2017/12/14  21:44

東京駅前広場02  身辺些事
前回も記述したが「東京駅前広場」が完成した。この10数年、東京駅周辺は常に工事中だった。丸ビル、新丸ビル、旧国鉄本社(現オアゾ)、南口の日本郵政ビル、東京駅前地下、東京駅舎、最後に駅前広場が完成したことになる。

松本清張の「点と線」のトリックに使われた東京駅15番線は、今は無く10番線までである。14番線からは新幹線だから11・12・13番はない。昔の横須賀線は昭和の時代か、記憶に定かにないが丸の内側の東京メトロ「丸の内線」より深いところに造られた。ここで横須賀線と総武線が繋がった。

筆者がまだ勤務先の秋葉原に通勤していたときに旧国鉄本社跡地に今のオアゾなる高層ビルが建設中だった。毎日、朝07時45分頃、山手線に乗り換えるとき建設現場では、建設従業員が朝のラジオ体操をしているのが見えた。

添付は東京駅前広場の北口方面から南口方面を写したもの。日本郵政のレトロな建物を前に高層ビルが建つ。この方式は、丸の内周辺のビルは同じく前に昔の建物保存、後ろに高層ビルの形式。銀座の歌舞伎座も同様。日本郵政のビルを残せと主張した鳩山邦夫は団塊世代だが亡くなっている。

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2017/12/11  21:24

東京駅前広場  身辺些事
毎月第2日曜日は短歌の例会。したがって本年、最後の歌会だった。いつもはおおよそ20人くらいだが本日は16人だった。場所は江東区豊洲。発展著しいところで高層マンションが林立する。いつも同じ豊洲文化センターの8階の小人数が使用できる小部屋。同じ8階では、時々中国系の言葉が飛び交い、ここまでもという気がしたが、今日は無かった。

中央競馬のクラシックレースでもあれば、新橋汐留の場外馬券を買うところだが、昨日は2歳のいわば少女のレース、これは遠慮。ニュースで東京駅前広場が完成したことを知った。例会前にここを訪れたが、この10数年、東京駅周辺は常に工事中だった。丸ビル、新丸ビル、旧国鉄本社(現オアゾ)、南口の日本郵政ビル、東京駅前地下、東京駅舎、最後に駅前広場が完成。

本日、本来の信任状捧呈式のアフリカの大使の馬車行列がNHKのニュースに報道された。本来は東京駅ステーションホテルの前から出発する。信任状捧呈式は着任した外国の大使が皇居を訪問、天皇に信任状を捧呈する儀式でレトロな馬車が行幸通りを皇居へ向かう。

添付は広場から東京駅中心付近を撮影したもの。

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2017/12/8  22:20

庭仕事  身辺些事
昨日、筆者が昔、8年間を暮らした深川のシンボル「富岡八幡宮」近くで凄惨な事件が起きた。宮司の女性が刺殺された。犯人の元宮司とその妻も死んだ。横綱の石碑がある神聖な八幡宮では予期しない事件だ。鬼平犯科帳にも描かれた深川は血塗られた。

すぐ近くの深川不動に近い○○書店の子息が、誘拐されて惨殺されたのも記憶に新しい。昭和61年のこと。犯人は一審で死刑。上告せず間なく死刑が執行された。この頃、筆者は深川佐賀町に住んでいた。永代橋の東側の公団住宅で今は、取り壊され別な公団のビルになる模様。

添付は自宅の外壁に倒れた棗(なつめ)の枯れ木。重くて自分で動かせなかった。

このページ推敲します。

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2017/12/7  17:03

自爆行為  身辺些事
「梅伐らぬ馬鹿」と称されるが、筆者はその典型。昭和57年、新築時に叔父から貰い受けた直径10センチにも満たない梅の木は、今や根元は30センチの大木になった。簡易コンクリートの二階の屋根にも届こうかといった梅の木の高さ。全て伐採を決意したが、葉が全部落ちてから伐採、切り倒し、枝・幹前部を処分して貰うつもり。これは市に委託してもかなりの料金になる。

できるところは自分でやろうと本日10回目の庭の雑草刈り。腰を痛めているので全て鍬でやることは体力を消耗するばかり。そこでワイヤードの「芝刈り機」を使用、雑草を刈り取った。今日で10回目になる。

7回目のとき自爆した。憐れなるかな、電源コードだ。右手で芝刈り機、左手でコードを慎重に持っていても、左手が疎かになると一瞬でこの始末。芝刈り機で電源コードを切ってしまった。火花が散った。予備を購入してあったのでこれを使用。お粗末な庭仕事だった。

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2017/12/4  22:19

哀悼 はしだのりひこ  身辺世相
12月02日、はしだのりひこ(端田宣彦)が72歳で亡くなった。一歳違いなので思い出深い。昭和20年01月生なので学年は筆者と同じ。先月には一歳上の鶴岡正義と東京ロマンチカの三条正人が亡くなっている。フォークと演歌の違いはあってもほぼ同時期活躍した。

