「平安と喜びは救われた結果である」
ビリーグラハムは言う。
「どのような感情があろうと、それは、救いに至る信仰の結果である。
しかし、感情は、決して、たましいを救うことはないのである。
愛も喜びも、感情である。
内なる平安や、他の人々に対する愛や、失われた人々に対する関心も、感情である。
しかし、これらの感情が回心にはなり得ない。
あなたが、探求し、期待することの一つの経験は、キリストを信じるという経験なのである。」
キリストを信じるという素晴らしい経験の結果として、私たちには平安や喜びや愛が生まれてくる。
どちらが先かと言うならば、明らかに信仰が先にくる。
全ての良い感情や気持ちや心構えは、何もかもキリストを信じた結果として、私たちのものとなるのだ。
キリストを信じるとは、神の子供とされ、神の国に入る特権を与えられるということに止まらず、生きていく道程にて、生きていく力を与えられ、生きていく指針を与えられる。
キリストを信じるとは、生きていく全ての過程で、内から湧き出る生きていく力となるのだ。平安も喜びも動機も力も、キリストを信じた結果として与えられる。この力の基となる主に今日も拠り頼んでいきたい。