2017/2/21  21:58

終りの始まり  身辺世相
朝鮮半島はいよいよ崩壊寸前になった。あれだけ期待されて大統領になったのに朴槿恵氏は、長年の友人に取り込まれて政権の内部をも浸食されて、公金を横領された感じだ。法治国家では有り得ないこと。韓国GDPの20パーセントを生み出すサムスンの事実上の社長が逮捕された。日本で云えば、トヨタの社長が逮捕されたようなもの。情実社会だから常に法律や事実は、棚に上げ大騒ぎとなる。日本への「慰安婦問題」も官憲の強制は無かったし、根拠となった吉田清治は、自分から「あれは捏造」だったと云っても、慰安婦に少女が居たという根拠の薄いことを世界中に発信して恥じることはない。とにかく“日本は悪い”のだ。経済が崩落寸前でも鼻息は荒い。日本は頼まれてもスワップ協定など無視すべきで友好国インドなど東南アジアに目を向けるべき。

北朝鮮ももっと危ない。金正日の長男・金正男が、マレーシアで毒殺された。金王朝の三代目は「金正恩」で腹違いの弟だ。中国との橋渡し役の義理の叔父・張成沢も残虐に公開処刑している。核兵器や弾道ミサイルの開発は着実らしくミサイル技術を中東に輸出してドルを稼いでいるらしい。週刊誌などの先鋭的な論調によれば、韓国軍部を正面に立たせ、中国・アメリカ・ロシア・日本の軍部も巻き込んで金正恩除去の作戦が進んでいるらしい。アメリカ・中国・ロシア・韓国・日本は、それぞれ対立している部分がある。まともなのは日米関係だけだ。近々何らかの作戦が実行されるように思う。日本人の拉致被害者救出作戦に自衛隊の特殊部隊でも参加しなければ、永遠に拉致被害者は還っては来ない。

月末の仕事が本日到着、今回は歌集批評があり幾分多め。しばらくブログの記述お休みします。

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2017/2/17  22:07

三橋美智也 雑感 終  身辺世相
ここ数年、年金生活を顧みず昭和史・太平洋戦争の関連本を買い漁っている。たとえば中公文庫など近現代史のそれも歴史的人物の本は、既存の書店では入りにくい。アマゾンという通販ではこれが、新刊でも古本でも検索しつつ容易に手に入る。新刊は代引、古本はギフトカードが必要。

ウェブサイトで検索したらその名も『三橋美智也』という本に出くわした。アマゾンではあらかじめクリックしておくと、もうそれが記録されるらしく購入の申し込みを確定したのが一昨日で、僅か24時間で届いた。このスピード感では既存の書店も太刀打ちできない。今回は6冊を購入、購入履歴も一定期間残るから便利だ。

◇昭和・平成 事件の目撃者たち 別冊宝島 A5判
 豊田商事事件、小野田寛郎、大相撲八百長問題他。
三橋美智也 萩野広 アルファベータブックス 四六判
◇歌謡曲が聴こえる 片岡義男 新潮新書
 この作者には三橋・島倉の字は無かった。美空・田畑・こまどり姉妹他。
◇日本奥地紀行 イザベラ・バード 平凡社ライブラリー
 明治時代初期、殆んど単独で東北を徒歩紀行した。明治時代の地方の営みの貴重な記録が文献になっている。
◇革新幻想の戦後史 上・下 竹内洋 中公文庫
 著者は戦後の反体制・進歩的文化人を豊富な歴史・論理・事実を提示して断罪している。

「三橋美智也」の著者は「萩野広」なる人物で“三橋美智也研究家”とかでビックリした。四六判でソフトカバー。多分初版のみで売れないだろう。三橋美智也への過小評価も関連している。出版社も聞いたことがない。だが研究家を自称するだけあって、各種文献を駆使、三橋のプライベートもかなり追及、明かしている。三橋が晩年を共に過ごした「二条弘子」が著わした本は、むろん古本だが6000円もする。昭和58年発刊の『ミッチーの人生演歌』(翼書院)は、稀少なのか12万6000円もする。これでは国会図書館へでも行くほかはない。

