2018/4/10

HARU君誕生  日記
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4月4日、第二「孫(男)」誕生。体重は約2200グラムと小さめですが母子ともに至って元気。誕生後直ちに「保育器」に入ったため、出産当日は、会えませんでしたが、翌日(4/5)保育器から出てきたHARU君にすぐ近くで会えました。お父さんは少し恥ずかし気でしたが、しっかり育てていくと、宣言してくれました。お母さんは産後の疲れも見せず、本当に幸せそうでした。爺も生まれた時は、「丼茶碗」に入るぐらい小さかったそうですが、大きく育ちました。これから、爺もできるだけ長生きして、HARU 君の成長を見守っていきたいと思います。 (4月6日 記)
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2018/3/30

退職  日記
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感謝を込めて

本日をもって、妻が学童の仕事を辞める。約18年間、途中休職することもなく、正職として働いた。2001年、私が前の会社を辞め、短時間職員として働いていた頃、午前中の私の仕事に交代するように、午後から夕方まで学童で働いてくれた。私が早期退職の決意ができたのも、妻のお陰と思う。最初の勤務地は、幕張で、3年ほど長距離通勤したあと、この地区のルームに移り、3か所に勤務した。短大を卒業して、2年間ほど幼稚園の先生をやったように、根っからの子供好きなのだろう、不平は言いつつも、嬉々として働いていた。家に係る大きな出費、外壁工事、風呂、車庫、防音サッシなどは妻の収入に助けられた。なかでも、海外を含め、一緒に行く旅費はいつも折半で、年金生活者の亭主にとっては、随分たすかったものだ。
4月以降は二人とも無職であるが、早々に長女の出産を控え、妻は暫くは楽になれそうもない。従い「家事」の分担はこれまで通りとなるだろう。改めて、
「本当に長い間、ご苦労さん。そして、ありがとう。これからは二人で余生を大いに楽しもう。」
                           (3月30日 記)
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2018/3/22

広島の旅  日記
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干潮の鳥居(潮干狩りの人も交じって)

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満潮の鳥居

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宮島・大聖院の弥勒菩薩(写真はダマイ・ラマ)

日時:3月16日〜19日

空き家となった実家の掃除のために帰省するという妻に付いて、8カ月ぶりに広島を訪ねた。合わせて、3月いっぱいで会社を閉じた旧友のD君に会うために。D君とは広島支店勤務以来、約40年の付き合いである。百名山登山にも随分付き合ってもらった。彼は1991年、弱冠40歳で会社を辞め、個人経営の会社を立ち上げ、約25年間頑張って来た。話によると、古希を目の前にして、「見切り」を付けたとのことだった。何より聞きただしたかったことは、40年前に会社を辞めた経緯であった。今度、じゅっくり話を聞いて、改めて彼のパイオニア精神に感銘を受けた。「ベンチャー」と簡単に言うけれど、よくぞその一歩を若くして踏み出せれたものだと思う。これからはゆっくり、余生を送ってほしいと思うが、本人は全く違った分野、特に、子どもを相手とする奉仕活動をしたいと言っていた。是非何か良いボランティアの仕事を見つけてほしいと思う。
旅の最終日は、念願の宮島泊。宮島には何度も行ったが、島内で泊ったことはこれまで一度もなかった。今回、幸いにも国民宿舎がとれ、観光客の少ない、厳島神社の朝夕をゆっくりと楽しむことができた。あいにくの雨で弥山に上がることはできなかったが、西洋人でいっぱいの「大聖院」を訪ね、久しぶりにチベットの仏様と「砂曼荼羅」を楽しんだ。雨に濡れても健気に生きる野生の鹿と対話し、霧に包まれた宮島の風景を心に刻み、帰りのフェリーに乗った。
                         (3月22日 記)
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2018/3/8

