鬼やらい塩煎餅をばりんばりん 河原珠美
法医学のように二月の観覧車 守谷茂泰
額縁に入らぬ顔や春炬燵 峠谷清広
春のように笑う猫とか欲しいです 村田ミナミ
「とか」というのは、かなり俗な話言葉かと思う。少なくとも、きちんとした文章にはあまり登場しない。こういう俗な言葉を使うことによって俳句が生きる場合もある。仮に「春のように笑う猫など欲しいです」としてみよう。とたんに俳句全体が平板になってくるように思えるのは気のせいか。あるいは、「春のごとく笑う猫など欲しくあり」と、思いきって全部文語にしてみよう。果たしてこれでもこの句は面白いのか。
当然かも知れないが、俗な話言葉を導入したほうが、現代を生きる人間の気持ちの動きが感じられる。文語的な表現は、外界を静的に、端正に捉えるのには向いているように思うが、気持ちの動きを描くのであればむしろ口語的な表現が適しているようだ。多分、風景を描く場合にはある決められた場所(あらかじめ決められた、美の領域)に向かおうとするのだろう。それに対して、心の動きはもっと自由で微妙だ。掲句で言うなら、一句めの「ばりんばりん」も「とか」に似たような効果を持っているだろう。この「ばりんばりん」があるがゆえに、今を生きる人間の気持ちの動きが見えてくる。

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