(無題) その他
2009/11/29
なつかしい希少価値 その他
「貝柱はどうですか?」
行きつけの魚屋さんですすめられたのがこれ。貝柱だからホタテかと思いきや、「タイラギ」という貝だった。1990年代までは、有明海で盛んにとられていたそうだが、それ以降まったくといっていいほどとれなくなったという。諫早湾干拓事業の影響や水温の上昇などが影響しているらしい。ところが、最近になって久しぶりに市場に入荷するようになったそうな。そこで、折角手に入れた貴重な貝ということで勧めてくれたというわけだ。大切に発砲スチロールの箱に入れられた貝は意外に大きく、グロテスクだった。
家に帰って早速いただいた。あっ、これなつかしい。確かに昔よく食べていた。居酒屋なんかにふつうに出ていたような気がする。貝の味は濃厚で、ほんのりした甘みと海の味がした。久しぶりに巡り合えた有明海の恵みを心行くまで堪能するのだった。
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行きつけの魚屋さんですすめられたのがこれ。貝柱だからホタテかと思いきや、「タイラギ」という貝だった。1990年代までは、有明海で盛んにとられていたそうだが、それ以降まったくといっていいほどとれなくなったという。諫早湾干拓事業の影響や水温の上昇などが影響しているらしい。ところが、最近になって久しぶりに市場に入荷するようになったそうな。そこで、折角手に入れた貴重な貝ということで勧めてくれたというわけだ。大切に発砲スチロールの箱に入れられた貝は意外に大きく、グロテスクだった。
家に帰って早速いただいた。あっ、これなつかしい。確かに昔よく食べていた。居酒屋なんかにふつうに出ていたような気がする。貝の味は濃厚で、ほんのりした甘みと海の味がした。久しぶりに巡り合えた有明海の恵みを心行くまで堪能するのだった。

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2009/11/23
食欲の秋に鰤料理 その他
食欲の秋とはよく言ったものだ。気候も丁度よい感じのこの頃。土曜日の未明に釣ったハマチを2日間冷蔵庫に寝かせて、今夜の晩御飯のおかずを作った。2週間前のハマチよりも脂が乗っていた。この系統の魚は成長が早い。この脂身からも秋が深まっていることを知ることができる。今日も成長期の息子がうまいうまいと食べてくれた。特にフライがうまかったらしく、全部食べてしまった。食欲の秋には鰤料理が一番だね。

脂ノリノリの刺身

ムニエル

フライは特に好評でした
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脂ノリノリの刺身

ムニエル

フライは特に好評でした
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2009/11/22
(無題) その他
今日は、わが小学校の村祭り。学校としてもステージで子どもたちの歌声を披露することで祭りを盛り上げた。
本村は、子守唄の里として全国的にも有名な村。総合的な学習の時間で子守唄についての調査を子どもたちとともに行った。さすがにほぼ100%の人が子守唄を知っていた。しかし、正調となるとその割合は減る。
子守唄がどのように生まれたかはっきりはわからないそうだ。一説よると、秀吉の朝鮮出兵の折、たくさんの朝鮮人が日本に連れてこられた。(この時に有田焼が伝えられたといわれている)その朝鮮人たちが故郷を偲んで望郷の歌を歌っていて、それが原曲となり、さらに、子守奉公として故郷を離れて働いていた子供たちがその曲に歌詞を付けて歌ったものが広まったという説があるそうだ。
歌詞も様々で現在80以上の歌詞があるとのこと。現在よく知られているのは、NHKのラジオで流されたのをきっかけに広まったもの。しかし、もともとは口伝えで広まったものだから、西洋音楽にあてはめるのはやや無理がある。その曲はそれでいい曲だが、やはり、正調子守唄の方が、我々日本人の心にしみわたる。
今日も子供たちの朗々とした正調子守唄が聴衆の心をとらえたのだった。

