なんか、親しい家族を亡くして・・みたいな話の映画が最近、やたらと多いような気がするのだけれども、そういう風に誰かを死なせないと話を作れないんだろうか・・とちょっと気にはなっているのだが、それでもこの映画は、さすがにイ・チャンドン監督のものはひと筋縄ではいかない展開が続く作品で、引っ張られて見てしまった。まあ、なるべく事前情報は入れないで見に行ったんだけど、かなり意表をつかれるような展開が続き、ううむ、こんな話をよく考えるなあ・・と思ってしまった。けっこう、最近、見た映画は展開が読めてしまうものが多くて、あれれ?と思っていたのだ。『ミスト』とか『アフタースクール』とかも展開が読めてしまったんで、そんなに驚き、なかったんですけど・・。でも、この『シークレット・サンシャイン』の展開はさすがに思いつかなかったな。もっとも、これ、原作があるそうで、イ・チャンドンが1から考えた話というわけではないようだが。
イ・チャンドン監督の前作『オアシス』の時に僕が書いた短い感想。
「主演女優、ムン・ソリは半年間、脳性麻痺の女性とともにし、演技作りの基礎としたとか。一方、ソル・ギョングは20キロ体重を減らしてこの映画の撮影に望んだとか。
ムン・ソリとソル・ギョングの凄まじい演技には圧倒される。だがその演技的な作り込みの激しさ、またこの主役の男女をめぐる周囲の人達の状況の作り込み方にはわざとらしさを感じ、反発を覚えるところもある。
それでも次第に男の不器用さを理解していく。
そして、幻想シーン。重い話に、素頓狂なシーンが盛り込まれて行くのが落差となって、なんとも言えない味わいを醸し出す。世間から外れ2人だけの世界を浮遊しているかのような感覚が身にしみる。 」
ここに書いた通り、『オアシス』はその激しさに圧倒されながらも、作り込み方に「わざとらしさ」を感じてしまい、どこか、乗れないところもあったのだが、今回の『シークレット・サンシャイン』はその点がより「自然」になってきていて、その点だけでも深化していると言えるのではないかと思う。
それは、イ・チャンドンが、なんと韓国の閣僚まで経験してしまい、もはや円熟味を持つ「巨匠」になってしまった・・ということではなくて(この場合、「巨匠」っていうのは悪口です・笑。たとえば「クローネンバーグも巨匠になった」と僕が書いたらそれは悪口で言っているんだと思ってください・笑。)、むしろ、「イ・チャンドンは丸くならなくて、相変わらず屈折したことやってるなあ〜」と思える上で言っているんですが、いや、というよりその屈折を作品にしのびこませる手付きがより「自然」風になってきているということはより屈折が深化していると思えて、やるじゃん・・みたいな意味なのだが。
だって、「自然」と書いたけれども、実は全然、「自然」なストーリーじゃないんだもの、これ・・。誘拐の話も、刑務所のシーンも、ちょっと不自然で強引な展開だと思うんだけど、でもこれをリアルに成立させているのが凄いなと・・。なんといっても、チョン・ドヨンが演じるヒロインのキャラクターが抜群によく描けているので、ああ、この人だったらこういうこと、あり得るなあ・・と納得できてしまうのだ。このヒロインはちょっとずつ、世間とずれた行動をしてしまう人間。そもそもこのヒロインがミリャンに来たのも、夫への愛とか言っているけど、そうではなくて、いつも世間や周囲の人間とちょっとずつずれてしまう自分というのがいるので誰も知人がいない場所で1から始めたかったんじゃないだろうか?と思う。そういういつも世間からずれてしまうというか、世間の人とは違うエキセントリックとも言える行動をしてしまう人なのが次第に沁みるように描写されていくので、ほかの人がおこなったら不自然に思えて、「強引な話の展開ではないか?」と思ってしまうような展開でも、納得できるようになっているのではないかと思う。このヒロインは、途中から気がおかしくなっていったのではなくて、実は最初からちょっと変な人なんだな。
で、変と言えば、ソン・ガンホが演じる男も、一見、いかにも平凡な男のようでいて、実はなかなかいないキャラクター。だいたい、彼はほんとにヒロインのことをちゃんと理解しているのかどうかも心もとないのだが、そんなことは気にかけずにひたすら彼女の傍にいつづけるんだもの。へらへら笑ってて、「こいつ、何、考えているんだ?」と思うんだけど、たぶん何も考えてないんだ。考えてないから、彼女の傍にいつづけられるんです(笑)。だって、「この女、やばいぞ」と考えてたら、逃げ出しちゃうじゃん。いや、冗談でなく、世の中には鈍感力の素晴らしさってこともあるんじゃないかと思います。この男の描き方にこそ、イ・チャンドンの屈折を僕は感じる(笑)。「屈折するは我にあり」(?)みたいな・・。
まあ、そういうヒロインや男のような変な人達をちゃんと存在させる(成立させる)ことで(これは、もちろんチョン・ドヨンやソン・ガンホの卓越した演技力にもよる)「ああ、この人達ならこういう展開、ありだよなあー。なるほど」と「自然」に納得させるような映画を撮り上げてしまった点で、『オアシス』よりもこの監督の作品が深化しているのではないか・・と思ったのです。
