歩くこと。ただひたすらに歩くこと。それは単純なことに見えて、意外に人の思考や精神に大きな影響を与えているのかも知れない。秩父三十四ヵ所の巡礼道も、もともとは修験道といったものに根っこがあるらしい。確かに昔から修験道とは、山を歩くことをひとつの大きな主眼にしているようだ。
考えながら歩き回っているということは、少なくとも僕にはよくある。よいアイデアが浮かんできて乗ってきたとき、自然とうろうろと歩き回っていたりする。その場合は思考が歩行を誘導したということになるのだが、実はそのふたつには密接な関係があるのかも知れない。とすると、歩くことが思考を誘導するということもありうる。
歩くこと。ただひたすらに歩くこと。巡礼に来る多くの人は、なんらかの悩みや迷いを持っているからこそ、巡礼に来るのだろう。人々は迷いながら、悩みながら、そして祈る。祈り、そして歩く。そこには思考もしくは想念と歩行との不思議な融合がある。
秩父の巡礼道の歴史は古く、13世紀頃まで遡るという。何百年もの間、その巡礼の道は多くの人の祈りを受け入れてきたのだ。そして、それぞれの札所にもそれぞれの「縁起」がある。和歌の道に迷うものが、その奥義を教えられたという札所まである。いずれにせよ、これほど多くの人の祈りを何百年にも渡って受け入れてきたという、その事実には驚嘆せざるを得ない。歩くことと祈ること。その生理的なレベルでの融合こそが、巡礼という場なのかも知れない。

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