『永田耕衣・秋元不死男・平畑静塔集』 投稿者: 管理者 投稿日: 6月14日(月)17時43分28秒
夏の夜の地よりあがりし蝶々かな 耕衣
蚊のつばさひろし湖畔のドアもひろし 同
百姓の昼寝その家傷みつつ 同
梅雨に入りて細かに笑ふ鯰かな 同
さよならをいつまで露の頭蓋骨 同
てのひらというばけものや天の川 同
コーヒー店永遠にあり秋の雨 同
冬空をふりかぶり鉄を打つ男 不死男
黒鉄の汽罐車艶に労働祭 同
薔薇蕾み昆虫界に移りたり 同
炎昼へ製氷の角をどり出る 同
ビヤ樽に台風前の雨ぎつしり 同
冷やされて牛の貫禄しづかなり 同
乳房灼いて漁婦一生の影嘆く 同
闘魚たたかふ水美しき除夜の隅 同
柿の種うしろに吐いて闇深し 同
滝近く郵便局のありにけり 静塔
道をしへ跳ね跳ね昭和永きかな 同
初日差しこむすごい暗さの町工場 同
石のひび蟻いさぎよく陥ちにけり 同
祖母の智恵狭まりにけり梅雨の花 同
菖蒲園くもりて能の足運び 同
花衣着て三鬼以下雲を漕ぐ 同
新興俳句には、生物のようになまなまとした一瞬の藍色の翳りが常にあって、それが戦前も、そして戦後も、新興俳句に関わった作家たちの作品を彩っている。弾圧という不思議な歴史を新興俳句は辿ってきたが、それはまるで新興俳句の体内に最初から宿っていた不幸のようにも思え、確かに新興俳句にはどこか不幸が似合っている。その藍色の翳りとはしかし、一方で昭和史そのものに宿った藍色の翳りでもあった。昭和史とはつまり、昭和二十年のあの夏の日の正午に辿りつくまでの時間の蓄積であり、そしてその正午にラジオから響いた一人の男の声の、その残響の中をいつまでも生き続ける時間の堆積であった。要するに、昭和史とはすべてあの夏の日の一瞬によってのみ参照され続ける時間の流れなのだ。新興俳句もまた結局のところ、そのような昭和史の忠実なる同伴者であった。玉音とも呼ばれた藍色の声、それと同種の艶やかな藍色の翳りの中を、新興俳句は宿縁のようにさまよい続けた。新興俳句の歴史とは、最初からあの藍色の中に生まれ、そしてあの藍色の中に融けて消えていったのだった。
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大竹昭子・他編『踊る島バリ』 投稿者: 管理者 投稿日: 6月10日(木)01時25分32秒
バリの魔力。その魔力に魅了された人は多い。バリの森、バリの山、バリの闇、バリの朝。実際、バリには未だに妖術使い(レヤック)がいるのだという。人々は当たり前のように魔術や精霊を信じ、そしてそこでの音楽も、舞踏も、工芸品も、すべてが魔術的に輝く。バリの舞踏は、すべてのものに開かれたものでは実はない。限られたものだけが踊ることができる。だが、それは差別だなんだという近代的な束縛とはなんの関係もない。すべてのことには相応しい者ということがあるのだ。かくして、選ばれた舞踏者たちは文字どおり自然に踊りだすのだという。いや、それは何も舞踏だけに限らない。例えば料理にだって、「生まれつきの力」というものがあるとバリ人は語る。料理がふさわしい人は料理を作ればいいし、絵がふさわしい人は絵を書けばよい。それがバリ人の哲学なのだろう。
世界にはまだ、このようなマジカルな世界観を色濃く残している地域はいくらでもある。それは宗教信仰が強いということとは違う、ひとつの自然で力強い生活の原理だ。例えば、バリ島に、西アフリカに、あるいはアイルランドに、このようなマジカルな世界観は息づいている。
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中村草田男『蕪村集』 投稿者: 管理者 投稿日: 5月17日(月)12時12分7秒
「蕪村による俳句の新化の主な面」とは草田男によると、「客観的絵画美の樹立」であり、ひとつは「漢語趣味と漢語の導入」ということになる。蕪村は直接の生活よりもむしろ教養から詩を汲み出してきたという。子規以来の定説で、「芭蕉は主観美において優れ蕪村は客観美において優れている」とのことだが、芭蕉はつまり自らの生活や体験から詩を汲み出したのに対して、蕪村は想像や気分や美意識や、そういったフィルターを通して現実と向き合い、そこから詩を汲み出した(そのゆえに、「小説的趣向」とされる作品群も出てくるのだろう)、ということになる。
草田男は、俳諧史上の「近代の誕生」を、「自我の発見」の芭蕉と「感覚の解放」の蕪村、というふたつの要因によって定式化し、そのことによって蕪村を「近代の詩人」として位置づけるのだが、そのような解放された感覚による「視覚的写生」が明治以降の俳句に大きな影響を与えたことは確かに歴史的事実だろう。そのような蕪村の資質のゆえに、そこでは「〈季題〉が〈文芸としての美〉を遺憾なく発揮した」のであって、そのことも近代の俳句の方向付けに影響を与えたに違いない。
葱買て枯木の中を帰りけり
この句について、芥川龍之介は「俳句に於ける近代はこの句より始まる」とした。だが、今の素直な眼から見て、これが「近代の誕生」とされることを、多くの人が納得できるだろうか。われわれの眼には特別新しい句には見えないこの句が実際に近代を始めたのだとしたら、それはわれわれが既にその近代を生きてしまっていることの証左なのかも知れない。
それにしても、「近代」という言葉は多義的で危うい。『蕪村集』が刊行されたのは、戦時下の昭和18年。「近代の超克」などと言われたのはそのほんの少し前のこと。そう考えると、ここの本で言われている近代もまた、あの戦争で指弾された「近代」と全く無縁のことだとも思えない。近代の俳句史ではなく、近代という概念をめぐる俳句史を誰かがきちんと検証する必要はあるのだと思う。
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押井守『これが僕の回答である。』 投稿者: 管理者 投稿日: 5月13日(木)18時03分21秒
アニメーションというひとつの表現技術にこれほどさまざまな試行の体験を持ち、そしてそれに対して思索をめぐらせている人は他にいないのではないかと思う。さらに、時代はデジタル技術の進展によって創られた映像と撮られた映像との境目が曖昧になろうとしている。まさに、彼はそういう意味で今後の映像文化の行方を見据えるのに絶好のポジションにいると言ってよい。
この本は映画ということに限らず、創作をする人間の心得として読んでも面白い。「見知っているものが多ければ多いほど映画っていうのは力を持つ」「アニメーションの監督というのは、技術的なテーマとかシステム的なテーマをもたないと自分のなかに仕事を続けていく意味性を持続できない」「『このカットがなぜ、ここに必要なのか?』ということを現場の人間に納得させられるだけの理解に到達していて、初めて〈技術〉と言い得る」「映画監督が映画をつくる最大の動機は『自分の観たい絵を観てみたい』というところにある」「(絵コンテを)一日に必ず十枚は描く。そして、絶対十枚までしか描かない」――。こういった発言は、創造といったものに携わる人間にとって非常に示唆に富むものばかりだろう。いずれにせよ、知識と経験と思索と、そして情熱。そういったものがものを創りだすことに必要であることは、きっとどのジャンルでも変わることはないはずだ。

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