黄霊芝『台湾俳句歳時記』 投稿者: 管理者 投稿日: 7月24日(木)09時44分16秒
台湾人による、日本語で書かれた、日本語俳句の歳時記。奇妙な本であるような気もするが、考えてみれば日本語という言語にとって奇異に見えるだけで、例えばこれが英語やフランス語、スペイン語だったらそれほど奇異にも見えない。要は日本語が世界言語でないから変に見えるというわけだ。
それはともかく、この作者の語っていることが興味深かった。日本の植民地下の台湾では、さまざまな人種・方言が入り乱れていたため、かえって日本語がその共通語としての役割を果たした。かくして、この作者は台湾語よりも日本語のほうが達者という言語環境に育った。だが、日本の敗戦によって、台湾の人たちは日本語を禁じられ、かと言って実は台湾語ともまた違う、北京語を強制された。そのことの是非を問うつもりはないが、その過程でこの本の著者は深い挫折を味わうことになる。というのも、「もと小説家をこころざしていた」という彼は、この日本の敗戦によって必然的に「文盲となった」。突然、大陸から来た新しい支配者たちによって文盲にされてしまった彼には、皮肉なことに旧支配者の言葉である日本語しか残されていなかった。だが、彼は言うのだ。日本語で書かれていたとしても、それは間違いなく台湾の文学である、と。日本人がフランス製の絵の具で書いてもそれは間違いなく日本人の絵画であるように、台湾人の彼が日本語で書いたとしても、それは間違いなく台湾人の文学なのだ、と。
実際、かなり軽妙な語り口で書かれているこの本は、縦横に台湾の風土を「台湾の季語」として取り上げ、非常に味わい深い本となっている。日本の歳時記を読んでいても、僕などがまだまだ知らないような地方の風習などを知って感心することがあるが、まさに一冊まるごとがそのような本なので、読みごたえあり。まさに季語が小宇宙であることを実感する。
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村上春樹『海辺のカフカ』 投稿者: 管理者 投稿日: 7月 9日(水)12時05分59秒
村上春樹は、一体どこに行こうとしているのだろう。おそらく、彼はあの一連のサリン事件インタビューを経て、現実的な社会というものにより直接的にコミットしようとはしているのだろう。少なくともある種の「社会性」といったものに対する意識が作品の中に見えてくる。
だが、そのアプローチの方法はやはり独特のもののように思える。世界とフィクションの折り合いをどうつけるか。つまりはフィクションにおける世界の輪郭をどのように取るか。村上春樹は、いろんな方法でどこか既成概念的な言葉が作り出す世界の輪郭を破ろうとしているようにしているようにも思える。それは、共同体的な「事件」(記憶を失う子どもたちの話、等。ヒルが降ってくる事件だってその範疇に入るだろう)を起こすことだったり、あるいは残酷な事柄(猫の解剖、左翼学生に殺される男)だったり、幽霊だったり、奇妙な固有名詞を使う(ジョニー・ウォーカー、カーネル・サンダース)ことだったり――、つまりは言葉や物語が収まるべきところにあえて収まらないようにしているのが、このようなやや不自然とも見えるさまざまな事柄の帰結ではある。僕の眼には、このオイディプス的なストーリーでさえもこの小説の中では素直に伸びていかないように思えるし、さらに言ってしまえばこの小説の主な舞台は四国の高松なのだけれど、その土地の匂いすらがあまり伝わってこない。
小説は、オウム事件の前に何ができるのか、という赤裸々な問いを村上春樹が綴ったときから、数年。少なくとも、この小説だって、その問いに対する回答のひとつの試みではあるばずだ。だが、このように断片を積み重ねる形で抽象性に遡っていくという方法しか、現代の日本を舞台にした場合にはできないのだろう。既存の言葉に小さな風穴を空けることによって抽象性に立ち向かおうとした試みもやはり、オウムという巨大な抽象性の前には、いかにも非力なように見えてしまう。
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村上春樹『スプートニクの恋人』 投稿者: 管理者 投稿日: 6月 9日(月)09時49分17秒
