『木島始詩集』 投稿者: 管理者 投稿日:12月22日(月)10時57分29秒
《南京で あの日
頚動脈からの 赤さで 顔を染めたのだ》
詩とは、常に政治的アジテーションでなくてはならないのか。勿論、そんなはずはない。だが、少なくともある時期の日本の詩は、そのようなある種の政治的なアジテーションから力を得ていたことは事実のようだ。反戦・反権力、そのような言葉が持っている力は確かにある。この詩集の中でも、おそらくは満州にあった石井部隊を題材にしたと思われる「蚤の跳梁」、これはなかなか読みごたえがある。告発する力。その迸るような言葉の力は、確かに詩というものを支えるに充分だ。ひょっとすると、反戦・反権力といったお題目は無意識の方便だったのではないか、という気さえしてくる。少なくとも、告発の力をもっとも効力よく抽出できるのが反戦・反権力である、ということを詩人の感性が感知しないはずはあるまい。ちなみに、告発の反対に鼓舞という言葉の力もある。このような政治的アジテーションだって実は歴史の中でさまざまな国で使われてきたはずだし、実際保田與重郎がやろうとしたことはこのことではなかったか。
だが、歴史の歯車は日本の詩を告発の力で席巻してしまった。そのことの歴史的な評価はこの際問うまい。だが、そのことが日本の詩にある偏差をもたらしているような気もする。決して保田に戻れというつもりはさらさらないが、反戦・反権力を離れた詩の足場を、今の時代になって一体何人の詩人が見つけえたというのだろう。
--------------------------------------------------------------------------------
貞久秀紀『空気集め』 投稿者: 管理者 投稿日:12月10日(水)17時52分24秒
《わたしのことをはじめてみるひとらが
朝の奥ふかくから
暗記のように浮かびあがり
杖を育てながらのぼってきて》
「空気集め」というのもそうなのだけれど、奇妙な言葉を思いつき、そこに引っかかって他の言葉が動き始めるということはある。「ゴム癖」「母音党」「豆電球式」「空気玉」等々。このようなちょっとした言葉の隙間、世界の隙間を発見し、そこに詩的イメージを構築していく。「ふたつの極にはさまれたふわふわした幅のようなもの」として作者が位置づけているものがきっとそれに当たるのだろうけれど、このような試みを面白いと思う反面、詩というものがどこかあやういところに入ってしまっている印象も拭えない。それは、のっぺりとした無難な日常がどこまでも果てしなく続いている今の時代と、決して無縁のことではない。奇妙な言葉という梃子を使ってしか、その日常の表皮を剥がすことはできないのである。いや、剥がすという言い方すら適当ではなく、文字どおりその表皮の裏に隙間というか「ふわふわした幅のようなもの」を見つけた程度のことでしかないのである。そこには詩的イメージの諧謔牲はあっても、詩が放つべき慟哭だとか、そんなものは発揮のしようもない。それをあやういと思うのは僕だけであろうか。
--------------------------------------------------------------------------------
『茨木のり子詩集』 投稿者: 管理者 投稿日:12月 9日(火)10時04分20秒
《へっぽこ詩人は考えている
芭蕉というのは にっくき先輩》
抽象性の方向にすっとんでしまう詩というものもあるけれど、この人の詩はちゃんと地に足を着けて喋っている。しかし、その地に足をつけている背景には、戦争ということがある。直接戦争に行ったというわけでは勿論ないし、空襲などで極度にひどい体験をしたというわけでもないのかも知れないが、その銃後体験は書かれた言葉にひとつの濃度をもたらしている。それをもっとも端的に示しているのが、「わたしが一番きれいだったとき」だろう。自分の青春時代は戦争のために楽しいことがなかった、とはある年代の人の共通の思いなのかも知れないが、そのことを赤裸々な女性の匂いの中で語ってしまうこと。そしてこの人の詩にはいつもそのように強烈に匂いたつ何かがある。時代という背景を、常に自分の体を通して語る、そのことから来る匂いだ。そして、本人の実体験というわけではないが、中国から強制連行された「華人労務者」の実話に取材した「りゅうりぇんれんの物語」はなかなか圧巻だ。しかし、この物語は実体験ではなくとも、確実に「わたしが一番きれいだったとき」の延長上にある。
だが、このように匂いたつものが今の詩に仮にないとして、それを誰が責めることができるだろう。もはや共通体験としての戦争をもたない我々。その中で何かの匂いを求めようとするなら、それはひとりひとりの小さな穴に入ってゆくしかない。そこでは匂いと共感が両立しなくなる可能性が高い。別にこのことは詩だけに限った話ではないのだが。
--------------------------------------------------------------------------------
