娘が「ツユクサを見たことがない」という。そりゃいかん。この国に生きていてツユクサの区別もつかないんじゃ困ります。(そこで「何で?」と問わないように!)
で、さっそく朝の通勤の道すがらツユクサ探し。あ、あったあった。あっさり見っけ。んじゃ帰りにでも摘んでゆこ〜っと…と思ったら大誤算!ツユクサの花は朝のうちに咲いて、午後にはもうしぼんでしまうのでした。一説には「花が朝露のようになくなるから“露”草」なんですって…って、会社帰りの時間帯じゃ咲いてないじゃーん。
しょうがないので(何となく咲きそうな気がした)茎を数本引き抜いて家路へ。ベランダで数日様子をみることにしました。すると…やっと今朝(1日の朝)、その可憐な花をつけてくれたのです。
先に「朝露のよう」と紹介しましたが、ツユクサの語源は他にも諸説あるようで「花のアオの色が衣服などにつきやすいので“着き”草となり、のちにツユクサに転訛した」ともいわれているそうです。で、そこからさらに「月草」とも書くようになって…って、も〜うロマンチックかも〜。
月草のうつろひやすく思へかも我が思ふ人のことも告げこぬ
上記一首(『万葉集』巻4-583)は、まだ大伴家持の妻となる前の坂上大嬢が、若き日に家持に贈ったものです。ふたりの(大嬢は家持の従妹で、幼馴染かつ許嫁のような間柄だったらしい)心の葛藤、そして恋の駆け引きのようなものまで感じさせてくれます。
我が娘にもこういう恋を…って、いやいやいやいやまだまだまだまだ、まだ早い。おとーさんは許しませんからっ!