ラオス・エピローグ  日記
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ラオス・タイ国境の橋

オーストラリアの支援によって作られた橋は川幅約200Mを跨いだ大きな橋である。橋の中央には国境の表示があり、両国の国旗が立っていた。国境部分約20Mは立ち入り禁止になっているが、監視する人が誰もいないので、進入禁止の柵を乗り越えて、その中心を確かめた。川は勿論メコン川。川岸に立つ家屋は両国の経済力の差を示しタイ側が立派。橋の真ん中にはレールが敷いてあるが、路面電車のレールと言ったところ。2時間に1本ほどの列車が往来するという。
メコン川は上流から大量の砂を運んできており泥の河であるが、ラオスでは良質の川砂を採集して、結構な商売になっている。橋に来る途中、「砂採り会社」のオーナーの立派な住宅を見た。

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「一帯一路」の橋

ラオスは社会主義の国である。中国の「一帯一路」戦略はここでも見受けられ、中国の建設会社が建造する巨大な橋が、メコン川に懸けられていた。
かつて、ベトナム戦争の頃、インドシナ半島の「ドミノ理論」と言うのがあった。ソ連、中国の共産政権が北ベトナムを支援し、南ベトナムと戦っていたころ、自由主義の盟主を自負するアメリカは、南を共産主義から絶対に侵略させない、もし、南ベトナムが北に侵略されれば、インドシナ半島全体が、ドミノ崩しのように「赤化」する。アメリカはそれを阻止するためベトナムで「大義」の戦争をしているのだ、というものだった。ベトナムが北に統一されたあと、ソ連が崩壊したものの、中国が急速に全世界に膨張している中、ラオスはその強烈は影響下にあると言われる。街中には、なぜか、ソ連の国旗がはためき、「社会主義」を標榜している様が見て取れた。メコンを跨ぐこの橋を通る道は、遠く、中国の雲南省に繋がり、多くの物資や人々が中国と行き来することになるのだろう。


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ラオスの民族衣装で結婚式の「前撮り」

「ラオスのお土産は?」と、プノンペンから飛行機で隣り合わせになったビエンチャン勤務のJAICAの女性に聞いたところ、暫く首をかしげておられた後、手作業で縫った刺繍を勧められ、妻は壁掛けになる絵を何点か買って帰った。私は、例の「ラオス焼酎」に加え、ラオスコーヒーを買った。その時もらった20ドルの紙幣に、はさみで切った後にセロテープで修理したものが紛れ込んでいた。帰途、慌ててルアンパバーンの街中で買ったコーヒ代18ドルに対し、小銭がなかったため、100ドル紙幣で払った当方の不覚であったが、ラオスの人には大金の20ドル紙幣をよく確かめずに受けとったわが身の不注意でもあった。旅行者へのアドバイス、汚れたり、破損した紙幣の釣銭は受け取るなという、基本を忘れていたのだ。案の定、ルアンパバーンのの空港売店で買おうとしたラオスのマップ代をこの紙幣で払おうとしたが、店員の鋭いチェックで、受け取りを拒否された。このまま、日本で銀行に持ち込もうと悩んでいたが、ハノイの空港レストランで食事をとった際、この紙幣を紛れ込ませ支払ったが、なんとも言われなかった。大量のドル紙幣を扱うハノイ空港売店と、そうでないルアンパバーンとの差かと、納得するやらほっとするやら。欠陥20ドル紙幣を受け取ったハノイの店員が、上司に怒られなければよいがと思いつつ、深夜のフライトに乗った。  (3月8日記)
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2018/3/8

「春よ来い♪」  日記
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「歩き始めた鯉太郎と散歩」

日時:2月11日(日曜日)

建国記念日を挟んだ三連休で、鯉太郎が遊びに来ました。子育てをしながら正社員として勤務している「お母さん」の休養が主目的ですが、家に一人残された「お父さん」も子育てから解放されれて、「独身 TIME」を満喫したそうです。お陰で、ジジババは孫にべったりです。特に、爺はおだてられて「ウンチ・バスター」でフル稼働させられ、鯉太郎とは「下」の始末で男同志ちょっとした信頼関係を築くことができました。
大雪の裏日本の皆さんには申し訳ないところですが、こちらは好天に恵まれ、暖かい日が続き、紅梅は満開を迎え、白梅もそれを追いかけています。それでも、「春は名のみの風の寒さや」とはよく言ったもので、風が強い日などはすぐに冬に逆戻りします。今年の「啓蟄」は3月6日とか。私も冬ごもりから抜け出して、活動開始と行きましょうか。   (2月13日 記)
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2018/2/13

