2017/8/19  21:48

演歌ファンのコメント  パソコン
2014年08月29日から翌年にかけて50年前に引退した演歌歌手・北見和夫のことを書いた。昭和39年の東京五輪前後の話で思い出深い。計4回、2015年08月13日には記述に誤りがあったので(この歌手は死んでいるとの迷惑メールを不用意に信じた)謝罪文(本人の妹さんから兄は生きていますとのメール)を書いた。少なからずファンはいる。京都の岩田さんから北見和夫のデビュー曲から始まって2枚のCDを送って貰った。経緯はこのブログで丁寧に記述したので参照されたい。

07月22日にハワイのアメリカ人からコメントがあった。

こんにちは!私の名前はアンです。私はアメリカ人です。私は現在ハワイに住でいます。私は過去3年間、日本の佐世保で過ごしました。私がそこに住んで いたとき、福岡の箱崎神社でアンティーク市場に行くのが好きだった。一度、 三橋美智也と一緒に古い曲の本を見つけました。もちろん、私は彼が誰だったか分からなかった。私は日本語を読むこともできません。 (私はこのメッセージを書くためにオンラインの翻訳者を使用しています)しかし、私は大きな音楽愛好家であり、彼はとてもハンサムであると思ったので、私はその本を買った。日本語と英語の両方を知っている女性が彼の名前を教えてくれました。私は彼の曲をYouTubeで聴いた。私は彼を大好き!私は他の古い歌手についても調べました。私は今、多くのCDを持っています!私が最近研究した歌手の一人は北見和夫です。あなたのブログ記事を見つけました。私は北見和夫に興味があります。しかし、彼の曲はCDにはない。それは非常に残念です。とにかく、このメッセージのポイントは、三橋美智也、北見和夫、そして他の古い歌手についてお話したいかどうかを尋ねることです。アメリカの誰もその音楽に興味がありません。また、私の日本人の友人はその音楽に興味がありません。あなたは私に日本語で書くことができます。私はオンライン翻訳者を使用します。 簡潔で簡単な文章を書いてください。理解しやすくなります。私が提供した電 子メールアドレスに書き込んでください。私はあなたから聞くことを願ってい ます。心から、アン。

以下は私のコメント。確かなアドレスが解れば本人にメールを差し上げるつもりだ。それにしてもオンライン翻訳者で英語が日本語に訳してくれるとは、いい世の中になった。北見和夫など日本の古い歌手について知りたいという日本文化に興味を持つアメリカ人。要望には応えたい。

アン様、コメント有難う。コメント欄を最近、あまり見ずに気がつきませんでした。今、お答えします。三橋美智也・北見和夫は1960年代の日本の演歌歌手です。何でも訊いて下さい。同じキングレコードに所属した歌手でした。三橋美智也は高音がすばらしく大いに売れた歌手でした。1965年頃から日本ではポップス系の歌謡曲が主流になりました。“スキヤキの坂本九などです。北見和夫は、それほど売れない歌手でした。10年くらいで引退しました。北見和夫は1937年生。その後、歌手で無い人生を送ったようです。三橋美智也は1996年、64歳で死去。

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2017/8/17  22:12

更新126  パソコン
定年時の平成16年07月の平塚市の七夕の日にホームページを始めた。以来頁を作成したのが126回、このHPのODNの限度は50MBだから画像の大きさが100KBなら500枚が限度だ。

ライフワークとしている「昭和史」の画像は削除できないので、容量の大きい旅の頁・花画像の頁は壊して削除、無料のブログへ移行している。

このteacupの画像の限度は解らないが、いずれ調べる。このブログの最初は平成20年で、この時も「平塚七夕まつり」だった。爾来1000回を越えているから画像も1000枚以上になる。

今回の「旧吉田茂邸」の文章は07月29日のブログの記事を使用。

15日のNHK[インパール作戦]の感想、ブログへのコメントに昔の演歌歌手「三橋美智也・北見和夫」への質問もあった。それもハワイ在住のアメリカ人で日本語が解らず有料の翻訳を通じての質問だった。これも近々ブログに書きたい。まさかまさか昭和の文豪とも云える石川達三の墓所が、筆者が平成18年に建墓した自分の入る墓の斜め前に存在した。これも何れ報告。

