『現代詩手帖2004/01 特集・現代日本詩集2004』 投稿者: 管理者 投稿日: 1月16日(金)10時24分44秒
《三人目の男を探しに行くのは誰でしょうか》 北川透
9/11。もしくはグラウンドゼロ。この事件が、この数年はすっかり時代の魂の神話として響きわたっている。特に、なにがしかの「表現」を標榜するジャンルでそれは顕著だ。端的に言ってしまえば、9/11以後「表現」は可能か、という自問自答をいつまでも繰り返している。吉増剛造氏がグラウンドゼロに立ったときに「詩は死んだんだ」と思った、というエピソードがこの雑誌の中でも紹介されている。しかし考えてみると、こんなようなことはアウシュビッツのあとにも言われていた。と言って、別に吉増氏が嘘をついているとも思わない。きっと、彼は本当にそう思ったのだろう。その出来事自体がいかにも詩人的だ。詩人はいつも、「詩は死んだ」と呟き続けることによって詩人たりうる。
例によって、俳句はそのような9/11の洗礼にもあまり大きな影響がない。それが俳句の強さなのか、弱さなのか、いずれにせよ「9/11以後、俳句は可能か?」などという問いを提示した人は寡聞にして知らない。というより、そもそも「俳句は死んだ」と呟きつづけることによって俳人たりえた人は、俳句史上でせいぜい高柳重信くらいではあるまいか。俳句は俳句として、いつも面白いほどに自足している。虚子は「俳句は戦争によって何の影響も受けなかった」と言ったというが、そのことは確かに真実をついている。
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『現代詩手帖1985/01 特集・現代詩全景』 投稿者: 管理者 投稿日: 1月14日(水)10時41分29秒
《彼女は とつぜん拍手した
ひとりだけで
烈しく》 吉原幸子
「俳句とか短歌というのは、1920年代の西洋詩においては前衛詩と同意語だった」とオクタビオ・パスは言う。そして、「現代生活を詩に取り入れるときに、ヨーロッパやラテンアメリカの詩人たちはとりわけ俳句を使ったのです」とも言う。実際、俳句という文芸は日本にいて日本人の眼から見ると妙に古くさくて泥臭いものにも見えるが、ふとそれを異国の眼から見ると奇妙に洗練された前衛的なものに見えたりもする。それは、日本人の眼から見て近代西洋の詩というものが前衛的洗練に見えたのだろうこととちょうど逆さまのようだ。結局はお互いにエキゾチシズムを感じているだけなのだ、と言ってしまえばそれまでなのだけれど、気になるのはそのような前衛牲が元来の俳句なり短歌なりに本当にあったのだとして、そのことを意識し、そしてそれを咀嚼した俳人なり歌人なりというのはどれだけいたのだろうか。1920年代、そのような世界の動きと短歌・俳句がまったく無縁のところで動いたのだ、とは考えにくい。そのとき、世界の中での前衛詩としての短歌や俳句、という視点が出てくる。そのとき、前衛とされたのはきっと芭蕉や蕪村だったには違いないが、その同時代を生きた歌人・俳人たちはそのことをどう受けとめたのか。
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田村隆一『腐敗牲物質』 投稿者: 管理者 投稿日: 1月 6日(火)10時10分14秒
《二本の脚で直立し
多孔性の皮膚でおおわれた
熱性の腐敗牲物質》
「ぼくは詩が行分けであるためには、一行と一行のあいだのブランクが深い谷間になっていないといけないと思うんです」と田村隆一は言う。行分けであることは、俳句や短歌になく、一方で小説にもない詩の特徴となっているように思えるが、それは形式以上の何かが確かにあるように思う。それは、俳句の中に紛れ込んできた詩とも言うべき多行形式の俳句を見ていてもわかる。通常の俳句と多行形式俳句との間の距離は遥かに遠い。行と行の間が深い谷間になっているように、そのふたつの間にも深い谷がある。多行という方法と、通常の俳句の切れ字という方法はやはり決定的に遠い。
さらに、詩というものは行分けだけでなく、文字の配置というものに非常に神経を使っているようにも見える。その分、視覚牲というか、言葉の物質感というか、そのようなものを大切にしているということだろうか。いずれにせよ、純粋に言葉自体が伝えうるもの以外のものをもさもざまに模索しているのが多行形式であり、詩であるということになるのだろう。
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『三木卓詩集』 投稿者: 管理者 投稿日:12月24日(水)10時47分59秒
《環状七号線を横切る才ある猫なく
環状七号線が殺したこどもは数多く
環状七号線は住民に酸素ボンベを買わせた
環状七号線は環状でながい
環状七号線は首都の大動脈
環状七号線は美しい広い道路》
三木卓は、彼の詩の原動力として「憎悪と夢想」ということを語っている。夢想というのは多分詩の原動力としては一般的だろうが、憎悪というのが時代的でもあり、また現代詩らしくもある。短歌や俳句を憎悪を原動力として書いている人は(まったくいないとは言わないが)ほとんど皆無に近いだろう。
