《握ると手を深く切って血の止まらない草が、上る径に生えているので、
私たちは軍艦山にはあまり行かないのだ。》
言ってみれば単に食べ物を題材にした随筆を集めた本、ということになるのだろうが、それにしてはあまりにも美しく幻想的な本だ。特に戦前もしくは戦中のものと思われる時期を題材とした随筆は、下手な幻想小説など足元にも及ばないくらい、本当に気絶するくらい美しい文章になっている。それが戦前もしくは戦時期という時代に原因があるのか、あるいは作者自身の少女期という成長過程の一ステップであることに原因があるのか、おそらくはその両方かも知れない。たぶんその二つの原因が重なり合いながら、そこでの文章から立ち上がる時空は幾重にも重なるプリズムの向こうのもののようである。
戦前的時空。それはきっと、いろんな闇がもっと身近にあったのだろう。闇を抱えながらそこには不思議な秩序というか、空間の序列があった。その序列が、時空に適度な湿り気を帯びた整然たる輪郭を与えていた。あとがきで著者自身が、子供の頃に天井裏にお雛様が仕舞われていると信じ込んでいたエピソードがきっかけとなって随筆を書いたことを紹介している。だが、まさに戦前的時空とはそのようなものであった。暗がりに座る民俗的秩序。というより、暗がり自体が民俗的秩序とイコールであり、ついでに言えば時空全体がその暗がりに支配されていたから、つまりは時空全体がそのようなぼんやりと暗い民俗的秩序そのものであった。「長火鉢」ひとつ取ってみても、そこにはきちんとそれにまつわる座席というか空間の序列が固定されていた。雛人形は出される時期と仕舞われる時期、そしてその仕舞われる場所もきちんと決まっている。あるいは、「雨が降ると、どの部屋にいても、びっくりするほど大きな音」がする、「柱時計がよく止」まるので「隣へ時間を走って聞きに行く」、そして便所は「するりと便壷へ吸い込まれてしまいそう」な、そんな「海岸の家」。すべての空間に、人智の及ばない暗がりめいた秩序があって、人はどこかみなそれを恐れ敬いながら生きているような社会の時空。
そのような戦前的時空に、少女的時空が重なり、その文章は現実と幻想の境を跳ね回るような活力と陰影を同時に孕んでいる。いずれにせよ、この随筆集の美しさは特筆されるべきであろう。