今、上野でやっている仏像展を基にした特集だが、仏像というものは面白い。雑誌が芸術新潮というところからもわかるように、あくまでこの本では美術品としての仏像にスポットを当てている。しかし、実際には当然仏像であるからそれは宗教的存在なのである。美術的存在であると同時に宗教的存在であるもの――それはしかし、本当に二面性なのだろうか。二面的であるのは、実は現代的視点から見るとそう見えるだけで、そもそも芸術と宗教はほとんど一体のものではないかという気もする。そんなことをあらためて考えさせてくれるから、仏像は面白い。
ところでこの本では中国から伝わった仏像を日本人がどのように受容し、そしてそれをどのように作り出していったかという、いわば仏像の持つ工芸品的な側面について縷々解説をしていて、これもまた面白い。当初日本人は、金属であり、土であり、漆であり、といったもので仏像を作っていたのだが、いずれそれが木という素材にほとんど置き換わる。主に用いられたのが、カヤだったという。木を使うということは単に美術的・工芸的な適性だけでなく、木はもともと日本人にとって「神霊のよりしろ」という意味があり、そういう意味でも必然であったのだという。特にカヤは群生しないという点から、そのようなよりしろに相応しいそうだ。
なお、木で作るのにも一木彫と寄木造がある。面白いことに、一木彫のものには「現世利益の仏」である薬師や観音の像が多いという。木の持つ霊威をそのまま引き出すという発想があるのだろうが、さらにその延長に鉈彫という技法がある。そして、このような感覚を引き継いだのがやはり円空や木喰だったに違いない。仏像はさらに工芸品に近くなり、その素朴な分、原始的な樹木信仰に近づいているようにも思える。どこか日本的な神仏習合にも近い感覚がそこにはありそうだ。
いずれにせよ、仏像というもの自体は確かに外来のものであるけれど、その後の仏像の発展は実に日本的な受容をしている。中国や他のアジアの国の仏像は極彩色のものが多くて、今の日本人の眼から見ると驚くことがあるが、それは日本の仏像が日本的発達を遂げてきたことの証拠でもあるだろう。少なくともある時代以降の仏像には、確かに日本的心性がよく発現されている。

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