いわて春風組
TEAM HARUKAZE
◆ なにがどうなったのか分からないが、2004年10月2日 私は高松の池の道路に放り出された。車の窓から ポンっと。 近くにある公衆トイレの明かりに向かってあるいて行く。すると、私が車から投げ出されたところを見ていた家族が近寄ってきた。特にどうだからというわけでもないが、「にゃあ」と声を掛けてみた。しばらく、私のたった今あった事件というか出来事について、その家族は、なにやら会議をはじめたようだ。なんなんだよ?「みゃ?」と聞いてみる。女の人(これから、おかあと呼ぶ)が「おまえのことを連れて帰るよ」と私に言った・・・ 結果、彼らの家に行くことになったようだ、しょうがない、行ってやるか・・・
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2007/11/23
「追悼 大坪孝ニ」
古い写真
(11/21岩手日報朝刊記事)大坪孝ニ(おおつぼ・こうじ=詩人) = 終戦後間もなく詩作を始めた。1950年に国鉄の文芸雑誌「もりてつ」を創刊、退職するまでの34年間編集に携り、79年に国鉄総裁から「加賀山賞」を受賞。54年には県詩人クラブを結成、60年から77年まで会長を務めた。機関誌「皿」発行の一方で「Laの会」をつくり多くの詩集の編集・発行に当たるなど、岩手の文芸振興に大きく尽力した。89年、詩集「今日よりも」で土井晩翠賞受賞。91年岩手日報文化賞学芸部門を受賞した。
真中が大坪孝ニ おじちゃん
誰? おとうの叔父である。もともと盛岡市の中央通二丁目で旅館業を営んでいた。
『詩』だけでは食えない詩人達が集まって、語り合い、飲み食いをしていった。当然金はない。当時、女将が実権を握っていたんだけど、そのメンバーを容認していたようである。
当時のメンバーには、村上昭夫・江間章子・中村俊亮・草野心平・斎藤彰吾・高橋昭八郎・渡邊眞吾・岩泉晶夫・長尾登・盛合要道・藤井逸郎・大村孝子・平野春作など。中でも中村俊亮には次のようなエピソードがある。『中村は、教条主義的詩業をひどくきらった。なにより断定をきらった。その故だろうか中村は、かっての詩の仲間であり、中村の生活そのものを心配し続けた大坪孝二を慕っていた。仁王新町の大坪一家を慕っていた。国鉄職員であり、同時に生活派詩人であり続けた大坪に、全面的信頼を置いていた。また若い年少の詩友を大切にしていた。』
う〜ん 語り尽くせないなぁ・・・ おとう的表現で『岩手詩人 巨星墜つ』
関連書籍
『華』『いわての詩』『火山弾』『椅子』『La』ほかたくさん
関連URL
http://www.morioka-times.com/news/0403/14/04031406.htm
http://iwatelife.blog7.fc2.com/blog-entry-823.html
http://www.morioka-times.com/news/0401/21/04012107.htm
http://www.morioka-times.com/news/0312/24/03122405liberal.htm
http://www.morioka-times.com/news/0503/30/05033008.htm
http://a-rumbaud.jugem.jp/?day=20060606
大坪孝ニ 縁の詩人達
村上昭夫・むらかみあきお(1927-1968)
岩手県大東町生まれ。岩手中学校(現岩手高校)卒。 1950年岩手医大サナトリウム入院。 1954年岩手県詩人クラブ結成会員。 1959年詩誌「La」の会入会、『動物哀歌』として作品発表。 1967年土井晩翠賞、1968年H氏賞受賞。
私をうらぎるな夜を見はっているつながれた犬たち 私に向かって吠えるな 私が誰なのかを知ったなら 吠えることはできないだろうに おびえる風のなかの雀たち 私の行先から舞い立つな 舞い立つ必要はあるまいに 地からはい出た痛ましい虫たち 暗い穴のなかに隠れてゆくな 私が何を捜しているのかを知ったなら 隠れる必要はあるまいに 冷めたい水のなかの魚たち 私の足音が近づくからと言って わびしか散り去ってはゆくな 私が何処へ行くのかを知ったなら 散りさることはできないだろうか 私はそれを聞きにゆくのだ 私はそれを捜しているのだ 私は其処へ行こうとするのだから どうか私をうらぎるな