はしだのりひこは「帰って来たヨッパライ」で一世を風靡した。後に「はしだのりひことシューベルツ」で『風』もヒットした。10年程前からパーキンソン病を患い、一線を退いていたらしい。ザ・フォーク・クルセダーズの仲間の加藤和彦は音楽プロデュサーだったが平成21年、62歳で亡くなっている。北山修は71歳、精神科医で九州大学名誉教授。三者三様の生き方だった。大学も京都で同志社、龍谷、京都府立医科大学とこれも三様。

「帰って来たヨッパライ」は昭和42年のヒット。ブルーコメッツの「ブルーシャトー」もやはり同年ヒットした。筆者と友人はオープンリールの録音機を購入していて四畳半のアパートの部屋で「紅白歌合戦」を録音して楽しんでいた頃。「風」がヒットしたのは44年。昭和43年(筆者の23〜24歳)はよく覚えている。三億円盗難事件、川端康成がノーベル文学賞、金嬉老事件等々。

今上陛下の譲位で再来年、元号が変わる。平成時代は30年で終了となる。確実に「昭和は遠くなりけり」だ。

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2017/12/3  20:01

桃栗三年  身辺些事
筆者の住むのは邸宅?といっていい。建坪は14坪だが、車庫、物置、6畳のプレハブハウスと62坪の半分は、庭で樹木がある。叔父と親戚から貰った梅、市から貰ったゆずり葉、さらに金木犀、ヒバ、皐月、ボケ、青木、満天星と種類は一人前。23年前に母親は死んだが、その頃、同時に柚子の苗を植えた。

この20年、毎年柚子は実を着けて短歌会の例会へ持参、感謝?された。でも柚子も梅もいよいよ寿命を迎えたようである。柚子は枯れた。バスガイドの話に聞いたが「桃栗3年柿8年、柚子の大馬鹿18年」とは、種を植えてから実が生るまでの年月らしい。ネットで検索したら下記の記事があった。

≪桃栗3年柿8年、梅はすいすい13年、柚子は大馬鹿18年、林檎ニコニコ25年、女房の不作は60年、亭主の不作はこれまた一生≫

柚子は葉が枯れて来たから半分は伐採した。今年は10粒しか生らなかった。これも寿命だろう。人間にも寿命はある。ひとつには50年間の喫煙が祟ったのだろう。肺気腫、腹部大動脈瘤解離、糖尿病予備軍と筆者本人は、最後の“足掻き”だ。より磨きを掛けて天邪鬼のブログの記事に邁進する。

今、眉に唾して問題視しているのが「立憲民主党」。理想論・正義論が多く、枝野幸男は弁護士出身なのだからもっと現実を見て欲しい。北朝鮮がミサイルを飛ばしても、難民に近い漁船が日本海沿岸に漂着しても何も意見を言わない。憲法改正に反対する前に、進展しない「拉致問題」は政府に協力できないのか。理想論を声高に言い、現実を直視しなかった土井たか子は、昭和の時代、拉致問題を知らなかった。歴代政権以上に罪は重い。

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2017/12/1  21:20

特別弔慰金  身辺些事
このブログで過去8回も「戦没者特別弔慰金」のことを書いた。最初は2009年だった。この弔慰金のことは重複するので個人的感情の恨み辛みは避ける。

太平洋戦争の戦没者には国家のいわゆる補償がある。
 軍人恩給=総務省、
 遺族年金=厚生労働省、
 特別弔慰金=地方自治体

これらは全て受給資格のある者の自己申告が基本。届け出が無ければ、それだけのこと。筆者の実父の場合は、昭和20年11月10日の戦病死。戦死なので軍人恩給は関係がない。母親が再婚したので遺族年金は資格がない。特別弔慰金は実父の伯父が一度受給していた。これは昭和40年のこと、伯父は44年に死去。10年毎の弔慰金は、その存在そのものを知らなかった。

昨年07月に多くの書類を揃えてこの弔慰金を請求した。そこで解ったことだが、筆者本人のみが受給できることを証明する戸籍謄本を揃えなければならなかったことに尽きる。やっと昨日、通知が来て、今日直ちに市役所に赴き、指示された郵便局で5年分の国債、平成28・29年度の計10万円を手にした。国家の国民への借金は1000兆円。この中に筆者への国債10万円が含まれる。請求して一年半弱を経過した。

◆昨年07月揃えた書類
@請求書A請求者本人の戸籍謄本B母親の除籍謄本C戦没者(実父)の戦没記録のある戸籍謄本D請求者と戦没者の関係の解る戸籍謄本Eマイナンバー・住民票F本人確認(免許証)

請求書類の経路
請求書提出→市区町村→神奈川県(戦没者の都道府県は千葉県)→厚生労働省→財務省→市区町村→請求者本人の居住する郵便局

4種類もの戸籍謄本を揃えて解ったことは戦没者の実父は、筆者がその名前も存在も知らない実兄2・3・4男が居た。筆者には伯父。実父は5男だった。この戸籍謄本を追加請求するのに時間がかかった。実父は三人兄弟(長男の伯父、長女の伯母、実父)では無かったことが解っただけでもいいか、と思う次第。お役所仕事を実感した一年半だった。

