『ユリイカ2004/03 特集・論文作法』 投稿者: 管理者 投稿日: 3月23日(火)17時38分12秒
この際特集の内容はどうでもよくて、蓮実重彦氏のインタビューが面白そうなので買って読んだ。日本の知の一時代を造った(今もまだ?)ことは間違いのない人物だが、その彼が改めて浅田彰氏の『構造と力』についてコメントしているのが面白かった。現在の知をめぐる貧困な状況は、すべて二十年前に書かれたあの一冊の本がいけなかったのだ、と。つまり、『構造と力』が創り出してしまったひとつの環境が「二十年かかって完全にローブローとして効いてきて、書くことへの欲望が低下した」のだというのだ。浅田彰というのは不思議な人で、ここでも言及されているようにほとんど本を書かない。対談集などでいくつか面白いものはあるけれど、未だに主要な著作というのはデビュー作でもある『構造と力』と言ってよい。浅田彰氏は、東浩紀氏に対して自分を越えたみたいなコメントもしているが、実際その時代への影響力たるや、やはり浅田氏の比ではない。『構造と力』は、その内容もさることながら、そのスタイルがやはり面白かったし、ある意味でかっこよかった。いい意味でもわるい意味でも、その後の知のスタイルを規定してしまった。勿論、そのことが与えたマイナスの面ということも以前から言われていた。というより、それは90年代に入った頃から既に言われていたようにも思う。だとすれば、そこにもまた「失われた十年」がある。いずれにせよ、われわれはあの『構造と力』というたった一冊の書物が創り出した引力圏から今だに抜け出していない。それは、彼を越える知のスタイルを創り出した人間がその後に誰もいないからだ(残念ながら、東浩紀はスタイルを生み出すまでにはまったく至っていない)。
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鎌田東二・松澤正博『魂のネットワーキング』 投稿者: 管理者 投稿日: 3月10日(水)13時11分57秒
鎌田氏は大学で神道学などを研究している人で、松澤氏は「アーガマ」などの編集をやっていた人。そのふたりが、80年代半ばに対談した本。ちょっどオウム真理教なんかが芽吹き始めた頃だろうか。別にこの本を責めるつもりはないが、オウムを生んだ土壌みたいなものとこの本の雰囲気には、必然的に通じ合うものがある。おそらく暗黙のうちに了解されていたことは、終末(1999年)に向かうカウントダウンが始まっているのだ、ということ。その背景には勿論、当時まだ緊張の中にあった冷戦構造ということがある。この対談でこんな発言がある。「巨大な破壊のエネルギーの照準が、この国会あたりに当たっているという、そのバイブレーションというか感覚は、ものすごく強いですね。」「たとえそれが、日本の問題ではなかったとしても、東京のここには、必ず何本かの核が打ち込まれるでしょうからね。」
80年代の喧噪は、程度の差はあれ、すべてこの感覚の裏側にあった。あの喧噪も、一方でオウム的な内向も、それらはすべてこの空気のように24時間遍満する終末観の中から生まれた。80年代というのは不思議な時代で、消費文明のひとつの爛熟のようにバブル経済と艶やかな喧噪の文化を生み出しながら、その一枚向こうには核による破滅の幻想がいつも裏返しであった。言ってみれば、5分後にはわれわれの世界は核によって破滅しているかも知れないという、いわば究極の臨戦態勢の中にあった。
最近、なんだか80年代頃のポップスをよく聞いているのだが、そこに歌われるラブソングの数々がなぜだが妙に痛ましく聞こえるのはそういうことだ。終末に向けた切迫感に突き動かされた、限りなく皮相的なラブソングたち。そこに込められたメッセージはただひとつ――「世界は終わる、恋をしようよ」ということ。そして勿論、この同じ感覚がオウム真理教も生み出したのだ。
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Anne Applebaum『Betweeen East and West』 投稿者: 管理者 投稿日: 3月 4日(木)12時16分39秒
東欧は壁が崩壊した以降のここ十年くらいは結構身近な存在になったが、昔はなかなか行くこともできないような地域だった。東欧はどうしても西欧に比べて文化的・経済的には遅れていて、したがって脚光を浴びることも少ない分、どこかミステリアスなところもある。吸血鬼などの伝説に彩られているのは東欧だ。
その東欧は、西欧の地域とは比べものにならないほど、度重なる国境の変動を経験している。その背景には、大国に挟まれた緩衝地帯であったことや、実際に住んでいる住民たちが多様に入り乱れて生活していたこともある。その多様さが東欧の特徴でもあったのだが、それはあの共産国家群によって強制的に「民族浄化」されたことによってほとんど消滅した。だが勿論、そのような記憶を完全に消し去ることはできない。人々の思い出の中に、あるいはちょっとした街の片隅に、そのような記憶は生き続ける。
この本の作者は、そのような東欧の今を歩き、そこにあるときは淡くあるときは濃く残された複雑な東欧の記憶を掘り起こす。典型的な地域は、旧ドイツ領であった東プロイセンだ。そこに居住していたのはほとんどがドイツ人であったのだが、戦後彼らは強制的に一掃され、そこにスターリンの手によってこれまた強制的にロシア人が入植させられた。現在のロシア共和国の飛び地領土となっている地区である。この本の作者は、その旧・東プロイセンの街カリーニングラードを訪ね、そこに残留していたほんの一握りのドイツ人を探し出す。だが、老いたそのドイツ人は、自分がドイツ人であることを頑なに否定し、そして過去を語ろうとしない。語ろうとされない彼女の過去とは一体何だったのか、東欧の不思議な歴史の歪みがそこに凝縮されている。
