千日回峰行というのは、以前テレビでその様子を見たことがある。毎日相当の距離を歩き回るということ自体がまずすごいが、なにがあっても中断できない決死の行というのもすごいし、その上その日数も総計距離もとにかく半端ではない。七年間で地球一周分を歩き回るのだという。多いときには一日で八十四キロの日課になるそうだから、一日十キロ程度を歩いてひいひい言っている僕にはまったく想像もつかない。
とは言え、まったく接点を持つことができないほど想像以上というわけでもない。基本的にはこの行は、歩くこと、そしてさまざまな寺社仏閣を巡拝すること、を主な構成要素としている。苛酷さも真剣さも格段に違うのだろうが、それでもその行為は多くの民衆たちが繰り広げてきたあの霊場巡拝とどこか繋がるものがある。千日回峰行でも実に多くのものを巡拝する。比叡山でもその数は280箇所もあるのだそうだ。対象は寺社だけでなく、自然物にも及ぶという。僕にはとうてい足下にも及ばない偉業の業だが、しかしその世界観にはどこか共感できる。
それにしても思うのだが、この「歩く」という単純なる行為には何か物理的な意味以上の意味があるように思えてならない。宗教者たちも文人たちも、太古からひたすら歩いてきたのだ。勿論、単純にそれに代わる交通機関もなかったという事情はあるだろうが、やはり何かそれ以上の意味があるようにも思える。

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