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本村は、子守唄の里として全国的にも有名な村。総合的な学習の時間で子守唄についての調査を子どもたちとともに行った。さすがにほぼ100%の人が子守唄を知っていた。しかし、正調となるとその割合は減る。
子守唄がどのように生まれたかはっきりはわからないそうだ。一説よると、秀吉の朝鮮出兵の折、たくさんの朝鮮人が日本に連れてこられた。(この時に有田焼が伝えられたといわれている)その朝鮮人たちが故郷を偲んで望郷の歌を歌っていて、それが原曲となり、さらに、子守奉公として故郷を離れて働いていた子供たちがその曲に歌詞を付けて歌ったものが広まったという説があるそうだ。
歌詞も様々で現在80以上の歌詞があるとのこと。現在よく知られているのは、NHKのラジオで流されたのをきっかけに広まったもの。しかし、もともとは口伝えで広まったものだから、西洋音楽にあてはめるのはやや無理がある。その曲はそれでいい曲だが、やはり、正調子守唄の方が、我々日本人の心にしみわたる。
今日も子供たちの朗々とした正調子守唄が聴衆の心をとらえたのだった。


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2009/11/21
寒グロシーズンに向けて その他
今日は釣りの帰りに八代のポイントに立ち寄った。目的は、今日からの3連休でイグロークーラーが安くなるため、在庫がなくなる前にゲットするためだ。これなら、離島の磯釣りでも、船釣りでも、鰤釣りでもなんでも対応できる。しかし、こんな大きなクーラーを買ったのに、入れる魚が釣れないと何もならないと自問自答し、苦笑いをするおいら。はたしてこのクーラーにこれからどんなお魚さんが入ってくれるのだろう。
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2009/11/21
ザ接待フィッシング 釣り
11月に入り、日本列島に寒波が訪れ始めた。水温も徐々に下がり始め、南九州でもそろそろクロの釣果が聞かれ始めるようになった。しかし、離島の釣りを満喫したいおいらとuenoさんは、「この時期に甑に行っても、1,2匹釣れればよかとこばい。」とため息をもらす。こんなセリフをはく師匠uenoさんは、実は他に狙いがあるのだ。それは、彼が最も好きな釣りだと豪語する磯での青物泳がせ釣りを成就したい思いがあるようだ。ところが、青物泳がせの好ポイントである黒ノ瀬戸では目立った釣果が出ていない。毎年のように青物をゲットしてきたuenoさんだったが、今年ばかりは観念せざるを得ないようである。それが、uenoさんのため息となったのだった。
そんなuenoさんに何とか青物を手にしてもらいたいと、佐伯の鰤釣りの話を持ちかけた。あっさりやる気モードになる師匠。「そがん(そんなに)釣るっとならおい(おれ)も行くバイ」こうして、かわいそうな師匠を接待する釣りが始まったのだった。
20日の午後7時に人吉を出発し、途中休憩しながら佐伯市に入った時は、すでに12時になろうとしていた。佐伯港で待っているのは、鰤釣りを好演出してくれる遊漁船松風さんだ。本日21日土曜日の釣り師は総勢15名。2隻に分かれて出港ということになった。11月の冷たい風が港を駆け抜けている。「kamataさんはこちらに荷物を積んでください。」前回、初めてということでいろいろと親切にしてもらった船長が声をかけてくれた。この船長も海を愛し、人とのつながりを大切にする人らしい。早速、荷物を積んで出港をまった。

2隻体制の松風さん 今日もお世話になります
我々が乗る船は、5名。じゃんけんで勝ち、船首に向かって左側の前方を釣り座とした。竿はダイワHOKAGE120号、半月天秤の松風特製デカ版カゴの天秤フカセ。ハリスは例によってハリス16号3mの太仕掛け。鈎はヒラマサ鈎16号、おもりは80号とした。
仕掛けができたところで出港。船は漆黒の海原へと旅立っていった。
波高1.5mの予報は見事に裏切られた。港にいるときは気付かなかったが、沖に出ると結構揺れている。午前4時半ごろにようやく鶴見大島の養殖いけすのポイントに到着。船は結構ゆれている。風がまともに右手前から正面吹きだ。磯釣りならかなり厳しい釣りになるほどの状況。これからの釣りに不安を覚えながら、船長の指示でタナは20mから始めた。
この釣りは、エキサイティングだ。この船の下には必ず魚がいる。それがいつ喰いがたつかわからない。ある時、突然魚の食いが立ち、時合いは突然終了する。そして、釣れる時は、7kgまでの鰤が立て続けに喰ってくるし、条件が揃わなければボウズに終わることも珍しくない。さあ、今回はuenoさんに何としても釣ってほしい。接待の釣りの静かなスタートだ。
「ほら、玉網が入ったよ」確かに右前方に見えるもう一つの船では、早くも釣果が出ているようだ。この何気ない船長の一言は確実に我々のモチベーションを高めていく。喰い立たせることを第一に仕掛けを早めに撃ち返した。
すると、竿先が何の前触れもなく忽然とお辞儀した。あたりだ。しかも、かなり強烈だ。「ヤズじゃないよ」慎重に浮かせて、船長に玉網を入れてもらった魚は、ほれぼれするようなみごとなプロポーションのハマチ4kgクラスだった。前回と同じく、夜釣りで早くも坊主脱出。今日は、期待できるかも・・・。

