2008/3/7

「医師の診療行為については刑事責任を追及しない」という考えになぜ反対なのか?  公害・薬害・環境・医療問題

「白鳥一声」さんのブログの、

不適切な医療行為について、医師の方が考えること
http://8910-1000.at.webry.info/200802/article_21.html

という記事にコメントしたところ、別記事で僕のコメントを引用して丁寧な返信を頂いた。

問題提起: 医療者の過失と刑罰
http://8910-1000.at.webry.info/200803/article_2.html

さらに、この記事に別のブログ(「ある町医者の診療日記」)の方がトラックバックされている記事でも僕のコメントの内容について反論がされていた。

「不適切な医療行為」をしているのに刑事罰を科されないのはおかしい?
http://blog.hashimoto-clinic.jp/200803/article_1.html

せっかくなので、返信しておきたい。
なお、長くなりそうなので、このように記事にしてトラックバックすることにした。

けっこう、ややっこしい問題であるようなので、論旨が混乱するのをさけるためにも、まず僕の基本的な考えを明快にしておくと、僕は「ある町医者の診療日記」の記事を読んでもなお、「医師の診療行為については、刑事責任を追及しない」という考えには賛同できないでいる。
ただ、「町医者」さんが指摘されているように、医学について素人の裁判官が判定している裁判にはいろいろと問題点があるのかもしれないとは思うから、医療裁判については他の裁判とは別枠で特別な形式で行うことを検討したり、あるいは、裁判ではなく法廷外で医者側と患者側が調停する委員会なり制度なりを設けることを検討する必要性はあるのかもしれないとは考える。(ただ、そうした調停の委員会を、専門家の医者のみでつくるべきだという町医者さんの意見にはやはり反対である。)