添付は吉田茂邸応接間。

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2017/8/15  21:49

夏のセレモニー  身辺些事
今朝の「産経抄」にある俳句が紹介されていた。川柳ではない。

 八月の六日九日十五日 小林良作 平成26年
 八月や六日九日十五日 諫見勝則 平成04年

この二つの俳句の成立の過程は、ここでは解説しない。前者は昭和19年生の法務省職員。後者は海軍軍人で医師。日本人なら読んですぐ判る俳句で、いいか悪いかは読者次第。だが最近の若者は、教育現場でも丁寧な近・現代史の授業は無いし、大学受験にも取り上げられない。新聞やテレビもあまり見ないらしいから広島・長崎の原爆忌も知らない者もいるとの現実もある。

序に云えば08月12日は、群馬県御巣鷹山に日航機が墜落して500人以上の死者を出し、歌手・坂本九が死んだ事実がある。つまり08月06日から三日毎にセレモニーがあることになる。

筆者の住む神奈川県西北部には各家、門前に盆棚・精霊棚を設えて先祖の霊を迎える風習がある。旧盆の13日に「迎え火」を焚いて祖霊を迎え、胡瓜や茄子に苧殻を四本足に射した乗物を用意して待つ。16日には「送り火」を焚いて祖霊をあの世に送り返す。

今迄、専業農家だった家々は、好むと好まざると係らず300坪の宅地がある。農家を継がない家が増え、止むを得ず売り払うと、そこは先ず5軒に区分され建売住宅が建つ。一軒おおよそ2500万円。こうした傾向だが、だいたい全部売れるのを目撃!?しているから需要はある。小学生時代は専業農家の多い農村は、首都圏として様変わりした。地元の人間は歓迎はしない。

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2017/8/12  22:51

インパール作戦 参考書  昭和史
毎朝のNHKのドラマの所謂“朝ドラ”は見ない習性なので「ひよっこ」なるものは主役も端役も知らない。最近の傾向らしいが女性が主人公で、健気に自分の道を切り開いてゆく物語が多いらしい。数年前の「てっぱん」という関西制作のドラマは見た記憶がある。このドラマは大概、老人の耳には馴染まない主題曲が多く、毎回初回を見て聴いて決める。今回は、桑田佳祐でさすが主題曲だけは合格である。主題曲が流れるだけで音声を消すのも多い。

今頃、筆者のブログの労作!?「インパール作戦」に書き込みがあったので驚いた。検索したら今の朝ドラに「インパール作戦」「ビートルズ」が出てくるらしく筆者のよく知る昭和41年のこと。共通するのがイギリス。ビートルズが来日して武道館で公演、今も語り草だ。その一人のポール・マッカトニーが来日、先頃、武道館で公演した。ビートルズ公演は51年前のことである。

「ひよっこ」の原作も脚本もよく知らない。ドラマの中に太平洋戦争の重い事実「インパール作戦」の生き残り兵士が出て来て、時代設定がビートルズ来日は、かなり唐突である。インパール作戦に限らず、南方の阿鼻叫喚の従軍経験者は、その事実を女性相手にペラペラ喋ったりはしない。だが20歳で参戦したなら年代は一応合っている。来週のみ見ることにする。

筆者のこだわりはインパール作戦が無残な“白骨街道”になった昭和19年06月生であることに起因する。筆者の実父は戦後の中国広東省での戦病死である。昨年秋に記述した「インパール作戦小論」は以前のものより学習した筈だ。最後に記述した30冊が、参考になればいい。拙文は戦争の専門家ではないことが、解る筈だが、論考はアマチュアでも、無関心よりはいいと思う次第。

私的解釈 戦争の昭和史・太平洋戦争とは何だったのか
インパール作戦 平成20年・2018.・8月01日
http://www1.odn.ne.jp/~ceg94520/mumyouan/mumyouS06a1.html

teacupブログ「湘南の暇人 日日耗日」
「インパール作戦」とは 01 2010・08・28
http://blue.ap.teacup.com/masamichi/410.html

前記二点は、主にNHKの難組(太平洋戦争日本の敗因「責任なき戦場・インパール」1993・平成05年放送)を繰り返し見て文章にしたもの。インパール作戦に従軍して生き残った兵士(浦山泰二氏、94歳で元気におられる)の娘・マクドナルド昭子氏と交流して「インパール作戦 小論」により深く言及した。以下は、31師団など多くの戦史を踏まえて“小論”とした。いわば換骨奪胎。

teacupブログ「湘南の暇人 日日耗日」
インパール作戦 小論01 2016・10・11
http://blue.ap.teacup.com/masamichi/1182.html

teacupブログ「湘南の暇人 日日耗日」
インパール作戦 小論10 参考書 2016・11・21
http://blue.ap.teacup.com/masamichi/1204.html

