日本におけるさまざまな聖地や霊場と呼ばれるような場所をルポした本、といったような感じになっている。選ばれている場所は、恐山、足摺岬といったいささかおどろおどろしいところから、伊勢・出雲・日光・那智といったような定番的聖地、そして宮古島や屋久島といったやや自然的な聖地まで広く含んでいる。
このような日本の聖地の歴史を見ていると、古来の神道で崇めていた山などに仏教(というか修験道)の人々が分け入っていき、やがては神仏混淆の聖地として発展していくというパターンがいくつも見て取れる。日光も那智も基本的にはそうだ。そのような神仏混淆は日本全土に広く見られたはずなのだが、明治の廃仏毀釈でそのような姿が見えにくくなった。神道自身のあり方も少なからず変わったようだ。してみると、今我々が日本固有の宗教の姿と思っているものが、少なからず古来の姿とは違うという可能性もある。特に国家神道というものは、古来の姿を見えにくくしているところもあるように思う。
古来の神仏混淆の中での日本の宗教というのはもっと雑多なものだったようだし、ある意味で俗な部分も多かった。そしてその中で、芸能といったものとも分かちがたく結びついていたはずだ。西行も、もっと下って念仏修験の一団も、修行と芸能がどこか一体になっているようなところがあった。そう考えれば、神道と仏教、さらには宗教と芸能、といったものをそれぞれにカテゴライズしてしまったのは近代国家意識の副産物でしかないのかも知れない。そのようなものが渾然となった古い時代の意識について考えてみることは、けっこう大切なことのような気がする。

0