以下、どうしてこのように僕が考えるのかを述べていきたい。

まず、医者はたしかに医学の専門家ではあるのだけれども、それは内科とか外科とか、医学の知識についての専門家なのであって、こうした手術や治療をすることが倫理的にいいか、どうかを判断する面では専門家であるとは言えないのではないだろうか?と僕は思う。(というか、そういう判断をすることに関しての「専門家」などという人間は世の中には存在しないのかもしれないが。人間は神様ではないのだから。)
たとえば、分かりやすい例として、ある患者が助かる見込みはまずないから苦しむぐらいならここで死んでしまいたい、尊厳死をさせてくれと求めて、医者がその患者の尊厳死を選択したケースがあったとする。ここにおいて、医者が医学的に「この人は助からない」と判断したこと自体は専門家が判断したことであり、そのこと自体は罪に問えないことだとは思う。だけれども、その患者が助からない状況で、そして患者自身が望んだからといって、尊厳死を認めていいか、否か?というのは医学知識がある専門家であるか否かとは関係ない、倫理的な判断の問題ではないだろうか? そして、現在の日本の刑法では、尊厳死を個人の人間が判断して実行することは違法とされている以上、それが罪になるのは当然であると思う。その判断した人間が医者であったからといってそのことが罪にならないのであれば、それはかえっておかしくないだろうか? つまり、医者が専門家として「この患者は助からない」と判断したこと自体はたしかに罪に問えることではない。仮に、その判断が間違っていたとして、助けられる治療方法があるのにその医者が知らずにそういう判断をしてしまったのだとしても、それはあくまで専門家の職務上の判断の間違いでしかないのでそのことで刑罰を問うことはおかしいのかもしれないとは思う。しかし、尊厳死をさせることを実行したとなると、それはその人間が医学の知識がある専門家であるか否かにかかわらず、法律違反であることを勝手に判断して実行したことは倫理的に問題があるのであるから刑罰を問われるのは仕方がないということになるのではないだろうか?
たとえば、医者ではなく、その患者の家族が見るにみかねてその患者を尊厳死させたとする。当然、刑罰を問われるだろう。しかし、担当の医者がそのような尊厳死を実行したとする。それはその医者の「医療行為」なのだから罪にはならないのだとすると、おかしくないだろうか? 法治国家において、ある人間がある行為を実行した場合に、他の職業の人間が同じことをやったら刑罰になるけれども医者が行ったら刑罰には処されないということでは法律が不平等だということにならないだろうか?
今、分かりやすい例として尊厳死のケースを持ってきたのだけれども、他のケースの治療とか手術においても、医者が専門家としてこのような治療をすることが有効であると判断したこと自体は、たとえそれが結果として間違っていた判断だったとしても、そのこと自体は刑罰の対象になるべきものではないのかもしれないとは僕も思う。しかし、医者の治療の行為が倫理的にみておかしなものであり、刑罰に触れるようなものであったならば医者とはいっても刑罰の対象になるのは仕方がない、というか、当然のことなのではないか? 倫理的に法律に触れることを医者であればやってもいいなどということはおかしいのであるから。
もっとも単に「医療行為」の方法の判断に間違い(あくまで現状の「医学」の範囲では間違いと考えられるものということですが)があったということなのか、それとも倫理的にその医者がおかしいことをやったのか?の区別がなかなかつくものではないので、そこが難しい問題なのかもしれないけれども。
倫理的に間違いというのは、たとえば、その医者がその薬は処方してもなんの効果もないことを知っていてその薬を処方するとお金がもうかるので処方したとか、する必要がない手術だと知っていて、手術をするとお金もうけになるからという理由で手術したとかいった場合である。「医師の診療行為については、刑事責任を追及しない」ということになってしまうと、その医者が単に治療方法の判断で間違いがあったということではなく、その医者が確信犯的に必要がない手術や治療を自らがお金がもうかるからという理由でしていた場合も罪に問えないことになってしまう。しかし、こうした場合は、その医者の行為は倫理的に考えてどう考えてもおかしいと思うから、これが罪に問われないというのは社会的正義に反すると思うのである。
birds-eyeさんが「やぶ医者」の例をあげていたけれども、「やぶ医者」の場合は、むしろ、僕は刑罰に問うべきではないのかもしれないと思うのだ。それは医療上の判断のミスでしかないわけだから。それより、こうした治療方法は最善のものではないということをその医者自身が知っていて、しかし最善と思われる治療行為を選択することは自らのお金もうけに結びつかないからよりお金もうけに結びつく治療行為のほうを選択したという場合にその医者の倫理性が問題になるのであり、そうした場合でも刑罰を問えないというのはおかしいと思うから(だから、「やぶ医者」ではなく、むしろ、優秀な医者が倫理的におかしいことを確信犯でした場合に罰せられないのはおかしいから)「医師の診療行為については、刑事責任を追及しない」としてしまうことには危険性を感じるのである。
たとえば安部英氏の例を考えると、安部氏は「やぶ医者」だったわけではなく、血友病の専門医としてはそれなりの人であったのだとやはり思う。しかし、製薬会社と癒着があり、そのことから危険性が危惧されていた治療方法を放置してきたと疑われるのでそこに倫理的に問題があったのではないかと考えられるので裁判になったわけである。
もっとも安部氏本人は、あくまで自らはこれが正しい治療行為だと考えて行なっていたのだと主張されていたのであり、結局、法廷では決着がつかなかった。この安部氏のケースを見ても分かるように、単に「医療行為」の方法の判断に間違いがあったということなのか、それとも倫理的にその医者がおかしいことをやったのか?を区別し判断することは難しいことなのだとは思う。
その点は、町医者さんが指摘されていることも一理ある意見なのかなとは思うのだ。
でも、「判断をすることが難しい」からといって、「そのような判断をすること自体、やめてしまい、医師の診療行為については刑事責任を問わないことにするべきだ」という意見にも賛同できないのだ。それでは、倫理的におかしいことを医者が行った場合も刑罰が免責されることになってしまうので、社会的正義に反すると思うから。
従って、「判断をすることが難しい」というのは分かるけれども、それでもそうした判断をしていく必要性があると思うわけだから、より厳密に(もちろん、完全ということはあり得ないと思うが、より精度があるということだけれども)判断していくようにするためには、医療裁判については他の裁判とは別枠で特別な形式で行うことを検討したり、あるいは、裁判ではなく法廷外で医者側と患者側が調停する委員会なり制度なりを設けることを検討する必要性はあるのかもしれないとは考えるわけである。
そして、そうした調停の委員会を、専門家の医者のみでつくるべきではないと考えるのは、そうした判断をする上で、その医療行為を厳密に分析する必要性があるとは思うから当然、多くの医者がその委員会に加わるべきだとは思うけれども、しかし医者は医学の知識に関しては専門家ではあるけれども、倫理的にその医者の行為が正しかったか、否かを判断する上では専門家ではないわけだから、医者のみでつくられた委員会ではそこまでの判断は出来ないと思うし、判断が医学面からの判断のみに偏りかねないので(たとえば尊厳死の例で、「この患者は助からない」という判断は医学的に正しかったという結論が出ると、その委員会が医者のみでつくられたものだとすると「だから尊厳死を選択した医者の判断は正しい」という結論になってしまいかねない)、他に、法律の専門家とか、あるいは哲学の専門家とかもかもしれないけれども、そうした専門家を集めて委員会をつくっていくのがいいのではないかと思うのだ。
またそうした委員会の調査や討論は公開して、患者側に示すべきではないかと思う。専門の医者が秘密で行うものでは、患者側が不信感を持ち、裁判を起こそうとすることを止めることも出来ないのではないか?と思うからである。
結局、「町医者」さんとは結論は正反対になってしまっているのかもしれないが。
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