サリン事件を中心とするオウム真理教事件も、気がついたらもう十年以上過去のこととなってしまっている。今になって振り返れば、あの焦燥感はなんだったのだろうという気がする。やはりいろんな意味で世紀末的な事件だったのだろう。
ノストラダムスの予言というものがもう数十年も前から騒がれていて、地球が滅亡するというのを百人が百人信じていたとは思えないが、そういうこともありうるかも知れない、あるいは滅亡はしないにしても、何か第三次世界大戦かそれに近いような大きな出来事があっても不思議ではないと思っていた人はそれほど少数でもなかったはずだ。その世紀末の感覚が、オウムの一連の事件の根底にあることは多くの当事者たちが証言していることだ。であるからこそ、オウム真理教事件とは間違いなく同時代の事件であった。
そもそもオウム真理教が脱線し始めた、その遠因がまずこのハルマゲドン幻想に直接的にある。教団でたまたま事故死者が出たとき麻原は、この事件が発覚することによって教団の活動に対するさまざまな支障が生じ、結果としてハルマゲドンに対する「救済計画」が遅れてしまう危険性が高いことを理由として、この事件の隠蔽を命じる。この隠蔽が次の隠蔽を生み、次第に雪だるま式に教団の悪行が膨らんでいったのだ。ハルマゲドンを乗り越えるためには、多少のことには眼をつぶる、その発想が徐々にそして果てには無制限に近いほどに肥大化していったのがオウム真理教事件であったと言ってもそれほど間違いではあるまい。言ってしまえば、サリンを製造したことにも、さらにはサリンを散布したことにも、その背景のどこかには常にハルマゲドン幻想があった。偉大なグルという幻想は、壊滅的なハルマゲドンを救うという幻想がなくしては存在しえなかったはずだ。そのようなグル幻想は、秘教的な幻想でもあるため、犯罪的なものとも確かに結合はしやすい。犯罪遂行のための過酷で常人離れした行為と、そしてその秘密を一部の人間のみが共有すること。その要素は実は秘教自体が持つ要素とそっくりではないか。
そしてもうひとつ、この本の解説で面白い指摘だと思ったことがある。そのような地球規模のハルマゲドンを救済するのが麻原だという幻想の裏には、日本民族というものに対するひそかな自負(ある意味での選民思想)が潜んでいて、さらに、その背景には「バブル時代の優越感」が尾を引いていたというのだ。
またさらに、ハルマゲドン幻想の背後には決してノストラダムスやその他宗教的なものばかりが潜んでいたわけではない。オウム真理教の人たちもそうだが、実はサブカルチャー的なものがそのようなハルマゲドン幻想に大きな影響を与えていた。『風の谷のナウシカ』、『北斗の拳』、『AKIRA』、などなど挙げればきりがないほど、そのような題材を扱った作品は多い。
つまり、オウム事件の裏には、核の恐怖に怯える時代に生きたこと、その中で育まれたサブカルチャー、そしてその裏返しのような浮ついたバブル経済、そのような要素が複合的に絡んでいたのだ。そう考えれば、これは明らかにわれわれの同時代の事件であった。確かに表面的にはまったく想像もつかない異端で奇怪な現象かも知れないが、根底には間違いなく同時代的な要素がいくつも潜んでいる。そのことを、事件から十年以上経った今こそ、冷静に考えてみたいと思うのだ。

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