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2017/8/10  22:21

座右の辞書  身辺些事
座右の書とは言い難いが、いつも手元にあるのは『日本史小事典』文英堂、『世界史小事典』文英堂、『図説歴史散歩事典』山川出版、『民俗探訪事典』山川出版等々。「日本史」小事典は、日本史の事項の西暦、元号、歴代天皇などを確認する時に役立つ。今は専ら近現代史の昭和のことに政治・政党・事件を調べるときに使う。これはコンパクトに纏められている。大きさは今の新書本なので文字は小さく老人の眼に優しくない。

この事典は、昭和63年が初版で、これは1990年で平成02年。どうも印刷仕様は活版印刷だ。この活版の1・5倍くらいの製版を“清刷り”にして写真技術で縮めて印刷したものと思う。中味は横組みで2段、一段120ポイントで19字、52行。つまり本文が名刺の住所の6ポイント程だから、現実には9ポイント程度で製版をしたものと思う。それにしてもルビは4・5ポイントだ。とにかく文字が小さいから製版・印刷・校正がたいへんだったことがわかる。

ポイントはヤードから設定されているから互換性はない。60oが170ポイント。10ポイントは3.53oだ。1oは2.83ポイント。今の新聞は12文字、115ポイントくらいだから一字は10ポイントを割る。新聞が鉛の活字から撤退したのは昭和の終りころだった。今では全体から細部までコンピュータでどうにもなる。

『日本史小事典』が平成02年の発行であれば、総理大臣の項目は、平成元年の海部俊樹までである。偶然にしても昭和時代までの日本史事典ということになる。受験生用の日本史の確認の本でも、今やブログの昭和史の検索にはもってこいだ。ただ今ではどんな項目でも「ウィキペディア」をスマホでも検索できるから“紙の本”も新聞さえも廃れるに違いない。

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2017/8/7  22:03

諸刃の剣  政治
幼い頃は、今のJR平塚駅にほど近いところに自宅があった。子供の足で歩いても直ぐ近くに河野一郎、河野謙三邸があった。どちらの家も今で云う豪邸だった。河野一郎は衆議院議員、河野謙三は参議院議員だったのは大人になってから知った、兄弟である。河野一郎は、いわゆる党人派の実力者、池田勇人首相からの禅譲を待っていたが反故にされた。党人派の大物だったが、失意のなか昭和40年、腹部大動脈破裂で死亡。河野邸は放火にも遭遇している。

息子の河野洋平は地盤を引き継いで衆議院議員になった。昭和51年には、西岡武夫、山口敏夫などと共に「新自由クラブ」を結成して自民党を離脱した。当時は大ブームになって中選挙区時代の神奈川選挙区では5人がトップ当選している。自民党に復帰したあと総裁にまで上り詰めたが自民党・社会党・さきがけ連立政権で、あろうことか村山富市に首相の座を譲り自分は外務大臣に甘んじた。後の自民党総裁選でも橋本龍太郎が立候補すると「勝ち目が無い」とみるや鉾を治めて断念した。総理大臣に縁のない政治家だった。

その倅が、今度の第三次安倍政権・第三次改造内閣の目玉として外務大臣に抜擢された。河野太郎は安倍政権にとっては多分“諸刃の剣(つるぎ)”のような気がする。アメリカの大学出身だというから文科省の林邦正もそうだが、アメリカ人も唸る英語の遣い手らしい。何故諸刃の剣なのかは、父親の「河野談話」は甚だ如何わしいもので、この談話を「是」とする者、「非」とする側の双方から踏絵のように突き付けられることが予想されるからである。これを承知で安倍首相は、外務大臣に起用した。

平成05年、宮澤喜一内閣崩壊の一週間前に河野洋平は、いわゆる「河野官房長官談話」を出して決着済みの慰安婦問題に謝罪して、今もこれを引き摺っている。韓国外務省と打ち合わせをしつつ「河野談話」が作成されたことが、今では解っていても、これを恥とは思わないのは悲しい。秋の臨時国会では、この談話をどうやって追及しようかと与・野党も作戦を練っているに相違ない。内閣の一員となった河野太郎はどう発言するのか。安倍政権の「諸刃の剣」なのは確かだ。

美談として語られるが、子が父の生体肝移植のドナーになって、父の命を救ったことである。これは平成14年・2002年。父・洋平は「毎日、免疫抑制剤を飲みながら」無事であるらしい。