だが、さらに複雑なことには、その東プロイセンの地もまた、過去にドイツ人たちが先住民たちを一掃して奪い取った地だった。古プロイセン人たちは、森の木々を神が住むものとして崇めた。その森の神々に呪われたかのように、何百年もかけて先住民族を一掃したドイツ人たちもまた、その地から一掃された――しかし、今後はたった数年のうちに。カリーニングラードに建つ共産党本部は昔のケーニヒスベルク城の跡にある。未完成のまま、無惨な姿を晒しているという。それもまた、今はなきドイツ皇帝家の呪いなのかも知れない。
いずれにせよ、東欧ではさまざまな都市、さまざまな国家を舞台に民族が入り乱れてそれぞれの歴史を刻んできた。そこにおいて共産主義国家群のもとに行われたさまざまな民族浄化(=強制的な移住)や、古い町並の画一的な改造は、僕の眼にはひとつの暴力として映る。古い歴史を一掃し、まるで新しい植民地ででもあるかのごとく扱われることの暴力。それから半世紀以上経った今も東欧の各地で、この本の中にあるように物理的な意味で、もしくは精神的な意味での「帰郷」というテーマが語られることになる。
この本の中に面白いことが語られている。第二次大戦後になって確定したある国境線は、ソ連軍の将軍ふたりで話あって決めたもので、ある暗い晩にふたりで地図を前に国境線を引いたのだが、ウオッカをしこたま飲みながらのことだったためにその新しい国境線は間違っていた、というのだ。その話が本当かどうか知らないが、そのような話が人々の間でまことしやかに囁かれることに、どこか怒りのようなものすら感じる。
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中沢新一『哲学の東北』 投稿者: 管理者 投稿日: 3月 2日(火)12時13分28秒
「始源的なものと最先端のものを結び付けられる才能が、いつも北の方にある」。ここで言われている「東北」とは従って、勿論いわゆる日本の東北地方のことを一義的には差すのだろうが、それはそれだけの意味ではない。さまざまなものの中に「東北」があって、そこを目指せ、と著者は語る。考えてみると、日本の東北だけでなく、欧州の東北、ドイツの東北、スペインの東北、中国の東北、アメリカの東北、と考えていくとどこもなにやら興味深い土地ばかりだ。だが、著者が言うのはもっと観念的なもの、例えば映画の東北、音楽の東北、といったものでもある。
東北というもの。それは「不透明な肉体的なものが、純粋思考の歩みにあらがって、それを妨害しようとしている」ものであり、「肉体をかきわけながら、表面へ向かって現れでてきて、その肉体的なものの抵抗感というのは、最後まで消えることがない」。そしてだとすれば、おそらくそのような東北というものは、必ず生活と詩という問題に突き当たるのだろう。実際、宮沢賢治は生活芸術ということを非常に意識したという。農業と詩の力。生活と詩の力。東北という思想は、いつもこのようなテーマ群と一緒にある。そして詩人とは、マラルメの言葉によると「母親の禁止にもかかわらず、墓地に出かける」人のことなのだ、と。墓地に出かける肉体とはやはり、東北の肉体のことなのか。
ちなみに著者は、「モダニズムの時期」が豊かな想像力の時代をもたらしたことを語ったあとで、「日本人は、あの戦争で、ほんとうに巨大なものを、地下に埋葬してしまったのだな」と語る。そして、「宮沢賢治の空前絶後の作品を生み出していた、その母体となった空間もまた、それといっしょに埋葬」されたと指摘する。そのことは、感覚としてよくわかる。
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東浩紀・編『網状言論F改』 投稿者: 管理者 投稿日: 3月 1日(月)12時08分17秒
1995年は、オタク文化史にとってエポックメーキングな年だったという。オウム真理教事件が起き、そしてエヴァンゲリオンが放映された年。エヴァンゲリオンはともかく、オウム事件についてはどうしても世代的なシンパシーをどこかで感じてしまう。それはこの本にもあるように、オウム真理教事件とは「早い話が『宇宙戦艦ヤマト』とか『機動戦士ガンダム』に影響を受けた、もしくはニューエイジ思想などに影響を受けた若者たちによって担われた、虚構としての革命運動だった」(東浩紀)のであり、「オカルトを中心にしてその周辺にガジェット的なサブカルチャーを無数に集積した宗教」(竹熊健太郎)だったからだ。そして当然のごとくそのオウム事件の無惨で悲惨な結末によって、「ここでオタク第一世代のシニカルな〈密教〉がとどめを刺された」(竹熊健太郎)。つまり、オウム真理教とは僕たちの世代がよく知っているサブカルチャーの着物をまとった狂気集団だった。さらに、その狂気とサブカルチャーを完全に切り放して考えることができるかというとそうでもないように思えてきて、そこが僕たちがあの事件に対して複雑な気持ちを抱く理由となっている。
とは言え、これはきっと世代だけの問題でもない。この本の中にこんな話がある。あるジャパノロジストに言われたというのだ。「日本人はどうしていつも夢を見ているの?」つまり、第二次大戦以降、日本人はずっと夢を見続けているのだ、と。そして、「日本の王」たらんと空想した麻原もまた、この夢の中にあったのではないか。いずれにせよ、戦後という長い歴史の中でオウム真理教の事件は検証される必要がありそうだ。

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