前回の記述で少しく北島三郎の悪口を言ったが、これは補足する。名義貸ししていたホテルの倒産などで窮地に陥った三橋に手を差し伸べたのは、北島で三橋の八王子の土地を全て買い取ったらしい。テニスコートもある1000坪の土地であることは耳にしていた。三橋が19歳で上京、横浜の綱島温泉を紹介したのは先輩の民謡歌手であったこと。21歳で入学した明大中野高校は全日制に通ったことなどをこの本で確認した。訂正する。

前回、筆者の好きな三橋美智也の20曲を披瀝した。その選に漏れた!20曲を最後に紹介したい。太字はミリオンセラーだが、これは好みの問題で仕方がない。「みちや会」で非売品の『三橋美智也事典』が刊行されたらしいが、これは手に入らないだろう。

三橋に2曲を提供した「船村徹」が84歳で昨日、死去した。昨年秋の文化勲章を受章会見でも痩せ衰えていたので心配していたが、昭和の歌謡曲の終りを感じる。

おさらば東京 昭和32年11月 横井弘・中野忠晴
◇快傑ハリマオの歌 昭和35年 加藤省吾・小川寛興
◇かすりの女と背広の男 昭和34年05月 黒田すゝむ/横井弘・吉田矢健治
◇麦ふみ坊主 昭和34年12月 横井弘・中野忠晴
あの娘が泣いてる波止場 昭和30年12月 高野公男・船村徹
◇ご機嫌さんよ達者かね 昭和30年07月 高野公男・船村徹
夕焼けとんび 昭和33年03月 矢野亮・吉田矢健治
◇岩手の和尚さん 昭和33年11月 矢野亮・吉田矢健治
◇北海の終列車 昭和34年12月 高橋掬太郎・中野忠晴
お花ちゃん 昭和31年10月 矢野亮・吉田矢健治/小町昭
◇俺ら炭鉱夫 昭和32年01月 横井弘・鎌多俊与
◇二本松少年隊 昭和40年09月 高橋掬太郎・細川潤一
◇夢で逢えるさ 昭和34年04月 矢野亮・佐伯としを
◇ああ想夫恋 31年12月 高橋掬太郎・細川潤一
◇東京五輪音頭 昭和39年04月 宮田隆・古賀政男
◇幻灯の町 平成05年05月 横井弘・江口浩司
◇月の峠路 昭和33年09月 東條寿三郎・吉田矢健治
◇東京の鳩 昭和42年05月 横井弘・中野忠晴
◇流れ星だよ 昭和37年12月 矢野亮・前田伸一
◇摩周湖の歌 発売日、作詞・作曲者は不明で探索中。

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2017/2/16  23:29

三橋美智也 雑感05  身辺世相
三橋美智也のミリオンセラー18曲

01「古城」300万枚
02「リンゴ村から」270万枚
 「星屑の町」
04「哀愁列車」250万枚
05「夕焼けとんび」220万枚
 「達者でナ」
07「おんな船頭唄」200万枚
 「母恋吹雪」
09「あの娘が泣いてる波止場」180万枚
10「お花ちゃん」150万枚
 「一本刀土俵入り」
 「赤い夕陽の故郷」
 「武田節」
 「石狩川悲歌」
15「男涙の子守唄」120万枚
16「あゝ新撰組」110万枚
 「おさげと花と地蔵さんと」
18「おさらば東京」100万枚