井伏鱒二『花の町/軍歌「戦友」』 投稿者: 管理者 投稿日:11月28日(金)17時41分3秒
戦時中に徴用された井伏鱒二は、占領下のシンガポールに赴任する。当時の日本軍によって昭南市と改名されたこの街で(ちなみに、当時ペナン島も「東条島」と改名されたのだというデマが流れたらしい)、井伏は「花の町」という新聞連載小説を書き続けた。勿論そのような背景であるから、そこに反軍・反戦的な色合いがあるわけでもない。と言って格別に軍を賛美しているわけでもない。「昭南市はいま非常に平和である」と井伏は書いた。確かに、この小説では徹底的に平和な占領下の街が描かれる。
おそらく井伏が平和だと書いたことは本当だったのだと思う。それは、シンガポールの街に、戦争の悲惨や残虐がもたらされなかったという意味ではない。だが、にも関わらずその一方で非常に平和な街の光景が井伏の目の前に展開されていたことはおそらく事実だ。それは、戦争や占領という中でも逞しく生きていこうとする市民の力に支えられている平和だ。日本語学校で日本語を学習する少年、仮名文字の看板を掲げようとする骨董品屋、そこに行き交う奇妙な日本語、英語、あるいは筆談。そういった些細な行為は、それぞれの市民がよりよく生きていこうとする知恵の結果にすぎない。戦争や占領という事実に真っ正面から向き合い、それを咀嚼する逞しさの総体が街を平和に見せる。そういう意味では、この同じ作者が戦後になって「黒い雨」を書いたのは不思議ではない。そこでは、一貫して市井の人々が持つ悲しみと強さが描かれているように思えるからだ。
--------------------------------------------------------------------------------
福永武彦・編『室生犀星詩集』 投稿者: 管理者 投稿日:11月21日(金)13時05分13秒
さう此処がジヤパンなの、
ジヤパンは暗いわね。
故郷と都会そして異郷、といったいくつもの軸の中で犀星の詩はいつも揺れ動いている。あるいはそれを繋ぐ、移動機関としての汽車もそこに含めてもよいだろう。そういったものを舞台として、犀星の言葉もまた口語と文語との間を行ったり来たりしている。故郷だから文語で、都会だから口語という単純な図式でもなく、あるいは文語文から口語文に移行していくというわけでもなく、ただ単に犀星の言葉はこの二種類の表現の間を往還する。口語文の完成してゆく時代とパラレルであったから、と言ってしまえばそれまでなのだけれど、少なくとも犀星は詩を書くにあたり二種類の言葉の選択肢を持っていることができたのだ。そして、現在の我々はおそらくそのような選択肢を持ってはいない。そのことは明らかにひとつの貧困なのだろうけれど、我々はこの貧困をいかに考えればよいのか。犀星が完全に文語詩を捨て去らなかったところを見ると、そこには口語文にはない何かの泉があるはずなのだが。
--------------------------------------------------------------------------------
川村湊『南洋・樺太の日本文学』 投稿者: 管理者 投稿日:11月11日(火)13時14分6秒
日本人はどうやら暗黙のうちに日本というものの輪郭を意識しているようだが、その意識を不可避的に拡張せざるをえなかったのが昭和初期という時代だった。結局その意識がしっかりとした着地を見ることのないまま、日本は敗戦によって再び極東の孤島の中に閉じこもったのだが、そのような拡張期にはやはり今の時代にはない何かがあったように思う。別にそのような帝国主義的伸張を評価しているというわけではなく、純粋に日本語もしくは日本文化の実験としては実に興味深いものがあった、という意味だ。
別に文学だけに限らず、戦後日本を作った人たちは満州などの外地での経験がその土台になっている人が多い。文学者で有名なのは安部公房だが、映画ではマキノ満男、内田吐夢、政治家では岸信介、吉田茂、等々ということになる。現実的な軋轢の対象として異文化と日常的に対峙したということは大きなことで、そんな経験はあとにも先にも日本には結局ないのだ。この満州体験もしくは外地体験というのは戦後の日本の中で脈々と生きていく。あるいは植民地としての樺太。樺太の文学史の記述は、チェーホフの「サハリン島」から始まるという。そのようなところに自らの歴史を下ろせる日本語文学とは、一体どういうことなのだろう。実際、樺太ではロシアの住民にもそれまでどおり居住する権利を認めたという。だから、そこにはロシア人やポーランド人なども住んでいた。そのような地での日本語文芸には、やはり興味をそそられる。
そしてそのような実体験に基づく意識の拡張が途絶えたとき、そこでの意識は切実な体験からはかけ離れたエキゾチシズムへと退行してゆく。確かに、日本における外地への意識というのは、「従軍」と「エキゾチシズム」の間に極端に引き裂かれている。ただ、作者の指摘ではこのエキゾチシズムというものも、日本の近代詩においては「正統的な詩の伝統」であるとするのではあるが。

0