深田肇元社民党衆院議員に関して
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深田 肇(ふかだ はじめ、1932年3月7日 - ?)は日本の政治家。元日本社会党参議院議員(1期)。元社会民主党衆議院議員(1期)。
経歴
●1932年 岡山県に生まれる。
●中央大学中退。日本社会党職員となる。
●1960年10月 日本社会党の青年組織「日本社会主義青年同盟」(社青同)結成、委員長となる。
●1989年7月 第15回参議院議員通常選挙に埼玉県選挙区(定数2)から日本社会党公認で立候補し第1位で初当選(得票970229)。
●1995年7月 第17回参議院議員通常選挙に埼玉県選挙区(定数3)から日本社会党公認で立候補し第4位で落選(得票257681)。
●1996年10月 第41回衆議院議員総選挙に埼玉6区から社会民主党公認で立候補し落選(得票17909。惜敗率24.8%)し供託金を没収されたものの、比例代表区北関東ブロックに社会民主党名簿順位第1位で重複立候補していたため復活当選した。
●2000年 第42回衆議院議員総選挙に出馬せず政界引退。
役職
日朝議員連盟事務局長
日本社会党青少年局長
日本社会党国際局長
日本社会党組織局長
社会民主党国民運動局長
供託金没収でも当選
1996年10月の第41回衆議院議員総選挙埼玉6区における深田の得票は供託金没収点未満 (得票率9.18%) であり、供託金を没収された。この選挙においては東京22区から社会民主党公認で立候補し落選した保坂展人も同様に供託金没収点未満でありながらも復活当選した。この一件を契機に、小選挙区で得票率が著しく低い人物が復活当選することに批判的な議論が提起され、公職選挙法が改正された。第42回衆議院議員総選挙からは小選挙区で供託金没収点未満であった候補は比例代表区で復活当選できないことになっている。
なお仮に1996年当時、得票率10%未満の重複立候補者は比例復活当選できないという規定が存在し、深田が比例復活当選できなかった場合は、深田と同順位だった佐藤時弘も得票率4.39%で比例復活当選はできないことになり、名簿順位3位で比例代表単独立候補者であった市川博美が当選することになっていた。
北朝鮮のスポークスマン
参議院同期当選の清水澄子とともに政界随一の親北朝鮮派政治家として知られ、政界入り前からたびたび北朝鮮を訪問。また金日成・金正日の誕生祝い等には必ず自ら朝鮮総連に出向き、金父子の肖像画に拝礼し、総連幹部に祝賀の挨拶をしていた。
訪朝時には朝鮮労働党書記金容淳等に面会。日本国内では北朝鮮による日本人拉致疑惑を全面否定するなど北朝鮮の主張を忠実に代弁した。
深田の著しい北朝鮮拝跪の姿勢は他の国会議員に異様な印象を与えていたほか、社会党内でも違和感を持つ党員が多く、「あの人は北朝鮮のスポークスマンだ」と揶揄されていた。 北朝鮮系の主体思想研究会全国連絡会会員で、チュチェ思想国際研究所にも関わっている。
深田はチュチェ思想研究会全国連絡会会長で沖縄大学教授(元学長)の佐久川政一や沖縄社会大衆党参議院議員島袋宗康らとともに「チュチェ思想国際セミナー」実行委員会代表委員としてセミナーの運営に当たり、佐久川・島袋らと共に黄の前で北朝鮮や主体思想を絶賛した。しかし直後、黄は韓国に亡命した。これに対し深田は「黄書記は南朝鮮(韓国)政府に拉致された」と主張したが、黄が公式の場に現れ北朝鮮批判を始めると口をつぐんだ。
1998年の北朝鮮によるテポドンミサイル発射の際にも北朝鮮の公式発表をそのまま宣伝した。各党議員が北朝鮮に抗議の声を上げるとともに対ミサイル防衛策の必要性を訴え、菅直人が日本独自の偵察衛星打ち上げにまで言及する緊迫した情勢の中、「共和国が最高人民会議第10期第1回会議を前に人工衛星打ち上げに成功したことをまず評価したい」と述べ、「共和国の人工衛星打ち上げ」を事実として祝賀した。マスコミは深田の無理のある言動を否定的に取り上げた。
1999年には村山訪朝団の一員として再び北朝鮮を訪問した。
政界引退後も親北朝鮮活動家として朝鮮総連等と行動を共にしている。
2002年2月には岡山市内のホテルで開催された「金正日総書記誕生60周年を祝う 日朝友好と日本の自主・平和をめざす集い」(キムジョンイル著作研究会全国連絡協議会主催)には総連幹部と共に来賓として出席するなど、ほぼ朝鮮総連の一員となっている。
現在
2002年9月17日の小泉純一郎首相の北朝鮮訪問及び日朝首脳会談以降失踪していると言われ、行方不明の模様。北朝鮮に不法出国したか既に死亡している可能性もある。
編著書
『日本社会党建設論』 1976年 田畑書店
深田元代議士について、私が面会した複数の社民党関係者によれば、
「2005年頃に日本国内で目撃したと聞いたことがある。」とのことです。
特定失踪者問題に絡んで、彼が複数の日本人拉致事件を周知・あるいは関与していたという情報が私のもとに寄せられました。
現段階では情報があまりにも少な過ぎる為、追跡調査が困難な現状ですが、深田元代議士のバックボーン(地盤の埼玉県は拉致の「大町ルート」と重なり、またチュチェ研が日本人拉致に関与していたことが明らかとなっている)を鑑みると、あながち荒唐無稽とも言い難いのが現状です。
どんな細かい情報でも結構ですので、お教え下されば幸いです。