考えてみれば確かに菩薩や明王にはいろんなものがあるのに、なぜか観音、地蔵、不動は日本人の間では非常にポピュラーな信仰対象となっている。特に不動については、インドや中国ではあまり見られない、かなり日本に特有の信仰らしい。
そしてそれらのうち、観音信仰は特殊日本的な発達として「三十三ヶ所」巡礼という文化を生んだ。その根源は修験道的霊場にあるらしいが、さらにそのような巡礼が大衆化し、その文化の上にさらに特殊な風習が積み重なり、「三十三度行者」という職業的巡礼行者や、あるいはある地方(京都向日町物集女)では成人の通過儀礼として三十三ヶ所を廻るといったものまで発生した。なんとも不思議な湿度に満ちたその風土的な感じが面白い。信仰と文化と共同体、そして風土。「三十三度行者」など、考えてみれば「三十三ヶ所」を「三十三回」廻るという実に単純な発想だが、それが職業として成立し、しかも三十三回廻ることによって「満行満願」となり引退すると、今度はその職業を引き継ぐものが出てきたというのだから、なんとも面白い。地蔵に関しても、「地蔵盆」の風習があったりと、日本の信仰に結びついた風習はなんとも興味深いものが多い。
逆にこの本を読んで初めて知ったのだが、水子地蔵の風習は実は古いものではないらしい。江戸の頃には水子は床下に埋めたりしていたそうだからまたこれも興味深い。水子が地蔵と結び付けられて手厚く葬られるようになったのはどのような経緯なのか、どこか作為的なものがあるような気もしなくもない。

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