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2017/11/28  18:41

西崎緑  身辺些事
前回に続いて港区高輪の話。高輪皇族邸は、昭和62年に亡くなられた高松宮宣仁殿下が居住していた。奥様の喜久子夫人は、15代将軍・徳川慶喜の孫。この辺は、江戸時代は江戸城の西南、細川越中の守の江戸屋敷。赤穂浪士の討ち入りも赤穂義士のうち17人がこの屋敷で切腹した。

この通りも傾斜があるが「二本榎通」。右折して国道1号・桜田通方向へ下るのが「天神坂」。休日なので人通りは少なかった。この二本榎通りを行き、高輪署を左折する下り坂が「桂坂」。下ればそこはJR品川駅に至る。坂の途中に日本舞踊の家元の屋敷があり門前に和服姿の女性が屯していた。

電信柱の看板には「二代目西崎緑舞踊研究所」とある。ネットで検索したら平尾昌晃作曲「旅愁」を歌ったのが西崎緑。歌手と日本舞踊の二束のわらじ、だったのかと思ったが違った。この桂坂の西崎緑は全く別の日本舞踊家だった。むしろこちらが本家だろう。稽古乃至発表会でも終わったのか、十数人が屯していた。止せばいいのに歌手の方かと訊いた。ただニコニコ笑っている和服の美女だった。無礼な老人と思われたに違いない。

歌手・西崎緑の歌「旅愁」TV朝日時代劇「暗闇仕留人」主題歌

片桐和子詞・平尾昌晃作曲
あなたをさがして此処まで来たの 恋しいあなた あなた 今何処に
風にゆれ雨にぬれて 恋は今も 今も燃えているのに ああ・・・
白いほほえみも うしろすがたも 遠い夢の中 あなたはいない

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2017/11/22  16:50

高輪皇族邸  身辺些事
先日、高輪の坂を探索した折、魚籃坂から天神坂へ向かう折、右側に広大な邸宅を発見した。直ちに持参していた地図で確認したら「高輪皇族邸」とある。しかるべく皇族の屋敷だったと思ったが、昭和天皇の弟宮・高松宮邸だった。高松宮宣仁親王殿下は昭和62年に薨去。奥様の喜久子様も平成16年に亡くなられている。喜久子様は徳川慶喜の孫との記憶がある。

今は、無人となっているのがこの高輪の屋敷だ。筆者がトボトボ歩いていたら、これも大きな駐車場にパトカーがあって警察官が乗っていた。筆者を遠くから眺めていたかどうかは知らない。

最近の天皇退位のニュースでは、皇太子と入れ替わりに天皇夫妻が赤坂の東宮御所に移られる話もある。ネットではこの高輪皇族邸も候補に挙がっているらしい。一枚庭木を撮影したがかなりの樹木は名が解らない。樹皮や枝の曲がり具合から楠(くすのき)かとも思う。樹皮だけだったら椎の木の類か。

今月も所属短歌会の原稿が届きました。ブログは来週まで休みます。

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2017/11/21  21:01

相撲改革  身辺世相
ワイドショーはいわゆる “種切れ”で横綱・日馬富士の暴行問題で連日、どの局も大々的報じている。北朝鮮問題、拉致被害者問題、韓国の慰安婦像問題などが遙かに問題なのに、食いつき易い問題に終始していささか辟易気味。

相撲協会の貴乃花親方が、結局オーバーに弟子・貴ノ岩への暴力を言い立てているという空気になっているが、ここは問題。オーバーでも親代わりの弟子への横綱の暴行なのだから「ああそうですか」で済まされる問題ではない。

体制順応の他の理事は、事勿れ主義、現体制の秩序を乱したくないというのも納得できるが、日本相撲協会は何故いつもことを隠蔽しようとするのか。貴乃花の相撲改革に協会も利権を持つ者も権益を削がれることを恐れているのではないか、とは筆者の見解。

横綱が三人も休場、他に四人、人気者「宇良」も休場している。ここがどうして議論されないのか。貴乃花は現役時代から“ガチンコ”で知られていた。手加減は無し、星の貸し借りなど無縁の真面目力士だった。だから22回の優勝に終わっているとの指摘もある。怪我は本人の責任だけでは無い。

以下は筆者の天邪鬼にして素人の意見・具申。

土俵の高さ(49p?)を今の三分の二、乃至半分にすること。
◇土俵の広さ15尺(4.55m)はそのまま。
◇房、昔の四本柱(18尺)を20尺に広げる。
 これで怪我は少なくなるだろう。
土俵周囲の枡席は、全部椅子席にする。高齢化社会を考慮する。
◇力士は相撲部屋所属。部屋持ち親方の意見を万事優先すべき。

前理事長・北の湖親方は、貴乃花を理事長に推薦していた。出羽の海系の北の湖が二所ノ関系の貴乃花を高く評価していた。今、出羽の海系の理事は三人居る筈。何故、貴乃花を支持しないのか。茶屋を通さなければ良い席は望めない。億単位の親方株を平幕力士が持てる?等、陰の部分を容認しても改革は必要。

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