中村俊亮は昭和13年(1938)11月25日、盛岡市で誕生。高校に進学して間もなく肺結核を発病、喀血し、岩手サナトリウムに入院する。 高校は2年で退学、療養生活をするなかで詩作を始め、昭和30年5月に岩手日報への投稿「結核の子供」が初入選する。その時俊亮は16歳であった。 以後、同32年7月まで投稿を続け、その間に7篇が入選掲載される。その一方で、「季節」に作品が掲載されたことで俊亮は一躍脚光を浴び、同年8月に同人詩誌「La」(大坪孝二、盛岡市)の同人に迎えられた。
唄ってもあなたにとどかぬブルースを つよく責めながら 涙がもる長靴のように老いてゆく この夏 愛しているのさ 噂のとおりわかれたのさ とぎれがちな思い出に ごってり涙をぬって 他人ごとのように さようなら(「イエスタデイ」部分)
山本太郎 大正14.11.8〜昭和63.11.5詩人。美術家山本鼎(かなえ)の長男。母家子は北原白秋の妹。旧制佐賀高校から東大独文科卒。草野心平らが創刊した「歴程」の同人となり、旺盛多産の詩業によって戦後詩壇の旗手といわれた。昭和35年刊の詩集「ゴリラ」で高村光太郎賞。44年刊の「覇王紀」で読売文学賞。50年刊の「ユリシイズ」で歴程賞。52年に「山本太郎詩全集」が出た。
村野四郎は、多くの詩誌を創刊し、山本太郎、谷川俊太郎はじめ多くの新人たちを発掘したが、昭和50年3月2日午後5時49分、パーキンソン氏病のため入院加療中、肺炎を併発して東京・順天堂付属病院で死去した
僕らは地表の凹凸(ヂグザグ)の中にはいった 麻痺させるほど巨い垂直が屹立し 岩燕が突きあたっては落ち 耳元で軽金属(アルミ)のコップが小さい音をたてた 僕らは地表の脊に立った 夕雲が足元で斑(ふ)の絨氈をうごかした 夕雲が足元で斑(ふ)の絨氈をうごかした ピイクの風が友の裳裾をめくり上げと 彼女は赤くなって それを抑えるのであった 山岳は僕らを翻弄した それは抜きがたい力であった しかし遂に僕らは征服したのだ 僕らを此処まで高く支えたもの それは何であったか 振りかえると 一人の強力が其処にゐた 背中に 僕らの山岳をのせて
江間章子 新潟県生まれ。駿河台女学院卒。百田宗治の「椎の木」同人として出発。昭和11年(1936)第一詩集『春への招待』で詩壇に登場、以後詩作、訳詞、歌曲作詞など多彩な活動を展開する。詩論集『詩へのいざない』昭和32年、交響詩『ながさき』『リクエム』昭和49年など。岩手県出身の江間章子さんが作詞した名曲「夏の思い出」は、昭和24年にNHKラジオで放送されて以来、長い間、日本の歌として親しまれてきました。江間さんは、尾瀬を愛し、尾瀬を持つ村の人々に自信と誇りを与えた功績で、片品村名誉村民第1号として認められました。
雪の天使よ 羽毛のペンをください 大空から 残酷な 砥ぎすまされたあなたのペンを そっとわたしに手渡してください 時よ その痛ましく破れたつばさを自ら縫うタイムよ 来てしばらくはわたしの そばで眠るがいい ワインのような恋を飲んで 酔いどれた アヒルのようにグダグダになったあの窓に あの窓にペンで書く 羽毛のペンで 赤い血をしたたらせ 青いインクはなかったと
草野心平は、明治36年(1903)5月12日、福島県の上小川村(現・いわき市小川町)に五人兄弟の次男として生まれました。まもなく、各行末に句点(。)を打つ心平独特のスタイルも確立されました。同人誌の存続にも力を注ぎ、晩年の宮沢賢治との文通、高村光太郎や萩原朔太郎など先輩詩人との親交などを通し、詩人としての世界も広がっていきます。
春のうた かえるは冬のあいだは土の中にいて春になると地上に出てきます そのはじめての日のうた ほっ まぶしいな ほっ うれしいな みずは つるつる かぜは そよそよ ケルルン クック ああいいにおいだ ケルルン クック ほっ いぬのふぐりがさいている ほっ おおきなくもがうごいてくる ケルルン クック ケルルン クック
大坪孝ニ 昭和五十四年十一月一日発行 「椅子」 平成七年三月十五日発行 「生の淵から」 平成十三年十二月一日発 「雪の中に」 著者 大坪孝二 一九二六年(大正十五年)北海道根室に生まれる。一九三五年(昭和十年) 旭川より盛岡に移住する。 日本現代詩人会・岩手県詩人クラブ所属・詩誌「L'a」 「鞍」 「アリューシャン」 「火山弾」 「水晶」 「土曜の会」 詩集「今日よりも」 「生の渕から」 他
岩手県詩人クラブ
中村俊亮
江間章子
投稿者: おとう
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