私の好きな20曲 太字はミリオンセラーでない曲

1 古城 昭和34年07月 高橋掬太郎・細川潤一
2 武田節 昭和36年05月 米山愛紫・明本京静
3 男涙の子守唄 昭和31年05月 高橋掬太郎・細川潤一
4 石狩川悲歌 昭和36年01月 高橋掬太郎・江口浩司
5 ギター鴎 昭和33年01月 矢野亮・吉田矢健治
6 新撰組の唄 昭和37年 牧房雄・船越隆司
7 おんな船頭唄 昭和30年04月 藤間哲郎・山口俊郎
8 リンゴ村から 昭和31年05月 矢野亮・林伊佐緒
9 おさげと花と地蔵さんと 昭和32年09月 東條寿三郎・細川潤一
10 草笛の丘 昭和33年02月 高橋掬太郎・飯田三郎
11 リンゴ花咲く故郷へ 昭和32年07月 矢野亮・林伊佐緒
12 達者でナ 昭和35年10月 横井弘・中野忠晴
13 母恋吹雪 昭和31年12月 矢野亮・林伊佐緒
14 あゝ新撰組 昭和30年09月 横井弘・中野忠晴
15 一本刀土俵入り 昭和32年04月 高橋掬太郎・細川潤一
16 赤い夕陽の故郷 昭和33年11月 横井弘・中野忠晴
17 哀愁列車 昭和31年06月 横井弘・鎌多俊与
18 星屑の街 昭和37年05月 東條寿三郎・安部芳明
19 東京見物 昭和32年03月 伊吹とおる・佐伯としを
20 センチメンタルトーキョー 昭和33年08月 東條寿三郎・佐伯としを

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2017/2/14  21:42

三橋美智也 雑感04  身辺世相
北海道新幹線が津軽海峡を潜り「新函館北斗駅」まで開通したのが昨年03月、札幌までは2031年との由。そこまでは生きて居ないからどうでもいいが、新函館北斗駅の構内には、「三橋美智也生誕の地」という記念碑が完成している。

三橋美智也は、昔の上磯郡上磯町(現在は北斗市)の出身。函館には「北島三郎記念館」があるらしいが、生きているうちに記念館をそれも自分で建設したのはいかがなものか。北島三郎が逆立ちしても三橋美智也は超えられない。新宿の流し出身で苦労したのは解るが。添付の画像は、勝手にウェブサイトで検索、拝借した。許されたい。いつの日か、この駅に赴き撮影したい。

三橋美智也の後援会「全国みちや会道南支部」(山下勇吉支部長)が寄付金を集め、新函館北斗駅前に建立を進めていた。揮毫は現在の高橋はるみ知事だという。記念碑は(210p×110p)は、黒御影石と白御影石を使用。全国300人余りのファンらから集まった基金670万円を建立費に充てたというが、筆者も知っていたら多少は寄付したと思う。(函館新聞の記事を参照)黒御影石に刻まれている代表曲20曲は、暇人につき読み解いた。民謡は割愛する。やはり道南関係者の後援会の推薦では方言の入る「お花ちゃん」などは納得する。因みに筆者の好みの20曲には、ここに14曲がある。それは次回に発表。

古城・リンゴ村から・星屑の町・哀愁列車・夕焼けとんび・達者でナ・おんな船頭唄・母恋吹雪・あの娘が泣いてる波止場・ギター鴎
お花ちゃん・一本刀土俵入り・赤い夕陽の故郷・石狩川悲歌・男涙の子守唄・岩手の和尚さん・あゝ新撰組・おさげと花と地蔵さんと・おさらば東京・東京五輪音頭

筆者の所持する本で三橋美智也を調べてみた。やはり過小評価の感はぬぐえない。三橋の歌、人物の描かれている部分を選択した。

◇『僕の昭和歌謡曲史』泉麻人 講談社文庫
 「怪傑ハリマオの歌」を、月光仮面を引き合いにして解説。
◇『島倉千代子という人生』田勢康弘 新潮文庫
 著者は昭和19年生。島倉千代子が存命の頃、この本を発行。同時期に売れ出した三橋のことは、各項目で触れられている。
◇『メロディと日本人』みつとみ俊郎 新潮選書
 村落共同体から離れた者の辛さや回帰を「リンゴ村から」を通して分析する部分がある。演歌とクラシックの根本を解説している。
◇『歌謡曲』高 護 岩波新書
 岩波新書の常として資料を駆使して実態を解説するが、この作者は、歌謡曲だが、演歌を半ば無視する。昭和34年が起点なのに「古城」「南国土佐をあとにして」に触れていない著者は、ポップス系の関係者なのか。
◇『不滅の歌謡曲』なかにし礼 NHK知る楽
 昭和40年以降、作詞家としてデビュー。戦前の満洲生だから軍歌などの考察がある。三橋の“ミ”も無い。民謡の「おてもやん」には触れている。昭和20年からの20年間の歌謡曲が欠落している。美空ひばり、島倉千代子にも言及がない。
◇『管見妄語 始末に困る人』藤原正彦 新潮文庫
 「国家の品格」がベストセラーになった。ここでは「おんな船頭歌」についての思い出が詳しく書かれている。