第1号は4kgクラスのハマチちゃん
さあ、今度はuenoさんの番ですよ。おいらの釣果を見て俄然やる気モードのuenoさん、ついに6時前に魚の動きをとらえた。竿先に小気味よいあたりをしらせる振動がuenoさんのドーパミンを次々に噴出させていく。ぎこちないやり取りの後浮いてきたのは、50cm弱のヤズくんだった。おめでとう、uenoさん。サイズは小さいが本命は本命。安堵の表情を浮かべるuenoさん。更に、2kgクラスのハマチなのかヤズなのか微妙な魚を釣って夜明けを迎えた。「ハマチは引くなあ」「uenoさん、これで家に帰れますね」釣り師は魚を釣ると突然明るくなる。

ハマチと慎重にやりとり uenoさん
こうして、お互いに波の高い中何とかぽつぽつと魚を釣り、最後にuenoさんが62cmのマダイを釣りあげ、大満足の釣りは、午前8時に納竿となった。実質3時間半の密度の濃い釣りはこうして終了した。接待は大成功。「kamataさん、uenoさんが釣れてよかったですね」と船長もおいらの意図をくみ取ってくれた。短い時間だったが、しっかり魚を釣らせてくれた船長のご厚意に心から感謝しながら佐伯港をあとにするのだった。

本日は晴天波高し

uenoさんの釣果 マダイ62cm ハマチ、ヤズ5本

本日の釣果 ハマチ2〜4kg2本、ヤズ5本

ヤズでも脂がのっていますぜ
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そんなuenoさんに何とか青物を手にしてもらいたいと、佐伯の鰤釣りの話を持ちかけた。あっさりやる気モードになる師匠。「そがん(そんなに)釣るっとならおい(おれ)も行くバイ」こうして、かわいそうな師匠を接待する釣りが始まったのだった。
20日の午後7時に人吉を出発し、途中休憩しながら佐伯市に入った時は、すでに12時になろうとしていた。佐伯港で待っているのは、鰤釣りを好演出してくれる遊漁船松風さんだ。本日21日土曜日の釣り師は総勢15名。2隻に分かれて出港ということになった。11月の冷たい風が港を駆け抜けている。「kamataさんはこちらに荷物を積んでください。」前回、初めてということでいろいろと親切にしてもらった船長が声をかけてくれた。この船長も海を愛し、人とのつながりを大切にする人らしい。早速、荷物を積んで出港をまった。

2隻体制の松風さん 今日もお世話になります
我々が乗る船は、5名。じゃんけんで勝ち、船首に向かって左側の前方を釣り座とした。竿はダイワHOKAGE120号、半月天秤の松風特製デカ版カゴの天秤フカセ。ハリスは例によってハリス16号3mの太仕掛け。鈎はヒラマサ鈎16号、おもりは80号とした。
仕掛けができたところで出港。船は漆黒の海原へと旅立っていった。
波高1.5mの予報は見事に裏切られた。港にいるときは気付かなかったが、沖に出ると結構揺れている。午前4時半ごろにようやく鶴見大島の養殖いけすのポイントに到着。船は結構ゆれている。風がまともに右手前から正面吹きだ。磯釣りならかなり厳しい釣りになるほどの状況。これからの釣りに不安を覚えながら、船長の指示でタナは20mから始めた。
この釣りは、エキサイティングだ。この船の下には必ず魚がいる。それがいつ喰いがたつかわからない。ある時、突然魚の食いが立ち、時合いは突然終了する。そして、釣れる時は、7kgまでの鰤が立て続けに喰ってくるし、条件が揃わなければボウズに終わることも珍しくない。さあ、今回はuenoさんに何としても釣ってほしい。接待の釣りの静かなスタートだ。
「ほら、玉網が入ったよ」確かに右前方に見えるもう一つの船では、早くも釣果が出ているようだ。この何気ない船長の一言は確実に我々のモチベーションを高めていく。喰い立たせることを第一に仕掛けを早めに撃ち返した。
すると、竿先が何の前触れもなく忽然とお辞儀した。あたりだ。しかも、かなり強烈だ。「ヤズじゃないよ」慎重に浮かせて、船長に玉網を入れてもらった魚は、ほれぼれするようなみごとなプロポーションのハマチ4kgクラスだった。前回と同じく、夜釣りで早くも坊主脱出。今日は、期待できるかも・・・。

