川端康成というのは不思議な作家だ。この人の作品は、一見すると落ち着いた、ある意味ではオーソドックスな、無難な、小説であるように思える。確かに、ノーベル文学賞であり、あるいは多く映画にもなった『伊豆の踊子』であり、といった周辺情報がそのような印象を抱かせもするのだろう。
だが、川端の作品はとんでもない企みを秘めている。この人の作品は、そこはかとない魔界・冥界の力をいつも密かにたたえている。そういったものを直接的にはどこにも描かないだけに、戦術としては周到であるとも言えるのだが、この人の作品は生半可なSF作家なんかよりもよほど魔術的な何かを秘めている。
この本の中の解説で、石田衣良が「川端は場の作家だった」と言っている。勿論、あらゆる芸術作品において「場」の力とは必要なものに違いない。だが、川端は「日本の山河を魂として」と自ら語ったように、その「場」の力にきわめて自覚的であったと思うのだ。その場の力に自覚的になることによって、妙な細工をしなくても作品はその場の力によって自然に魔術的な力を持つ。
あるいは、角田光代は「大人にならないと川端康成を読むことはできない」と言っている。それは「成熟」ということではなく、「この世界には醜悪なことや煩雑なことや、絶望や不安や妬みや諦めや、そんなものが渦巻いている、というそのことを、もしくはその気配を、脳味噌でなく体で知らないと、彼の小説は読めない」のだ、と言うのだが、それはまったく正しい。場の力、そして人間の感情の渦巻き(これもおそらくは場の力と大きく結びついている)、それを一見無難にも見える手つきで描きながら、そこからひしひしと立ち上がる魔術的な力を抽出して見せた川端。川端こそは、僕が敬愛する作家の一人でもあるのだ。

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