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2017/2/10  23:02

三橋美智也 雑感03  身辺世相
筆者が最も貧乏だった人生の時期は、昭和32〜34年頃、東京墨田区の中学に入学・通学した頃だった。だから余計ラジオから流れてくる歌に癒された。当時は各家庭にTVはなく娯楽は専らラジオだった。男性歌手は三橋美智也、春日八郎、女性歌手は美空ひばり、島倉千代子だった。その頃、よく聞いたのが島倉の「逢いたいなァあの人に」、三橋の「リンゴ村から」だった気がする。

今、ネットで調べると発売が同時期の両者の歌は「東京だよおっ母さん」、「東京見物」。島倉はコロムビア、三橋はキングだ。どちらが刺激されて後追いしたのか、全く同時期かは不明。前者は二重橋・靖国神社・浅草、後者は二重橋・上野・靖国神社が詩に入る。「おっ母さん」「おっかさん」も同様で、二つの歌は戦死した兄を偲ぶのも同じ。戦後12年目だからこれは日本の一般大衆に同じような境遇の世帯が多く大いに共感を得たのだろう。この詩もほぼ“七五調”といっていい。

三橋美智也と島倉千代子、大いに売れた歌手だから、ただそれだけで結婚も噂された。よく考えれば歌謡界の男女の大スター、結ばれる筈もない。案の定、売れっ子は、取り巻きがレコード会社もプライベートに於いても許すわけはない。これも案の定、歌に真面目なだけに金銭に半ば無頓着、お人よしで殆んど身内に“たかられて”騙されて大いなる借財を背負ったのが共通事項。

東京だよおっ母さん 作詞 野村俊夫・作曲 船村徹
島倉千代子 昭和32年03月

久しぶりに 手をひいて 親子で歩ける うれしさに
小さい頃が 浮かんできますよ  おっ母さん
ここがここが二重橋 記念の写真を とりましょうね

やさしかった 兄さんが 田舎の話を 聞きたいと
桜の下で さぞかし待つだろ おっ母さん
あれがあれが九段坂 逢ったら泣くでしょ 兄さんも

さあさ着いた 着きました 達者で永生き するように
お参りしましょよ 観音様です おっ母さん
ここがここが浅草よ お祭りみたいに にぎやかね

東京見物 作詞 伊吹とおる・作曲 佐伯としを・編曲 小町昭
三橋美智也 昭和32年03月

写真で見ただろ おっかさん お濠に映った 二重橋
東京見物させたいものと いってた兄貴も 草葉の陰で
にっこり笑って 見てるだろ

話に聞いたろ おっかさん 上野のお山の大男
東京名物 西郷さんだ お国のためだと笑って死んだ
兄貴の横顔 思い出す

拝んで行こうね おっかさん 靖国神社だ あの鳥居
東京見物させるといった やさしい兄貴が戦友たちと
眠っているんだ 逢ってゆこう

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2017/2/8  23:30

三橋美智也 雑感02  身辺世相
三橋美智也という歌手が大ブレイクしたのは昭和31年頃だったと思う。筆者が上京して中学校に入学したのは昭和32年、丁度この頃から10年間が三橋の全盛期だった。ほどなく御三家という橋幸夫・舟木一夫・西郷輝彦など若手の台頭となり、以後、昭和40年代には、グループサウンズの勃興となって演歌は衰退していく。

6年半前に少しくその思い出を記述した。三橋の哀愁のある天性の美声は多くの日本人が魅了されたが、晩年はやはり悲惨だったと言っていい。その死に様は自業自得というしかないが、美声と同じくその東北人の天性の人の良さがつけ込まれたように思う。名義貸ししたホテルは倒産して借財を背負った。