勿論、憎悪には憎悪の力がある。勿論、その憎悪は時代に強く彩られた戦争と平和という主題を大きな基盤としているのだが、そこからさらには現代文明というものの持つ冷徹さにその視線は注がれる。冒頭に一部引用した「東京環七」という詩は、そういう意味で濃厚にある時代の夢想と憎悪を反映している。なんだか古いテレビドラマでも見ているような気になる。彼はこんなことも記している。「ある日のこと、わたしは町の雑踏の中を歩いていて、ふと、この平和な流れの中に必ず幾人かの殺人者があるのだ、ということに思い当たったことがあった」と。この場合の殺人とは勿論、「合法的な殺人」としての戦争のことを指すのだけれど、世の中の表層を一枚ぺらりと剥がせばそこに違う世界が現れてくるという、この感覚は確かに戦争を経た世代にしか持ち得ないものだろうし、その感覚をベースとした夢想と憎悪というものが確かにあったのだろう。特に、三木卓は満州で幼少期を過ごした。その意味で、彼もまた「引き揚げ者の文学」の系譜に連なる。満州体験は彼にとっての「夢想と憎悪」の基礎を用意したはずなのだが、だとすれば満州というものもやはり、彼にとっては「夢想と憎悪」の対象だったのだろうか。
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『現代詩手帖2003/01 作品特集・現代日本詩集』 投稿者: 管理者 投稿日:12月22日(月)11時02分17秒
《がらがらが 四日市の北浜田で振られ
そのあと大阪で振られたあと
この世界で 止まる》 荒川洋治
ある詩人は、深夜に散歩をしながら詩を作るらしい。作るというか、おそらくそのきっかけを掴もうとするのだろうが、それにしても深夜の散歩とは。俳人たちも吟行というものをするが、深夜の散歩はきっとしない。歌人たちはどうだか知らないが、それでもきっと深夜の散歩はしない。詩人のすべてが深夜の散歩をするわけでもないが、そのような行為が異常とは決して思われないところがなんとも詩人らしい。詩人たちは、確かに「言葉のあわい」みたいなものを捉えようとする。この世ならざるもの、あるいはこの世とそれからどこか違う世界との淡い皮膜、あるいは言葉の始源的な混沌状態、そういったものを捕まえようとする。だから深夜の散歩が不思議な行為とは思われない。
冒頭に掲げた荒川洋治氏が面白いことを言っていた。「文学は実学である」と。「人間をつくる」という意味で実学であり、それは別に奇をてらうつもりでもなんでもなく、実際にある時代には確かに文学とはそのようなものであると考えられていたのだ。そのような実学としての文学の足場が危うくなってきたのは、時代のせいもあるだろうが、文学のせいだってあるはずだ。荒川氏はこんなことも言っている。「詩は静かな世界になった」、例えば「社会的な言葉やできごとを、詩のなかに入れること、はさむこともできないくらいに、詩の言葉が弱いものになってきた」。その裏面には、「観念語だけの詩や批評は、その言葉を使う場所にいつまでも安楽にいられる」ということがある。
深夜の散歩で、「言葉のあわい」を捕まえようとする行為を非難するつもりはさらさらない。それはそれでその詩人の流儀だ。だが、その詩人がどうこうと言うより、詩というものが全体にそのような浮き世ばなれした方向に向かうことが、一方で詩の言葉の力を弱めていることもまた間違いないことのように思える。
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ガストン・バシュラール『空間の詩学』 投稿者: 管理者 投稿日:12月22日(月)10時59分4秒
想像力、もしくは詩的イメージについて極めて手際よくその具体的に運動の軌跡を記した書物。
例えば、家について。「記憶と想像力は分離できない」と書くごとく、住んでいる家と想像力は不可分だ。家というものがもっているさまざまな陰影が、想像力の表情を育む大きな要素になる。中でも特に生まれた家というものは特別な意味を持つ。「生家は、思い出をこえて、われわれの肉体にきざみつけられている。それは一群の肉体的習慣なのである」。逆に人が最後に住む家とは「思想を準備する家であって、夢を準備するものではない」。
そして家の中にあるさまざまものについて。「地下室」とは「うしろには大地全体がひかえた、片面の壁」である。「片隅」とは、「半ば壁、半ば戸である一種の半分の箱」であり、「存在の小さな家」である。「戸」は「半ば開いたものの全コスモスなのである。それはすくなくとも原初イメージであり、夢想の根源そのものである」。「階段」は「英雄的資質」を持っている(例えば「エレベーター」はそれを破壊してしまう)。「家具」は、「家具をひらくと、ひとは住まいを発見する」。さらに、このような夢想の貯蔵庫としての家にとって、階数とは決定的に重要な要素なのだ。「もしわれわれが夢の家の建築家になったならば、三階の家にするか四階の家にしたらよいか、まようことであろう」。
およびそのような家のバリエーションについて。「冬の宇宙は単純化された宇宙」であり、「家は冬がたくわえた純粋な内密をうけとる」。あるいは旅行については、「鉄道旅行は、夢の家にすむことのなんとすてきな練習だろう」とする。「貝殻」とは、「半ば死、半ば生の存在」であり、「半ば石、半ば人間」である。
いずれにせよ、「世界は名詞の秩序にもとづくものではなくて、形容詞の秩序にもとづく」ものであり、「ある事物に詩的空間をあたえる、これはその事物に客観的に所有できる以上の空間をあたえることである」。そして、そのような世界において「ことばそのものの内部で、のぼること、おりること、それが詩人の生である」。そして、「イメージの誇張はひどく自然なので、ある詩人がどんなに独創的であっても、別の詩人に同一の衝動を発見することも稀ではない」。
詩的イメージとは、このように確かに詩人が発見するものではある。だが、一方でそれは決して詩人だけの奇想ではなく、物質に内在する自然の法則のようなものだ。科学者が自然の法則を発見するように、詩人もまた自然の法則を発見するに過ぎない。

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