無差別殺傷から1か月、消えない傷跡「なぜ息子が殺された」
安心して楽しめるはずの歩行者天国で、なぜ家族が命を奪われなければならなかったのか。被害者の遺族たちは、抑えきれない怒りとやりきれない思いに苦しんできた。重傷を負った被害者も、突然襲った恐怖から抜け出せず、事件の傷跡は消えない。
買い物の最中に刺殺された元会社員宮本直樹さん(31)(埼玉県蕨市)。父親惇彦(あつひこ)さん(60)は先月29日、妻都美子さん(58)や直樹さんの弟(29)とともに、家族そろって初めて現場を訪れた。
警視庁の捜査員から、死亡した7人のうち、宮本さんは一番最後に襲われたこと、交差点付近で刺されて数十メートル逃げた路上で力尽きたことなどの説明を受けた。
「残念だっただろう」
惇彦さんは、宮本さんが倒れた場所で手を合わせると、心の中で語りかけた。
マニアの間では1枚数万円で取引されるゲーム用カードを数多く所有し、仲間から「世界の宮本」と呼ばれていた宮本さんは、惇彦さんにゲーム関連の会社を興す夢を語っていた。
2年前に一人暮らしを始めたが、週末には川口市の実家に顔を出した。都美子さんは宮本さんの衣類を洗濯し、部屋の掃除にも出かけた。惇彦さんは「おう、帰ってきたか」と声をかけるだけだったが、「何かしてあげることがあったはずだ」と、この1か月間、悔いばかりが募る。
現場は、思ったより大きな交差点。息子が巻き添えになったのは本当に偶然だと感じた。少しタイミングがずれていれば犠牲にならなかったかもしれない。だからこそ、「誰でもよかった」という加藤智大容疑者(25)の身勝手な供述に「なぜ息子が殺されなければならないんだ」と怒りがこみ上げ、やるせない気持ちにさいなまれる。
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負傷者を助けようとして刺され、重傷を負ったタクシー運転手の湯浅洋さん(54)(江東区)は先月30日、親族が近くにいる鹿児島県の病院に転院した。
「ズドン」。背中の右側を衝撃が襲ったのは、秋葉原の現場でトラックにはねられて倒れた男性に駆け寄り、しゃがみ込んだ瞬間だった。数秒後、右脇腹に激痛が走った。傷は肺や肝臓まで達し、4日間、生死をさまよった。
現場付近に設置されている献花台で手を合わせる人たち(7日、秋葉原で) 痛みで眠れない夜も続く。それ以上につらいのは、事件の恐怖から抜け出せないことだ。病院の待合室に座る患者を見ても、「ナイフを隠し持っているかもしれない」と不安に駆られる。「あのような形でしか自分を表現できない加藤容疑者は、哀れで卑劣だと思う」と、湯浅さんは怒りを口にした。
◆献花1か月で8000本◆
現場となった千代田区外神田1の交差点ではこの日も、献花台の前で手を合わせる人たちの姿が見かけられた。
所用を終えて立ち寄った大阪市内の男性(28)は「安らかに眠ってほしいという一心で手を合わせました」と話した。区によると、1か月間で約8000本の花束と約1万本の飲み物が供えられたという。
(2008年7月7日14時38分 読売新聞)
大変長らくご無沙汰しておりました。くまがわ直貴です。
私用(秋に上演される私が手掛ける舞台演劇の準備など)の為、丸1月に渡り更新が途切れてしまったことをお詫び申し上げます。
…あの凄惨極まる悪夢の様な殺傷事件から1ヶ月が過ぎました。
秋葉原の歩行者天国で一瞬にして7名もの尊い生命がたった一人の卑劣な殺人者の手によって奪われ、多くの人々に深い傷を負わせた事件。
考えても見て下さい。自分の愛する家族が、友人が、恋人が元気に外出したまま2度と帰って来ないという現実を。
数日前まで共に笑い合ったり、ケンカをしたり、夢を語り合った人がほんの一握りの遺灰と化してしまうという事実を。
この悪鬼の如き所業を、たった一人の加藤智大という男が成したのです。
ご遺族や被害者の方々の無念を思うとき、当事者ではない私ですら怒りのあまり熱が出てしまう程です。
通り魔事件と呼ぶには語弊があり、むしろ「大量虐殺」と呼ぶに相応しい犯罪でしょう。
ネット上では、愚かなことにこの虐殺者・加藤を「英雄視」する書き込みすらあり、もはや吐き気をもよおしたくなる。
この虐殺者には何ら同情の余地はなく、この期に及んで「格差社会の云々」「学校教育や家庭の問題も云々」等と訳知り顔で語る所謂「知識的文化人」の思慮の何と浅はかなことか!!
如何なる環境・社会情勢・収入・家庭環境であれ、それが犯罪を容認する要素になってはならないし、そういった行為を擁護することは断じて許されないと思います。
「夢」を持たない世代が多過ぎる。特に若者がそうです。
自称「夢追い人」の似非演劇人である管理人だから言う訳ではありませんが、「夢」や「目標」という青臭く、また面映いものを追って行く上では、それを共有出来る仲間や友人に巡り会うことが可能となります。私は今実感しています。
それは「一個人」を孤独という社会病理の一因から救い出すことにも繋がるのです。
私の周囲には(家族や親族、友人も含めて)芸能活動を生業にしている人物がかなり多く、そういった意味でも私は抵抗なく「夢」を語ることが出来るのかも知れません。
形は違えど、日々の生活の中で喜びや幸せ、感謝を見出そうと思えばいくらでもできることはあります。どんな仕事にもそれは潜んでいるはずです。
加藤容疑者が奪ったのは尊い「生命」と共にその方々がこれから歩もうとしていた「人生」言い換えるならば、多くの人々が共有出来たであろう「夢」でもあります。
鳩山法務大臣がこの時勢において、1989年の連続幼女誘拐殺害事件の宮崎勤死刑囚の死刑執行を自らの口から発表したことはまさに慧眼であったと評価します。
法治国家の概念として「人を殺せば殺される」と信じ、加藤容疑者への厳正なる法の裁きを望む方はクリック