再度記述するのは、その学歴のこだわりで意気を感じるからである。11歳で北海道の民謡コンクールに優勝しても多分それだけの事だっただろう。中学卒業後、三味線と共に旅回りの民謡歌手だったらしい。一念発起して三味線一本を持ち、19歳で上京、当初は喜劇役者の榎本健一を訪ねたらしい。ここで紹介されたのか横浜の綱島温泉のボイラーマンとなり、客に民謡も教えることになった。経営者に明大中野高校定時制通学(今は定時制は廃止)を許され21歳で入学、24歳で卒業している。

民謡教室の弟子が「NHKのど自慢」に優勝。キングレコードで録音ということになったが、この弟子があがってしまい、録音にならなかった。三味線伴奏の付き人だった三橋が歌ってみせ、キングではこの伴奏者の方がいいと契約に及んだ。歌手デビューしても3年間は売れなかった。「おんな船頭唄」のヒットで人気に火が着いた。東北出身で上京してきた中卒者などに圧倒的支持があったのだろう。

高校など無事に進学できた者には、売れっ子になる前の三橋の学歴のこだわりは理解できないだろう。筆者など定時制高校中退で30歳で一念発起、文部省の大検にチャレンジして合格したのは32歳。玉川大学の通信教育で小学校教職課程に学んだ(年齢的に無理だったが)。だから21歳で高校入学、同級生に「おとっつぁん」と云われても恥じない三橋の気持ちは忖度できるし大いに肯う。

前回、高橋掬太郎の“七五調”の詩と哀調を帯びる細川潤一の曲に印象が残ると記述した。今回は東北出の人間に思い出深いものを選んだ。作曲者の林伊佐緒も中野忠晴も元は歌手である。

◇リンゴ村から 昭和31年05月 矢野亮・林伊佐緒
◇母恋吹雪 昭和31年12月 矢野亮・林伊佐緒
◇リンゴ花咲く故郷へ 昭和32年07月 矢野亮・林伊佐緒
◇赤い夕陽の故郷 昭和33年11月 横井弘・中野忠晴
◇麦ふみ坊主 昭和34年12月 横井弘・中野忠晴
◇達者でナ 昭和35年10月 横井弘・中野忠晴

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2017/2/6  23:44

三橋美智也 雑感01  身辺世相
経緯は省くが、筆者の中学時代の友人の友人・曽我部員義氏よりブログの拍手欄へコメントを戴いた。それは平成22年(2010)08月の「三橋美智也」、昭和31年よりブレイクした大物演歌歌手の記述だった。そこに筆者の三橋美智也ファンの聊かのこだわりを書いた。

平成27年12月に筆者のHP「無明庵」に『御親閲を拝受して』という戦前の「青年学校」の生徒の貴重な記録を再録させて頂いた。そこで初めて叉銃(さじゅう)、咫尺(しせき)、鹵簿(ろぼ)などの言葉を知った。曽我部氏の伯父の記録で、伯父・曽我部孝氏は、昭和19年に22歳で戦死されている。

同ページには『昭和初期─銀座四丁目一番地』も再録してある。これも中学時代の友人の関連、その父親の仕事(呉服商)の回想だ。更にその父親は現在100歳で元気で独居、歌舞伎見物などもしておられる由。併せて≪湘南の暇人・無明庵≫を検索して鑑賞して頂ければ幸いだ。

さてその三橋美智也だが平成08年に65歳にて死去している。晩年は糖尿病に苦しんだ。序に云えば当時の演歌の御三家春日八郎・村田英雄も糖尿病で、そしてそれが命取りになった。昨年秋にBS・TBSで五木ひろしの司会で自らが「三橋美智也」を歌う二時間の特集があった。ゲストに小椋佳、堀内孝雄などが思い出を語っていて且つ歌ったが、三橋美智也には遠く及ばないものだった。歌唱力のある、無いではなく、それは無いものねだりというしか言いようの無い音質の違いだった。