草津白根山水蒸気爆発  日記
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草津白根山・鏡池(本白根山頂付近より)

日本百名山の草津白根山(最高峰2171M)が爆発して1週間。一人の死者を含め、多くの方が被害にあわれたニュースに、予知できない火山列島の宿命に今更ながら、自然の驚異と恐怖を感じざるを得ない。2014年の御嶽山噴火から、我々は何の教訓も得ていないのではとつい思ってしまう。
草津白根山へは、2008年10月末、妻と赤城山を経由してのドライブ山行であった。駐車場から多くの観光客が目指す、名所の「湯釜」を避けて、人影まばらな最高峰の本白根山に向かった。だらだら坂の登山道を登ったら、山頂は「ガス噴出の為、接近を禁ずる」との立て看板。しかたなく「みなし山頂」から引き返した。登山の途中、道の左下に見えた「鏡池」が10年後に噴火の中心となろうとは、想像だにできなかった。今回テレビでたびたび登場した、ロープウェーの山頂駅のレストランもシーズンオフで閉まっていた。
ベタっとした草津白根の山群は何の印象も残っていない。ただ、帰途、嬬恋村に向かう「万座ハイウエー」で、降り積もった金色のカラマツの落ち葉が、雪のように舞い上がったことを今でも印象深く思い出す。            (1月31日 記)
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2018/1/19

ラオスの旅  旅行
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ワット・シェントーンの仏像(ルアンパバーン)

日時:2018年1月12日〜16日

企画:JTB・旅物語「はじめてのラオス5日間」 ツアー団体:22名

行程:成田〜ホーチミン(ベトナム乗り継ぎ)〜プノンペン(カンボジア機内乗り継ぎ)〜ビエンチャン(ラオス)〜ルアンパバーン〜ハノイ(乗り継ぎ)〜成田

第一日目:成田〜ホーチミン〜プノンペン〜ビエンチャン  ホテル:ドンチャンパレス

成田発9:30に乗るには我が家を5時に出なければならない。最寄りの京成おゆみ野駅まで約20分をカバンを引いて歩く。早朝タクシーを呼ぶかどうか迷っていたが、幸い天気も良く、おかげで一番確かな「歩き」を選ぶことができた。成田からホーチミンまで約7時間。かつてNHKの「20世紀の映像」で見た、ベトナム戦争の記録映画にでた、「あの脱出劇」の滑走路を感慨深くみた。飛行機から見るホーチミン市は予想したより大きく、いつかは訪ねたいと強く思った。
ホーチミン空港ではベトナム航空が「軽い」技術トラブルとかで、滑走路まで出たところで引き返し、都合約2時間遅れで出発した。航空機はホーチミンまではB787であったが、ホーチミンからはとかく問題の多いA320に代わり、冷や汗ものであったが、なんとか飛び立ったので一安心であった。途中、プノンペンに立ち寄ったが、すっかり暗くなり、懐かしい街並みを見ることはかなわなかった。予定より1時間遅れでビエンチャンに到着。これも遅れを見越してプノンペンでの乗り継ぎ時間をたっぷりとった、東南アジアペースか。
宿のドンチャンホテルはメコン川の川岸にあった。かつてビエンチャンで最も高い15階建てであったが、つい最近他のビルに抜かれたとのこと。お湯もたっぷり出て、快適な第一夜となった。

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凱旋門から南方面のビエンチャン市街。前日泊まったドンチャンホテルが見える

