対談というよりは、仏教のことを河合氏が中沢氏に聞きに行くという趣旨で、しかも中沢氏は自身のことを「仏教学者」ではない、と言っているくらいなので、かなり仏教についての大胆(?)な見解が中心となった本である。セックスやオナニーに関するブッダの話など、実際に仏典にそのようなくだりがあるのであろうが、こうやってあらためて本で読むとやはりびっくりする。確かに、真言立川流みたいなものもあるくらいで、性と仏教の関係は、一筋縄ではいかないものがある。
仏教だけに限らず、さまざまな宗教は進化すると最終的には神秘主義に到達するのだ、と言う。それはそうに違いない。そして、仏教もその深奥に神秘主義を持っている。神秘主義というか、ある特定の精神的段階(悟り?)に到達することを、システマティックにその中に組み込んでいる。その際にはさまざまな方法があって、前述の真言立川流みたいにセックスをその手段とする場合もあれば、なんらかの肉体的限界を突き詰めることによってその境地に達しようとする場合もある(ちなみに、ブッダは肉体を「仮死」状態にまで追い詰めることによって悟りに達するとするヒンドゥー教の方法を否定したそうだが)。だが、基本的な手段はもちろん「瞑想」であり、もっと言えば「呼吸法」。呼吸法は脳の古い層を活性化し、「大脳新皮質」の活動を停止させるそうだ。ドラッグでも同様の境地に達するらしいが、それを中沢氏はヘリコプターでいきなり頂上に行くようなもの、とする。
あるいはこんな話もある。密教では、ブッダは二種類の教えを説いたという。一般の人には「否定」を積み重ねることによる迂遠な離脱の道。しかし、一部の精神的にすぐれた人には密教の体験を「肯定」的に直接に教えた、というのだ。この話の真偽はともかく、仏教が見せる多面的な姿をどこか納得させる。時にきわめて難渋にも見え、時に驚くほどシンプルにも見える、その宗教の本質的な何かを。中沢氏はこんなことも言っている。仏教のよいところは、「人間の思考のいちばん始まりの状態」と「いちばん発達した状態」をひとつに結合できるところだという。なるほど、仏教の多面性を、それはうまく言い表しているかも知れない。
そして、中沢氏はまた、今の時代の新しい仏教が必要だとも言う。「創造的なアニミズム」に立脚した、仏教の「アフリカ的段階」・「縄文的要素の発掘」・「新しいかたちの神仏習合」・「エコロジカル仏教」。確かに、江戸時代に国家制度の中に組み込まれていった仏教は、どこかその本質のよい部分を見失いかけている印象がある。だが、勿論それは仏教自体が駄目だということでもない。仏教の持つよい部分を、今の時代に合わせて再生させること。そして、それは意外に仏教の古い地層の中に埋もれているもののような気がするのだ。

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