五木ひろしは、紅白歌合戦に40回以上出場し、14回の三橋より遙かな大物?と五木ファンは思うだろうが、それは当時のNHKの選考基準に拠る。その番組で五木は津軽三味線を披露した。与えられたチャンスだろうから懸命に訓練したであろうことが窺えた。それは弟子の細川たかしにも言える。だが三味線は努力すれば簡単ではないができる。筆者の好きな三橋の歌を五木は歌った。「ギター鴎」「男涙の子守歌」も懸命にボイストレーニングを試みてチャレンジした感があるが、高音が出ても無理に声を絞り出していて、三橋美智也とは異質の高音でしかなかった。研ぎ澄ましているが、三橋の自然な高音は望むべくもない。

中途で吟詠が入る「武田節」も同様だ。三橋美智也の高音は天性のもので、そこには民謡で鍛えた愁い・艶・濡れた音質は、五木ひろしは及ばない。三橋の弟子で高音のいい細川たかしも少し違う。無理なく歌うのは、民謡が出身の福田こうへい辺りか。

三橋美智也がいかに魅力的な演歌の歌い手であっても詩・曲に恵まれなければそれはただの民謡出身の歌手。筆者には今、短歌にいささか関わっているので高橋掬太郎(きくたろう)の“七五調”の詩と哀調を帯びる細川潤一の曲に印象が残る。三橋の曲は、吉田矢健治(司馬遼太郎の戦友)、林伊佐緒・中野忠晴にもいいものがある。それは次回。

男涙の子守歌 細川潤一作曲 昭和31年05月
 こがらし寒く 夜はふけて 月はさゆれど 身は悲し
 坊やよい子だ ねんねこしゃんせ 声も涙の もらい乳

古城 細川潤一作曲 昭和34年11月
 松風さわぐ 丘の上 古城よ独り 何偲ぶ
 栄華の夢を 胸に追い ああ 仰げば侘びし 天守閣

石狩川悲歌 江口浩司作曲 昭和36年11月
 君と歩いた 石狩の 流れの岸の 幾曲がり
 思い出ばかり 心につづく ああ初恋の 遠い日よ

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2017/2/4  21:11

救難飛行艇  身辺世相
昨日の産経新聞朝刊(夕刊無)に「救難飛行艇の後継機検討 防衛省 低価格化で輸出目指す」の記事があった。筆者が知るのは、関西の人気キャスター・辛坊冶郎氏がこれによって救出されたことだった。辛坊氏は平成25年(2013)の06月に友人と二人での太平洋横断に失敗した。ボートが大波で浸水、救命ボートに乗り移って救助を待っていたとき、海上自衛隊の救難飛行艇・US2によって救われた。この時、波高3〜4mの状況だったと言う。

≪US-2は「救難飛行艇」のため、主な任務は海難救助や離島の急患輸送。そのため、長い航続距離と離着水時の滑走距離の短さが特徴的。2007年から配備されており、既に何回かの救難任務や急患任務で活躍している。しかしUS-2は1機100億円という高価な機体であり、元々多く配備する方針ではないため調達数は4機となっている。≫ウェブサイト「海洋国防記」参照。週刊東洋経済(2012・01・21)の記事には1機140億円とある。

フィリピンやベトナムの南シナ海に勝手に人工島を造って、東シナ海にも人民解放軍の艦船を展開、尖閣諸島はおろか太平洋上の制覇を目論むのが中国。US2の後継機には、日本のシーレーン(海上交通路)にも関連するインドや東南アジア諸国が、高い関心を示しているのは当然だろう。US2の後継機、US3?は軍事的な攻撃機ではない。量産体制を確立、コストを下げるべき。日本の防衛戦略に異を唱えるのは、中国と朝鮮半島。素人でもインドや東南アジアと協調するのは当然と思うが。

≪政府は、US2などの防衛装備品の輸出を成長戦略の柱であるインフラ輸出と位置付け、関連施設の建設や機体整備、要員の訓練などと一体的に売り込むパッケージ型の輸出も想定している。US2は機体の価格が最大のネックとなっていまだに交渉成立には至っていないことから、後継機の開発と並行で進める方針だ。≫産経新聞平成29年02月03日記事。