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2017/8/5  22:19

田崎史郎  政治
第三次安倍内閣・第3次改造内閣がスタートした。稲田朋美という中年美女だが、防衛に無知な大臣が辞任、殆んど罷免されたと言っていい。その分だけ改造後の支持率は、少し快復したようだ。

テレビは見たい番組は録画するからリアルタイムで見るのは、昼食時のTBSの「ひるおび」、通常、音声を低くしてみているが、気象予報士の「お天気番組」が詳しいから台風情報はこの限りではない。

この番組の時事ニュースは面白い。時事通信社解説委員の田崎史郎の解説は的を射ている。田崎は1950年生で安倍政権の中枢関係に食い込んでいるように思われるから人事には強い。ネットで見ると「政権のポチ」「政権の番犬」と散々な言われようだ。だが今度の組閣ではだいぶ前から岸田文雄外務大臣の留任は無いし、河野太郎の入閣に言及していたし、内閣発足三日前に、直前まで喋らなかったが、正確に外務大臣を言い当てた。

朝日新聞が、「岸田文雄外務大臣は続行」との報道は、希望的観測に過ぎなかったことが田崎史郎から指摘されていた。だから“政権のポチ”扱いにされるのかも知れない。取材先がどうであろうと正確に言い当てていたことは、素直に評価すべきだ。時の政権を批判すれば、それはリベラルで、擦り寄るかたちに見えれば政権迎合、すなわち悪と単純に振り分ければこんな簡単なことはない。朝日新聞は、慰安婦問題で長年ウソを言い続けた。

田崎史郎の悪口を言うのは、発言の自由があるからいいが、常に政権批判を繰り返す、例えば「佐高信」は理論的だが、山口二郎のように学者なのにヒステリックなのもいる。学者なら近現代史を研究していればいい。

田崎史郎の前身は、学生時代は過激派と聞いてびっくりした。大学生時代、「三里塚闘争」に参加して凶器準備集合罪で留置された。時事通信社に入社しても小さな組合に属していてその時事通信社を提訴して三年半戦った。和解後に政治部に移動、大平内閣の番記者になって、以後、新自由クラブも担当した。学生時代の単純な理想と正義、狭い視野がいかに脆いものかを十分に学んだに相違ない。

多分田崎は、個人のネットワークの取材から河野太郎本人、或は周辺から外務大臣就任を言い当てた気がする。評論家なのだから与党に食い込もうと、野党に与しようとそれこそ自由だ。「政権のポチ」などと侮蔑するのは、世間ではそれを「犬の遠吠え」という。大新聞社・朝日新聞が“外相留任”などと報道していたのだから、個人の評論家一人に敵わなかったことになる。これはお粗末だ。安倍政権打倒が社是だというからこの新聞社に確かな情報は伝えられない。

田崎の「崎」、「つくりの立+可」は文字化けの為、略字です。

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2017/8/3  22:37

黒い報告書  日本史
20代のころからほぼ毎月購入しているのが週刊新潮と月刊誌は文藝春秋。ことに週刊誌は、カメラ大好きオジサンとしては、毎号感心させられる内容で季節の風景、動物写真。どうもスマホ社会が影響しているのか、政治家・芸能人のスキャンダル写真はどう撮るのか、興味はないがこれも内容は興味がないが、秀逸なものが多い。

週刊新潮で毎号楽しみにしているのは、連載モノ。藤原正彦の「管見妄語」、櫻井よしこ「日本ルネッサンス」、宮家邦彦「国際問題」、三浦瑠麗(みうらるり)の「週刊山猫・ツメ研ぎ通信」が面白い。

文庫本にもなっているのが『黒い報告書』。全部で5冊発行されているが最近2冊を購入して読んでいる。編集方針だと言うが“濡れ場”があって、さしづめピンクの報告書。人間古希を過ぎると縁がないが、読む分には結構面白い。連載が始まったころは、現実の事件にかなり忠実だったらしいが、苦情もあったらしく肝腎の濡れ場部分は、完全にフィクションだと言う。

当初は新田次郎、城山三郎、水上勉も「山」、「経済」、「女」について書いている。この「黒い報告書」の今や重要な書き手が岩井志摩子。岩井は山本周五郎賞も受賞した大衆文学作家。最近の黒い報告書もかなりの筆力を感じていたがなるほどと思った。芥川賞受賞作家でもエロ小説専門になった作家もいる。今ウィキペディアで検索したら52歳でかなり人生経験も積んで!いた。

