梅雨の街池あり出発しようと思う 谷佳紀
冒頭、谷氏による日野草城論が掲載され、興味深く読んだ。生き方に強く脚光が当たる俳人というのは意外に多いように思うが、日野草城もまたそのような俳人であろう。境涯俳人的な印象も確かに強いが、一方でかなりの「先駆者」でもあった。だが、その「先駆者」としての行為も、作品としてよりはむしろ行為として強く後世に印象を残しているように思うのだ。山頭火にも似た、生き方として強く俳句史に残る俳人。そこには、実は山頭火にも似たある要素がある。「自在」と「受難」(悲劇)ということ。草城にも山頭火にも、その人生にはそのふたつの要素が強く現れているように見える。であるがゆえに、人々はその人生に興味を持ち、その俳句は境涯性を持って見られるようになる。
生き方が作品にとってどういう価値を持つべきか、それは議論があるところだろう。あくまで作品は独立して評価されるべきという考え方もある。だが、生き方も含めてそれが芸術だという考え方があっても別に悪くはない。少なくとも、山頭火や草城を見ていると、そんな感慨に囚われる。

0