第二日目:ビエンチャン市内観光。
  @仏陀パークA友好橋BタートルアンC凱旋門DワットシーケットEワットパケオ
  16:30 ビエンチャン発〜ルアンパバーン着17:20
  ホテル:ジュリアナホテル
夕食は日本人が経営するレストランで民族舞踊を見ながら郷土料理を食べたが、昼食も含め  旅行中最悪の料理であった。メンバーの多くが沢山食べ残していたが、申し訳ない気持ちより、舞踊を見せるより食事の方に力を入れてほしいと思わずにはいられなかった。
ホテルもお湯が一人分しかなく、二番目に入った妻は、冷たいお湯で頭だけを洗い、エアコンの利かない部屋の寒さ対策のため「ナイトガウン」を着たまま床に就いた。ここルアンパバーンは標高が高い(500M以上)こともあり、熱帯とはいえ夜は暖房がいるのだった。

第三日目:メコン川クルーズとルアンパバーン市内見物
  @サンハイ村Aパク・ウー洞窟Bサンコン村Cプーシ―の丘
今回の旅の主目的であるメコン川クルーズの日。ルアンパバーンの町はずれにある船着き場から、50人ほどが乗れるボートに乗船して、25KMほど上流にあるパク・ウー洞窟を目指す。

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メコン川「渡船」

途中、サンハイ村に立ち寄って、地酒の製造所などを見物。前夜レストランで試飲したラオス焼酎を購入。45度の上物が500ML瓶で6ドルのところ値切って4ドルで手に入れた。本物かどうかは日本に帰って飲んでわかるだろう。メコン川クルーズの終点はパク・ウー洞窟。川沿いに切り立った石灰岩の岩山にぽっかりと洞窟が空いていて、無数の仏像が置いてあった。200段くらいの階段には苦労したが、川の傍の鍾乳洞はなにか神秘的でもある。昼食は対岸のレストランでとった。「テラピア」と呼ばれるメコンの淡水魚がことのほか美味しかった。

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サンハイ村の焼酎蒸留装置

市内に戻って、夕陽を見るためプーシの丘に登る。ここもまた階段。日の入り(5時40分)までの時間、山頂の石段に座っていたら、隣に若い西洋人がいた。英会話を勉強中なのでと断りを入れて話しかけたところ、卒業旅行でオランダから来て東南アジアを回っているという。その期間3カ月。すでに2カ月を費やして、インドネシア、タイ、ベトナムを訪ねたという。次の訪問国ミャンマーについて、お勧めの場所を聞かれたので、この前行ったばかりの「インレー湖」と「カックー遺跡」を紹介したが、スケジュール数日の「弾丸旅行者」の話はあてにならないよと、冷や汗をかきながら説明した。慣れない英会話に夢中になっているうちに、時間はあっという間に過ぎ、日没。我々の座っていたビューポイントは大勢の見物人で埋まり身動きも取れない。そう言えば、美女は4時からそこに座っていたという。押し寄せる見物人に危険を感じて、しぶしぶ美女にお別れし、プーシ―の丘を降りた。途中、山頂からは世界遺産のルアンパバーンの美しい家並が見れたが、夕刻のため、その美しさは半減されたようだった。

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世界遺産ルアンパバーンの家並

第四日目:クアンシ―の滝見物と市内観光
 @モン族の村Aクアンシー滝Bワット・ビスンナラートC王宮博物館Dワット・マイEワット・シェントーン

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クアンシ―の滝

クアンシーの滝は中国の九塞溝と同様、石灰岩を穿った滝の川である。ガイドブックではここで泳ぐ人がいるということだが、気温も気温だし、我々の仲間ではそんな「もの好き」もいないだろうと出発前話していたら、滝から降りてくる途中の川で、「いました」。川の傍には脱衣場もあったが、このご夫婦はホテル出発時から水着をちゃんと着こんでいたのでしょう。その勇気?に感激して、バスの中で話しかけたところ、木更津在住、北九州出身、ご主人の勤務先はあのNSCと言うことが分かり、更に奥さんはご先祖が有田の出身と言うことで、「唐津」の話で大いに盛り上がった。なかでも、ミュンヘン在住の娘さんとアイスランドの珍しい鳥「パフィン」を見に行かれた話は、大変面白かった。旅行メンバー22名のうち唯一お互いに名前を名乗り合う仲になった。Kさん、特に奥さんが活動力に満ち溢れておられて、大いに刺激を受けた次第。
          (1月19日 記)