アメリカにドナルド・トランプ政権が誕生。日本のメディアは誰もがクリントン当選を予測していたからその弁明に追われているのが現状。トランプ当選を明確に予測していたのは、NHK出身の木村太郎氏だった。そのトランプ大統領は、対中国・北朝鮮には厳しい姿勢だから日本にはいい傾向と捉えるべきなのではないか。トランプ政権を批判し、中国に遠慮する日本のメディアも少なからずある。アメリカ国民が選んだトランプ、他国が批判するのは可笑しい。

添付画像はネットより拝借した。

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2017/2/2  22:22

菜の花台  身辺些事
昨日はポカポカ陽気だったが、一転して今日は南関東にしては厳寒。こういうときは空気が温まらないから雲が発生しない。したがって南関東では富士山がよく見えることになる。平塚市からは隣街の秦野市東部の山を登っていくと富士見のよい場所がある。ヤビツ峠へ至る「菜の花台」には木造の富士見台がある。駐車場・公衆トイレも完備されている。

ここからは相模湾が見え、空気が澄んで居れば江の島、三浦半島も見える。空気の温まる午後は多分、雲が発生するから午前10時、愛車・三菱トッポで出掛けた。ヤビツ峠までは何往復か神奈川中央交通のバスも通じている。ヤビツ峠は、大山阿夫利神社へハイキングコースにもなっている。峠への九十九折の登山道の中途にあるのが菜の花台。

平塚市北部は伊勢原市。鎌倉時代の源氏政権より伊勢原の大山阿夫利神社は、今日まで庶民の信仰が厚かった。江戸時代以降は、相模湾の江の島詣でと大山詣では、庶民の足でも出かけることが可能だから繁盛したのだろう。

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2017/1/31  23:22

歴史的事実  日本史
昔から日本史探訪が趣味と自認して、確かにNHKで放送していた『日本史探訪』などの書籍は全巻があるが、それはそれだけのこと。昭和45年〜48年の頃の刊行で、ここに出演することが当時の作家のステータスだった。

日本史探訪が趣味なら圧倒的に戦国時代と幕末時代に人気があるに違いない。人物、時代、文化芸術と細分化できるし、個人的には更に史跡探訪、美術鑑賞、時代小説の読書と範囲は広がる。筆者の場合、鎌倉散歩とカメラ好きが実際のところ。定年以後に軸足を置いた太平洋戦争・近代現代史・昭和史の研究?探索!などは日本史好きとしては、多分邪道だろう。今では奈良時代、鎌倉時代、江戸時代の夫々の項目など為政者や天皇などは殆どうろ覚えだから添付のようなコンパクトな指南書や事典のお世話になる。

平成20年の開設以来のブログの記事は当初は、旅の報告、日常の些細な報告、小生にしては反響が大きかったのは「活版印刷」の話だった。政治の悪口が多くなったのは民主党政権が誕生したころ。

中国や韓国の悪口?を記事にするようになったのは第二次安倍晋三政権発足以後のことだ。したがって中国や朝鮮半島は「安倍外交」が気に入らないから日本攻撃となり、嫌中・嫌韓の雑誌が圧倒的に売れるようになり、筆者もその読者になったのが正解。

だが指南書の読解の後、「目から鱗」の事実も多い。朝鮮人に暗殺された初代首相のの伊藤博文など「韓国併合」における日本の植民地政策の“悪”の権化のような今の認識が全くウソであることが判る。伊藤は韓国の植民地化などは当初から反対でむしろ朝鮮半島の近代化のために積極的に努力した。これをよく知らない朝鮮人が伊藤を暗殺した。慌てたのは当時の韓国政府で日本政府とともに日本の朝鮮併合政策でロシアの南下に対抗したのが真相。

こうした歴史的事実は、事大主義の朝鮮半島では通用しない。近代化が遅れたのは、自己責任と思わず、とにかく日本は悪者でないと収まらないらしい。こういう国は、無視して日本は、東南アジアに軸足を移すべき。

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