野仏というのは、お地蔵さんくらいの認識しかなかったが、ちゃんと分類すればいろんな種類のものがあるものである。おおまかに分類すると、地蔵のように神仏を象ったもの、道祖神のように道標的な要素を含んだもの、庚申塔のように集合の目安となるもの、といったふうに分けることができるのかも知れない。もちろん、それぞれが画然として存在しているというよりはかなり混交的な存在も多いのだろう。
特に興味を惹かれたのは、庚申塔など、伝説などの風俗に基づいた塔。庚申塔、月待塔、甲子塔、巳待塔、などの塔がそれに当たる。それぞれになんらかの伝説や謂れがあり、ある特定の晩に近隣の人がその塔に集まってきては一夜を明かす。面白いことに、みな夜に集まるための塔なのだ。それはまさしく、ある共同体と異界的なものを結ぶための標として存在していたわけだ。夜に集まるという、そのいかにも魅惑的な行為を促すための石の標。今の時代にこれに近いものはないかと考えてみると、意外にテレビという存在はそんなものなのかも知れない。夜に集まるもの。こちらは実は何千万の人が暗黙のうちに繋がっている。昔から思っているのだが、電波というのは確かに異界めいているのだ。もし、ラジオやテレビの登場がこのような石の塔の風俗的役割を終焉させたのだとしたら、それはそれでなんとも面白い。

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