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2018/1/9

お正月  日記
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鯉太郎は伯母さんから光る蛙のお年玉です

正月も9日なって、いよいよ今年の行事もスタートしました。振り返って、我が家の正月は三が日は夫婦だけの静かな日々でしたが、6日から一泊で婿殿が夫婦あるいは子連れで遊びに来てくれて、あわただしくも楽しい正月になりました。なかでも風邪を引いたお母さんを家に残し、鯉太郎がお父さんと訪ねてくれ、賑やかさも一層際立ちました。正月には孫の顔を見せてあげたいという次女夫婦の気づかいに感謝の持ちでいっぱいでした。「Empty Nest」がいっぺんに「Full Nest」になり、布団の準備と後片付けが大変でした。それでも、「時には賑やかなのもいいね」と、静寂を好む妻が、つぶやいていました。私としては、婿殿たちと「差し向かいで」飲めるのが何よりの喜びでした。「赤の他人」だった、婿殿二人が、どんな話をするのかも、興味があり、私としては、二人の話の聞き役となりました。「説教おやじ」もいいけれど、若い二人の話に聞き入る時間も貴重な時間のように感じました。来年は、長女も孫を連れてきてくれるでしょうから、もっと賑やかな正月になることでしょう。    (1月9日 記)
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2018/1/4

初もうで  日記
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日蓮宗大本山法華経寺

日時:1月2日(火)

今年の初もうでは、元旦が家の近くの千手観音と金城寺そして2日が市川市にある日蓮宗大本山中山法華経寺に行った。大きなお寺と聞いていたが、実際行ってみてさすが「大本山」だと納得。あの有馬記念の開催される中山競馬場の隣にあるが、町のど真ん中に、これほどの境内を擁するとは恐れ入った。
日蓮宗の荒行の場所とかで、前日行った金城寺も日蓮宗で大晦日は例年「水垢離」の奉納があるので、ここ中山法華経寺でも同じような奉納が行われたことだろう。
参拝客の人波はJR下総中山駅から京成中山のそばの京成線を越えて続いていた。
初もうでのあとは、宿題があるという妻を家に帰し、一人で全日本高校サッカーを見に行く。
年末、強豪の関東一校を倒して二回戦に進出した佐賀東高の応援の為である。試合は同じ九州の宮崎代表日章学園に4対1で完敗したが、久しぶりにサッカー競技を間近にみて、寒さも忘れた。京成中山〜日暮里〜巣鴨〜地下鉄三田線で本蓮沼駅まで、ちょっとした小旅行となった。西が丘サッカー場に着いたのが後半戦の15分を過ぎたころで、入場料1500円であったが、折角遠路はるばる来たのだからと、観戦する。席に着いたとたん追加点を入れられ敗戦も濃厚となったが、最後まで頑張っている高校生たちの姿に感激した。次の試合も見られるというので、そのまま残って大阪桐蔭と山形羽黒の一戦も見ていたが、前半戦で3対0と桐蔭がリードしたところで球場をあとにした。                   (1月3日 記)

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佐賀東の応援席は少人数で頑張っていた

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2018/1/3

出勤  日記
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鯉太郎もお父さんのカバンを掛けて出勤です

日時:12月29日

世の中、上野動物園の「シャンシャン」の可愛さに話題がいっぱいですが、うちの「鯉太郎」も1歳4か月となって、かわいい盛りです。最近、保育園で風邪がうつって8度5分の熱があるとかで、バア婆は昨日早朝から泊がけで、東京にすっ飛んでいきました。置いてきぼりにされた私は、年末恒例の、窓ガラスの掃除と、今年一年分の医療費のまとめです。病院には大して掛かっていないと思っていましたが、夫婦で約17万円の医療費の確定申告です。北日本や裏日本では大雪が降っていますが、こちらは北風が強いものの、晴れた日が続いています。今年もあとわずかです。
                               (12月29日)
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