『ワールドミステリーツアー・東欧篇』 投稿者: 管理者 投稿日: 9月22日(月)09時42分29秒
東欧というのは、冷戦の時代には地理的・文化的な区分というよりはむしろ政治的な区分というニュアンスが強く、その頃の東欧はほとんど文化的な空白地帯のようなイメージすらあって、従ってあまり興味もなかったのだれど、冷戦というものが明けてみるとそこには意外に魅惑的な東欧像が息を吹き返してきた。実際、西欧から見て深い土俗の方に根を下ろす方角がおそらく東欧の方角なのである。ドイツなどでは、「東」ということに対する差別と畏怖が入り交じった感情があるようだが、まさしくそのようなものとしての東欧だ。この本では、東欧に残る吸血鬼伝説などを中心にそのような東欧的土俗をルポルタージュする。吸血鬼伝説のメッカとも言えるトランシルヴァニア、ブルトンが「古いヨーロッパの魔術の首都」と呼んだプラハ。ハプスブルク、ロマノフ、その他滅んでいった悲劇の王族。戦争やその他の血塗られた逸話が残る古城。
西欧というものは、このような東欧的な想像力の活力を貰うことによって生きてきたのではないかとさえ思う。実際、ストーカーの「ドラキュラ」は、そのラインを忠実に奥深く辿ることによって成立するではなかったか。
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谷克二『ベルリン』 投稿者: 管理者 投稿日: 9月22日(月)09時41分14秒
ベルリンは、実はそれほど長く豊かな歴史を持つ街ではない。パリやウィーンほど、絢爛とした長い歴史の集積があるわけではない。プロイセンの首都、もしくはドイツ帝国の首都としての歴史は勿論ある。だが、それはどこの国の首都にもあるようなレベルの平凡な物語でしかない。
ベルリンという街に特別の表情を刻み込んだのは、ナチスの首都としての顔、そして街全体が激しい戦闘に巻き込まれ、さらにその後に二分されて壁を構築され、今また統一ドイツの首都として再生する、というまさしく数奇としか言う他はないこの百年足らずの歴史である。現在連邦議会堂となっているライヒスタークなどはその典型と言ってよいだろうが、ヒトラー時代の放火事件、第二次大戦時の攻防戦、そしてすぐ隣接地を走った「壁」、そして統一後の新しい形での修復、とどこの国の議事堂も持っていないような濃厚で特異な記憶をその中に刻み込んでいる。ドイツ人たちは、歴史的な建築物を時には時間をかけて忠実に修復し、時には廃墟のまま丁寧に保存し、時には跡形もなく消去し(これは共産主義政権のおかげだが……)、時には現代的な視点からダイナミックに生き返らせる。
華やかで由緒ある歴史なら、ベルリンは昔から今に到るまで、どうしたってパリやウィーンには及ばない。だが、ベルリンにはパリやウィーンにはありえない運命的とも言える奇怪な記憶がある。激動の二十世紀を象徴的に刻み込んで再生したベルリンの街は、まさしく二十一世紀都市の名がどの街よりも相応しいように思える。
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藤井貞和『ハウスドルフ空間』 投稿者: 管理者 投稿日: 9月18日(木)10時30分51秒
《跡地を郵便局にする話が進んでいる》
詩にはあまり明るくないのだが、それにしてもこの詩集に収められた詩たちは「難解」の部類に入ることは間違いない。なぜ難解になるかというと、著者自身も書いているようにそこには「実験の思い」があるから、である。素直に書く、素直に伝える、素直に伝わる――そういったものに対してどこか背を向けた作品――それがだいたい「実験」として難解と呼ばれることになる。とは言え、作者にとっては素直に書いていないというわけでもなったりもする。普通の形での素直になっていないだけで、作者自身にとっては充分素直なつもりということもある。
