もう二十年くらい前になるが、中沢氏を東大のスタッフに迎える迎えないで騒動があったときに、 「雪片曲線論」だったかの本が反対派の槍玉に挙げられた。彼らは、そこに書いている科学的知識の正誤を云々していたわけだが、そのときまだ助教授だった蓮実重彦氏が中沢氏を擁護し、「これは論文ではなく、小説なのです」と言ったという話がある。真偽のほどは知らないが、この本を読んでいると中沢氏は学者よりも詩人や小説家になったほうがよかったのではないかという気がする。いや、それは嘘で、本当はやはり宗教者が一番向いていたのかも知れない。
この本を読んで感心したのは、土地に対する感性の鋭さだ。東京タワーの周辺を「恐山」に似ていると言ってみたり、浅草の辺りを「アメリカ」に似ていると言ってみたり、言われてみればなるほど、というような指摘ばかりだ。そして、この本はそのような「土地の力」についての本である。そしてその「土地の力」を解きあかすために、東京の街に関するさまざまな土地の来歴を考察していくわけだが、その根本にある作者の思いは、「ひょっとしたら東京という都市の魅惑は、ほかの大都市ではすでに完全に見えなくなってしまっている人間の精神層が、なにかの理由で地表近いところにむきだしになっていて、そのためにいわば《野生の思考》と資本主義的な《現代の思考》がひとつのループ状に結び合って、東京の興味深い景観をつくりなしているのではないか」という点にある。そのことの真偽については、他の大都市を多く知る身でもない僕には判断がつかない。だが、彼にそのように思わせる何かが確かに東京という土地にはあるような気もする。いろんな変化をその体内に折り込んで来たこの街は、不思議な「残り香」をあちこちに漂わせながら、二十一世紀を迎えた。
いずれにせよ、東京という土地の力は意外に巨大で無気味だ。その中心にある皇居についても作者は興味あるコメントをしている。天皇は長い歴史の中でだいたいは平地に開かれた皇居に暮らしているのであるが、時に「深い森の中に身を潜める」。典型的には南朝の天皇がそうなのだが、実は明治以降の東京の真ん中にある皇居も、実はそのような「深い森」なのではないか、と作者は指摘する。それは「天皇霊」の力に結びつく「不穏なもの」を宿しているのだが、そのような「深い森」に身を潜めた天皇を街の中心に置いている東京とは、いったいなんという街なのだろうか。
不穏と言えばもうひとつ、東京タワーもそうだ。東京の真ん中にシンボルのようにそそり立つあの塔は、朝鮮戦争で廃材となった米軍戦車の鉄によって作られた。なんという不穏な逸話なのだろう。そのような塔から、あの明るいテレビの電波が次々と送られてくるというのだ。そして作者はさらに、そのような東京タワーもあるいはさまざまな大学も、みな古代の宗教的装置のあった土地に建てられているとも言う。
ともあれ、この東京という街は想像以上に確かに不穏な何かを宿している。そのことを宗教者としての中沢新一は、的確に感受して見せたのだ。

0