起こらないわけですから。「副作用被害の予見可能性」は販売、実用化前の精査が足りない、もしくは間違っていたから生じてしまった2次的な問題なんですね。

と、僕のほうがよっぽど屁理屈みたいですけど(^^;)
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