ところで、なぜそのような「実験への思い」が生まれるかというと、それは一方に澱んだ錘のような定型感があるから、である。これに対する苛だたしさが、人をしてどこか素直でなくすことがある。僕は昔から思っているのだけれど、現代詩ほど定型感にまみれてしまった文芸領域は他にないのではないか(少なくとも日本では)、と思っている。それは俳句や短歌などよりも実は根深く定型化しているような気がする。その定型化とは、言葉のトーンの定型化であり、言葉の運びの定型化であり、もっと言ってしまえばそのような言葉を紡ぎだす自意識の動きの定型化である。だいたい一般的な風潮から言って、「詩人」という呼称は我々の日常生活では嘲笑的な言い方として用いられることが圧倒的に多い。「あいつは詩人だからな……」というのは、ほとんどの場合誉め言葉ではない。この嘲笑とは、実は詩人的な何かが硬直的なほどに定型化していることの裏返しである。
それにしても自由詩から出発したはずの近代詩・現代詩に硬直的なほどの定型感が感じられるというのは不思議な話だ。そうなってしまうほど、近代の日本語に拠り所らしきものがなかった、ということかも知れない。そう考えると、我々は実に脆い言葉を使っているということにもなる。
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鈴木博之『日本の【地霊】』 投稿者: 管理者 投稿日: 9月17日(水)09時38分34秒
「地霊」と言っても、建築の研究者である著者が言うのはむしろ「土地の記憶」といった類のものであり、その土地が持つ「文化的・歴史的・社会的な背景」に対するまなざしのことを指している。ところで、このような建築史的視点というのはなぜだか妙に納得することが多い。例えば次のようなコメント。「土地の物語にとって、不幸のはじまりは近代である。近代の成立こそ、土地から個性を奪ったもっとも大きなできごとだったからである。」理屈で解釈していけば、職住分離といったことであったりといったことを指すのだけれど、近代というものをある「不幸」の起源とする考え方はどうにも魅惑的だ。近代という概念が持つ、ある種の潔癖症にも似た性質が現代においてひそかに抑圧された不幸の起源になっているという例は、別に建築や地誌だけに限らずいくつもありそうな気がする。実を言うと、この近代の潔癖症が嫌いなわけでもない。この潔癖症にはある種の麻薬性みたいなものがあって、つまりはこれが近代というものを押し進めた原動力に違いないのだけれど、やはりそれが「不幸のはじまり」だったのだと言われると、どうにも納得してしまうようなところもある。
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保田與重郎『改版 日本の橋』 投稿者: 管理者 投稿日: 9月12日(金)10時57分51秒
「西歐を知らない私は、たゞ恥しげもなく日本を知つてゐると語らう」。この一文は、いかにも保田を象徴している言葉だ。西欧の橋や建築に見られる「征服や人工」でなく、日本のそれに「自然」を見る保田。絵画においてすら、彼の地のものは「藝術といふ非情冷血のもの」であるのに対し、日本においては「人の世のおもひやりや涙もろさを藝術よりさきに表現」しようとする。そこにあるのは常に、「自分を自然の中に表現する(征服)代りに、自然が自分を表現してくれるといふ考え方」なのである。勿論、そのような西欧と日本を比較して、そこに優劣をつけるべきかどうかということは問題になりうるだろう。実際、こういう比較は極度に卑屈になったり極度に傲慢になったりしがちなことではある。だが、少なくとも保田の言った、「我々のもつて生れた歌、子守唄としてきかされ、情緒化された歌を検討することなくして、何の新しい詩が、己の血の中に脈うたうか」という言葉にはひとつの説得力がある。
実際、日本のあらゆる古来の文化というものは自然とのゆるやかな接続をすべて前提として作られているように思う。そこに確かに日本の子守唄が、日本の情緒が、日本の美があった。そのような前提条件自体が崩れてしまいつつある中で、日本の芸能をいかに再構築していくかという問題は依然として残る。だが、少なくても過去に日本の芸能や文化がそのようなものであったという事実は、傲慢にも卑屈にもならずにしっかりと咀嚼していく必要があるのだと思う。

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