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2017/8/1  22:07

寵愛と失脚  政治
このブログで度々毒づく相手は、女性の政治家。国家から多大な報酬を貰っている筈だし、思想・信条の自由もあるから毒づいても非難されないし、褒められもしない。つい最近は、“網タイツの女王”こと稲田朋美防衛大臣、二年前には“お願いだから止めて”と予算委員会で、両手を合わせて拝んだ辻元清美、元祖・厚化粧のオバサン・福島瑞穂、アングラ女優みたいないでたちの・松島みどり元法務大臣を非難した。

稲田朋美は、安倍晋三総理大臣の寵愛を受けて、分不相応にも大臣を二度、自民党の要職にもついている。でも弁護士という法律のプロであっても、稲田朋美には政治家の器では無かったようだ。寵愛はたいてい本人の誤解を生み、虎の威を借りてやたら威張り出す。まして本人は弁護士資格を持つ。猛者揃いのいわゆる背広組(政治家)・制服組(幕僚幹部)の忠告にも言う事を無視したらしい。昔も今も視野の狭い学校秀才ほど始末の悪いものはない。古今東西の例を引き出すまでもなく馬脚を現したというべき。

この人物はよほどの修練を積まないともう誰にも相手にされないだろう。二日前の記事で作家の曽野綾子氏が的確なコメントを出していた。≪稲田大臣は肌のきれいな典型的な日本の中年美女でしかも弁護士で頭もいい、だが防衛大臣は戦略や威圧感も必要とされる、それが伝わらない≫≪自衛隊内に日報などと言うものが存在しないわけは無い。秘密と嘘の区別があってそれを認識できない≫と手厳しい。

稲田氏の画像を良く見ると顔面には殆んど皺が無い。58歳ならばそれ相応の苦労が顔に表われている筈。着け睫毛も露わだし困ったときの表情は、高校か短大を出たばかりのような按配で、これこそ隠蔽の本丸みたいなものだ。キャロライン・ケネディのように皺だらけの顔が素直だ。

素人の筆者でも、必ず任期を全うできない女性政治家だと思ったのは、任命されていたときからの感想。その通りになっただけのこと。防衛大臣は理念と知識と貫禄が必要だ。ハイヒールで閲兵しても現場には相手にされないということ。この政治家と豊田真由子議員は、二度と浮かび上がらないだろうが、捲土重来を期待したいと言いたい。だが慰安婦問題をでっち上げた福島瑞穂、憲法1〜8条は要らない、天皇は必要ないと発言していた、秘書の給与を自分のものにして「臭い飯」を食った辻元清美より遙かにマシなのは言うまでもない。

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2017/7/29  22:07

吉田茂邸  昭和史
このブログを始めた頃だと思うが、10年ほど前に歴史的建造物が放火され、全焼した事件が続いた。明治時代以降の近・現代の建築物でしかも神奈川県に多かったことを覚えている。まさかと思ったが戦後の大宰相・吉田茂が暮らした邸宅も放火され、戦後の政治の舞台が消失したのには意図的なものと感じた。

正月恒例の「箱根駅伝」がある。往路4区の平塚─小田原間、東海道の松並木を過ぎたあたりの海側が「旧吉田茂邸」。邸内は整備が行き届き建造物、庭園、池、樹木等がバランスよく復元されている。吉田茂は日記を残さなかったらしいが多くの書簡を残し、それらが展示されている。

吉田茂は戦後5期に亘り総理大臣に就任、昭和26年、サンフランシスコ講和条約を締結して、日本を独立国へ導いたのは間違いない。政界を引退して僅か4年、昭和42年(1967)89歳で亡くなった。国葬が営まれている。

すぐ近くにある滄浪閣(伊藤博文邸)から五賢堂(明治維新の政治家5人、木戸孝允、岩倉具視、三条実美、大久保利通、伊藤博文、後に西園寺公望+吉田茂を追加)を譲り受けた。今の七賢堂は佐藤栄作の合祀にして揮毫した。相模湾を臨む高台にはステッキ姿の吉田の銅像が立っている。

歴史的建造物の放火事件は、東京、京都にもあった。このことは今精査中。

2007年05月12日(土) 神奈川県藤沢市 旧モーガン邸 全焼
2008年01月02日(金) 神奈川県藤沢市 旧モーガン邸修復中 全焼
2009年03月15日(日) 神奈川県横浜市 旧住友家俣野別邸 全焼
2009年03月22日(日) 神奈川県大磯町 旧吉田茂邸 全焼
2009年12月26日(土) 神奈川県小田原市 雄山荘 全焼

画像は「大勲位菊花大綬章」。

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