『アワーミュージック』
『愛の世紀』に続いて、なんとまあ、若々しくて、瑞々しさに溢れた画面が連続する映画なんだろう。人間、70歳をこえるとこんな境地に達するのだろうか。
『愛の世紀』のパリの街の雨に濡れた鋪道をとらえた記憶を引き摺っているのか、サラエヴォの雨に濡れた鋪道、そこを走る路面電車を見ているだけでどうしてこんなにもぞくぞくしてしまわないとならないんだろう。奇跡的な魔法のショットが連続する、ゴダールの、ゴダールによる、すべての人類のための映画。しかも、『愛の世紀』よりもおそらく作品の完成度は高い。もちろん、ゴダールの映画のようなものの「完成度」というのをどうやって判断すればいいのかはよく分からないんだけれども、とにかく、この作品にはギュと戦争の記憶と現代の現実が凝縮されている。完成度が高いというより凝縮度が高いと言うべきなのかもしれないけれども。
戦争の傷跡が残るサラエヴォを舞台にしているのだから、当然、サラエヴォの戦争のことも重ねられているわけだけど、しかし、この映画はサラエヴォを舞台にしながらイスラエルとパレスチナの戦争やアメリカンインディアンの話が語られているのだ。だから、やっぱりベトナムから遠く離れて、ならぬ、パレスチナから遠く離れてであるわけで、それがなんともゴダール的なスタンスの映画なのだと思う。
劇中で学生に「デジタルカメラは映画を救うことが出来るか」と聞かれたゴダールが無言で何も答えないシーンがあるのだけど、これはまあ、うっかり映画のイロハも知らない若者がデジタルカメラを使えば自分も作品がつくれるかもしれないと勘違いして才能がないのにこの世界に飛び込んだら大変だ(それこそ、僕自身のことですけど・苦笑)とゴダールが考えて、そうした若い世代への親心(?)から何も答えなかったのかもしれないけど、でも『愛の世紀』に続いてこの『アワーミュージック』という瑞々しいゴダール作品がうまれたことだけでもデジタルビデオの技術も捨てたものじゃないのかもしれないと思ったりする。
それにしても「本」に対する屈折した使い方はやっぱりゴダールらしい屈折ぶりで、これもパレスチナから遠く離れてということに通じているのだろうけれども、その分、パレスチナに対する態度はある種の理想主義かもしれないけど頑なで、たとえばハンナ・アーレントの引用の仕方が皮肉っぽかったり、マフムード・ダーウィッシュが出演しているのに、このパレスチナの詩人の扱い方もちょっと手厳しいものを感じてしまったり。ここまでテロリスト支持の姿勢はとれない僕は見ていてハラハラしてしまったのだけど、これもゴダールならではの若々しさなのだろうか。
本と言えば、第3部の「天国」編で『ストリート・オブ・ノーリターン』の原作本がちらっと画面に登場して、これは映画『ストリート・オブ・ノーリターン』の監督、サミュエル・フラーへの目くばせだろうし、かつ『ベトナムから遠く離れて』のゴダール監督編、および『気狂いピエロ』を思わせるこの「天国」編が、サミュエル・フラーが出演している『気狂いピエロ』の変奏であることを示すものであるのかもしれないけれども、それにしても「原作本」という形でオマージュを捧げるというのはなんという屈折ぶりなんだろう。
あとは、ゴダールの授業に遅れてはならないと走って駆け付ける(のか?)ヒロインの走り方にゴダ−ル的な胸のときめきを覚えずにいられなかったり、花の手入れをして電話を受けるゴダールの姿の滑稽さに涙ぐましくなってしまったり、とにかく最高なんだけど、サラエヴォの市場をとらえたショットと『女と男のいる鋪道』ばりにヒロインの顔を正面からと後ろからととらえたショットになぜか、ペドロ・コスタの映画を想起してしまったことも付け加えておきたいと思う。

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