《「ねえ」とすみれは言った。そして微妙な間をおいた。ペテルスブルク行きの汽車がやってくる前に、年老いた踏み切り番が踏切をかたことと閉めるみたいに。》
今の眼から見ると、春樹調というのは少しばかり鼻につくところがある。それは勿論、著者自身が悪いというよりも春樹調のエピゴーネンがたくさん出てしまったあとの時代にいるから鼻についてしまうということで、決して著者自身が悪いわけではないように思う。
だが、この人物の造形の仕方といい、世界の縁取りの仕方、文章の輪郭の作り方、何から何まで素直に馴染んでいけなくなってしまったのは、一体全体どういうわけだろう? 一言で言ってしまえば、スノッブさゆえ、と言ってしまえなくもない。今の小説の世界には、もっともっと等身大の言葉が溢れている。村上春樹と同じような手つきで世界を腑分けしながら、しかももっと生活実感のある物語を紡いでいる人が既にいる。いや、ひょっとするとそんなような人たちも春樹がいたからこそ、そのようなことができるようになったのかも知れない。しかし、時計のねじはもはや元には戻らないとすれば。
とは言え、おそらくこれはスノッブというだけで片づけてはいけない問題なのだと思う。おそらく、春樹が彼の手法を始めたときに腑分けできる世界はこのようなものしかなかったのだ。それは、消費社会の浸透というものと大きく関係しているように思う。消費社会とは、当然ながらもともとスノッブなものだ。だから、当初の春樹調はともすればスノッブとも見えてしまう世界を形作った。だが、時とともにその消費社会的文法が世界の末端にまで浸透し始めたとしよう。そのとき、春樹的手法は普遍的なものとなり、彼のエピゴーネンでなくとも彼の方法論を踏襲することができるようになるというわけだ。
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『ユリイカ2003/06 特集・Jポップの詩学』 投稿者: 管理者 投稿日: 6月 3日(火)10時00分40秒
Jポップに関して言うなら、意外とそれと日本語の関係における問題点というのは明白で、つまりロックなどの音楽を無理矢理導入したことによって言葉と音楽の間に何らかの乖離が生じているということ。この本でも端的に示されているように、そのとき歌詞は英語になりたかったのである。そういったちぐはぐな状況の責任を音楽の側に負わせるべきか、言葉の側に負わせるべきかは難しいところだろうが、ともかれ結局のところ、「音楽と言語のリンクが切れている」(近田春夫)というのが今のJポップをめぐる状況なのだ。そして、歌詞の世界では結果として意味の希薄化とでも言うべき事態が生じる。要するに、歌詞なんかどうでもいい、あるいは少なくとも歌詞というものを普通の散文の延長のものとしては捉えていない(主体の希薄化?)、といったような状況を聞く側も作る側もどこか前提としてしまっている、ということである。それには、おそらく過渡的な段階として松本隆的な「カタログのように」言葉を集めた希薄な歌詞空間を作るという時代があり、そのあとにJポップが来た、ということになるのだろう。
面白かったのは、このようなJポップの歌詞世界に対して多くの批評家がやるようにテキスト論的な歌詞分析を繰り広げることの違和感を幾人かの人が表明していること。それは、上記のような音楽の現場を見れば頷けることで、なのに批評は旧来的(テキスト論的?)な歌詞分析から「内面」や「状況」といったものへのなんらかのコミットメントを抽出し、「これはもはや現代詩を越えた!」的な発言を繰り返している。ミュージシャンの側から見ればアホかいなという感じだろうが、文学の側はJポップ文化にそこはかとない劣等感を感じ続けているわけなので、この状況はなかなか変わらない。今、必要なのはこのような旧来的な劣等感やそこから来る方法論を極力排除して「音楽と言葉のリンク」を再度模索することではあるまいか? あるいは、そのようなリンクを探そうとする意志自体が古臭いものなのだろうか?

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