今日は清掃の仕事場からもどって久々固形物を食べたくなりました。
数日はワカメとにんにくを味噌とキムチ、出汁を入れて飲む食事が続いていました。
ダンスの前は栄養ドリンク。
あとはのど飴とマヨネーズと豆板醤をちょこちょこ口にしていました。
固形物は食べると吐き出す時が多くて疲れるので避けてたんですが無償にから揚げが食べたくなってから揚げ買いました。
急にまた泣き出す自分。
部屋の厚手の本を床に叩きつけて窪みをつくってしまった・・・
敷金かえってこないな、これは・・・
つくづく精神障害に嫌気が差す。
前につきあっていたコYさんがうつ病で横浜の精神クリニックにつきそいでいってたっけ。
あのコロは「がんばれ」っていっちゃいけないのは知ってたけど、どっか患者がしっかりすれば克服できると思って見ていた。
こんなにもつらかったんだなあ、って思い起こし反省する。Yさんはもっとひどかったもんね。手首に新しい傷跡が増えていくのを見て、腹立たしさすら覚えてた。
それが今は自分。
所詮人など沸点235℃、発火点350℃の脂肪を詰めた皮袋。
そんな物体が意思を持ち行動するだけ、狂うやつらも幾といる。
どうしようもなく母に電話。
1時間近く話して落ち着く。
その後なき疲れたらしく&食事を取ったその栄養を体という皮袋のなかに蓄えようと睡魔が襲う。
午後6時コロミクシーを見てみる。
そこには「疲れた」とかきつづったかつてのダンス仲間がいた。
延々とリフレインされている苦しい、疲れた、悲しいの字。
なんか大変なんだなって思った。
すぐ電話した。半年振りくらいだろうか。
一度はつながらなかったもののあとで電話がかかってきた。
話を聞けばかなり似た状況であることがわかった。
ただ、話を聞くしか出来なかった。
でも、一番近いところでぼくは聞けるのだと思った。
きっとうつじゃなかったら自分の考えをつたえることに、解決をもとめることに精力を注いだことだろう。
でも、今はきっと必要なことはそうじゃないと思った。
おそらくぼくも似ているということもカレにはどうでもいいこと。
だから少しだけ「自分も〜」ということを交えつつも聞き役になった。
多分、行く先は似た方向にはしるだろう。
だけど、カレにはオレと同じような辛さは味わってもらいたくない。
だけど、考えたくて、あがきたくてしょうがないんだよね。
そして距離はどんどん離れていくのです。
ぼくは意見を最後にいった。といっても、自分でもでていない結論だったし、やさしく自分にもいいきかせるように。「でも、つらいよね。」と必ず、一文ついて回った。
変な話だが朝ごはんがパンの人もいれば、ご飯の人もコーンフレークの人もいる。
それぞれが小さいころから出されていればそれが当たり前になっている。
そんな人たちが一緒になったらどうするのか?
合わないといって別れるのか。
自分がご飯だからご飯の人をさがすのか。
人にもよるけど。
朝自分はパンだけど、相手はご飯。
じゃあ、交互に出す、とかどれだけ好きかを語り合ったりとか
相手の食べ物について理解示すとか
それでその二人の新しいつきあうルールが築けるんじゃないかなって思う。
話し合うって大事。
そうすれば北朝鮮やアメリカ、イラクなんかも上手くやっていけるのになあ、
なんて変な考えが浮かんだ。
うつになってつらい。
でも、前の彼女Yの気持ちがわかった。
もしもさんと知り合え、コメントをいただけるようになった。
沈んだ友人の気持ちと近いところで話が出来た。
前もいったが「うつになりたい」とは思わない。願わくば治ってほしい。
でもうつの今の自分が得たものもあったなあっておもった。
そして清掃仕事中に父から電話があったらしい。
ケイタイにはいった伝言メモ。
しかし、これはリターンすると仙台の自営会社へと転送されていた。
なので、すいませんといつも電話を取り次ぐ人に謝りつつきった。
さらに21時ごろ母から心配して電話が。
このころは気持ちが落ち着いていたので大丈夫となかなか終わらない電話を切る。
喋りつかれて再び睡眠。
23時くらいに起きると22時半くらいに非通知設定で1本。
これでなんかまた不安になる。
ダレなんだろう・・・
こんな電話1本にうろたえる自分にorz
つくづく電話と縁のあった1日でした。

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