第1号は4kgクラスのハマチちゃん
さあ、今度はuenoさんの番ですよ。おいらの釣果を見て俄然やる気モードのuenoさん、ついに6時前に魚の動きをとらえた。竿先に小気味よいあたりをしらせる振動がuenoさんのドーパミンを次々に噴出させていく。ぎこちないやり取りの後浮いてきたのは、50cm弱のヤズくんだった。おめでとう、uenoさん。サイズは小さいが本命は本命。安堵の表情を浮かべるuenoさん。更に、2kgクラスのハマチなのかヤズなのか微妙な魚を釣って夜明けを迎えた。「ハマチは引くなあ」「uenoさん、これで家に帰れますね」釣り師は魚を釣ると突然明るくなる。

ハマチと慎重にやりとり uenoさん
こうして、お互いに波の高い中何とかぽつぽつと魚を釣り、最後にuenoさんが62cmのマダイを釣りあげ、大満足の釣りは、午前8時に納竿となった。実質3時間半の密度の濃い釣りはこうして終了した。接待は大成功。「kamataさん、uenoさんが釣れてよかったですね」と船長もおいらの意図をくみ取ってくれた。短い時間だったが、しっかり魚を釣らせてくれた船長のご厚意に心から感謝しながら佐伯港をあとにするのだった。

本日は晴天波高し

uenoさんの釣果 マダイ62cm ハマチ、ヤズ5本

本日の釣果 ハマチ2〜4kg2本、ヤズ5本

ヤズでも脂がのっていますぜ
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2009/11/15
ウオークラリー その他
今日は、息子の通う中学校で文化祭が行われる日。こんな日に野暮な用事が入ってしまった。R金庫の推進委員をしているおいらは、この日に行われる人吉歴史探訪ウオークラリーの仕事をしなければならない。あ〜〜〜〜〜あ。
人吉・球磨は鎌倉時代から江戸時代まで、700年間相良氏が守り続けて歴史ある街。おいらの担当のチェックポイントは武家屋敷。ここの門は、明治4年の廃藩置県で人吉城が壊された際に、うつされたという唯一残っている人吉城建造物だ。この場所は、西南戦争の時の1877年2月21日に西郷隆盛が宿泊したといわれているそうだ。人吉盆地に住んで20年近くになるというのに初めてこの場所に訪れた。まだまだ、知らない地元の宝がたくさんありそうだね。
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人吉・球磨は鎌倉時代から江戸時代まで、700年間相良氏が守り続けて歴史ある街。おいらの担当のチェックポイントは武家屋敷。ここの門は、明治4年の廃藩置県で人吉城が壊された際に、うつされたという唯一残っている人吉城建造物だ。この場所は、西南戦争の時の1877年2月21日に西郷隆盛が宿泊したといわれているそうだ。人吉盆地に住んで20年近くになるというのに初めてこの場所に訪れた。まだまだ、知らない地元の宝がたくさんありそうだね。

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2009/11/15
今年も健在 その他
宮園の大イチョウは今年も健在。県指定の天然記念物に指定されているこの木は、樹齢600年といわれている老木だ。先週から、黄色に色づいた葉ははらはらと落ち始めた。黄色の吹雪は正に壮観な眺めだ。夜にはライトアップされるので幻想的な姿を見ることができる。見たい方はお早めに。

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