こんばんは。国民新党党員 くまがわ直貴です。
明日(7月11日)告示の第21回参院議員普通選挙、各候補者並びに各政党とも「消えた年金問題」や「格差問題解消」、「教育基本法」そして「憲法と9条」等様々な争点を公約に掲げ、その時を待つばかりとなっています。
自民党安倍総裁(首相)は、相次ぐ閣僚の交代劇や年金記録漏れ問題と度重なる不祥事により、支持率を急落させており、これに加え赤城農水相の事務所費問題が直前になって大きな衝撃を与党サイドに与えているという厳しい情況です。
特に社会保険庁の年金記録漏れ問題は、国民・タックスペイヤーの実生活にダイレクトな影響を及ぼすことは必至であり、有権者の関心度でも上位に位置しています。
社会保険庁OBによる着服(!)というにわかには信じ難い疑惑まで浮上しており、安倍首相は総務省に組織内体質のコンプライアンスを指示していると言われます。
国民年金の受給水準や公的年金制度そのものに対する根強い不信、そして負担・給付を今後の世代推移の中でどう対応すべきかというテーマに真摯に答え得る候補者と政党が今求められていると思います。現状では、説明不十分さ故に公的年金制度の啓蒙活動が必ずしも十分には行われていないきらいがあるのですから。
例えばいわゆる「空白期間」のケースを取ってみても任意加入を行わなかった方や、厚生年金脱退手当金のパターン等それこそ個人個人で様々な状況が想定され、それら全てに対応する為には如何に分かり易く安心を与え得るかという点が重要視されて来ることでしょう。
安倍総裁は、著書『美しい国へ』(文芸春秋)の中で
「社会保障とは、端的にいえば、人生のリスクに対してセーフティネットが張られているかどうか、ということにつきる。」と述べています。
障がい者・チャレンジドや、介護・疾病等の個々人のライフプランの違いに応じて対応し得るセーフティネットこそが、再チャレンジを可能にするというものです。
国民年金の場合は、月額6万6千円。これは「最低限度の生活」を国家が責任を持って保障するという観点から導き出された金額なのでしょうが、それすらも貰う事が出来ないのであれば、国家は国民に対する責任(信頼も)を自ら放棄したに等しいと言わざるを得ません。
一方、対する民主党の小沢一郎代表は、かつて著書『日本改造計画』(講談社)の仲で、
「所得税・住民税を半分にする。」と発言し、所得税の累進性を例に挙げて、税負担増の害悪を主張、続いて法人税の引き下げで、個人の給与可処分所得の増加を目指していました。面白いことにこの当時(1993年)小沢氏は、これらの減税の財源に消費税率引き上げを「最も合理的」と賞賛し、「欧米諸国と米国の中間の10パーセントとする」と断言していたことです。(恐らく、現実問題消費税のアップは避けては通れない問題でしょう。)
新保守の寵児であった小沢一郎氏という政治家が、単なる「壊し屋」や理想主義者ではなかったのは間違いなく、それは安全保障問題や外交・日米安保への取り組みにおいても表れていると思うのです。
【「美しい国」と「普通の国」】
安倍総裁は、北朝鮮金正日政権による日本人拉致問題に父・安倍晋太郎元外相の秘書時代から取り組んできており、自民党の外交部会では「北朝鮮へのコメ無条件支援」を主張する河野洋平氏(元総裁、衆院議長)や加藤紘一氏(元幹事長)らと激しく対立したことで、拉致被害者家族からも信頼が厚く、それが結果として国民世論の熱狂的支持を集めたことは周知の通りでしょう。
安倍氏がよく好んで使う言葉には「ナショナリズム」というものがあります。それは靖国神社であったり、または日の丸・君が代、もしくは日本国家に対する帰属意識であるかと考えられます。
安保条約第5条の
「各締結国は、日本国の施政の下にある領域における、いずれか一方に対する武力攻撃が、自国の平和及び安全を危うくするものであることを認め、自国の憲法上の規定及び手続に従って共通の危険に対処するように行動することを宣言する」
という軍事同盟的意義が、9条2項条文との間で有形無実化している部分を憂いています。リアリストの立場からすればこれは至極もっともであり、憲法問題の「解釈」応用には少なからず限界点があることを露見する形になっています。
安倍氏の言う「自立した国家」は、北朝鮮の脅威という危機の前では現実味を帯び、また小沢氏の「普通の国になれ」というテーゼとも決して相反するものではないと思うのです。
小沢氏は、海部内閣当時の経験の中で、「国際貢献」(具体的にはPKOやPKFを指していると思われる)は日本自身が生き残る為の手段と考えていた様です。
安全保障分野では、何よりも国際協調をキーワードとしており、日本が負担すべき「平和と自由のコスト」について言及しているのは大変興味深いと言えます。
自衛隊を再編成するという「専守防衛戦略」から、新秩序構築を目指した「平和創出戦略」へのシフトは、日本独自での国土防衛計画、最終的には「軍事専門職である制服自衛官が純軍事的視点から行うことが不可欠」な本来の意味での「シビリアン・コントロール」が導き出されています。
旧日本社会党・原理主義的護憲平和論者の理論的支柱であった、『非武装中立論』とは一線を画していることは明白です。
参院選においては、年金問題の影に隠れてしまった感の否めない「国家の在り方」についても議論が成される事を願って止みません。それは、対北朝鮮政策や拉致被害者の救出プログラムにも直結して来るのですから。
…そして、国民新党が政界のキャスティング・ボードを握り、真の意味での責任政党(すなわち政権政党)となり得るべく、いち末端党員として闘って行きたいと思います。