「春よ来い♪」  日記
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「歩き始めた鯉太郎と散歩」

日時:2月11日(日曜日)

建国記念日を挟んだ三連休で、鯉太郎が遊びに来ました。子育てをしながら正社員として勤務している「お母さん」の休養が主目的ですが、家に一人残された「お父さん」も子育てから解放されれて、「独身 TIME」を満喫したそうです。お陰で、ジジババは孫にべったりです。特に、爺はおだてられて「ウンチ・バスター」でフル稼働させられ、鯉太郎とは「下」の始末で男同志ちょっとした信頼関係を築くことができました。
大雪の裏日本の皆さんには申し訳ないところですが、こちらは好天に恵まれ、暖かい日が続き、紅梅は満開を迎え、白梅もそれを追いかけています。それでも、「春は名のみの風の寒さや」とはよく言ったもので、風が強い日などはすぐに冬に逆戻りします。今年の「啓蟄」は3月6日とか。私も冬ごもりから抜け出して、活動開始と行きましょうか。   (2月13日 記)
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2018/2/13

草津白根山水蒸気爆発  日記
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草津白根山・鏡池(本白根山頂付近より)

日本百名山の草津白根山(最高峰2171M)が爆発して1週間。一人の死者を含め、多くの方が被害にあわれたニュースに、予知できない火山列島の宿命に今更ながら、自然の驚異と恐怖を感じざるを得ない。2014年の御嶽山噴火から、我々は何の教訓も得ていないのではとつい思ってしまう。
草津白根山へは、2008年10月末、妻と赤城山を経由してのドライブ山行であった。駐車場から多くの観光客が目指す、名所の「湯釜」を避けて、人影まばらな最高峰の本白根山に向かった。だらだら坂の登山道を登ったら、山頂は「ガス噴出の為、接近を禁ずる」との立て看板。しかたなく「みなし山頂」から引き返した。登山の途中、道の左下に見えた「鏡池」が10年後に噴火の中心となろうとは、想像だにできなかった。今回テレビでたびたび登場した、ロープウェーの山頂駅のレストランもシーズンオフで閉まっていた。
ベタっとした草津白根の山群は何の印象も残っていない。ただ、帰途、嬬恋村に向かう「万座ハイウエー」で、降り積もった金色のカラマツの落ち葉が、雪のように舞い上がったことを今でも印象深く思い出す。            (1月31日 記)
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2018/1/19

ラオスの旅  旅行
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ワット・シェントーンの仏像(ルアンパバーン)

日時:2018年1月12日〜16日

企画:JTB・旅物語「はじめてのラオス5日間」 ツアー団体:22名

行程:成田〜ホーチミン(ベトナム乗り継ぎ)〜プノンペン(カンボジア機内乗り継ぎ)〜ビエンチャン(ラオス)〜ルアンパバーン〜ハノイ(乗り継ぎ)〜成田

第一日目:成田〜ホーチミン〜プノンペン〜ビエンチャン  ホテル:ドンチャンパレス

成田発9:30に乗るには我が家を5時に出なければならない。最寄りの京成おゆみ野駅まで約20分をカバンを引いて歩く。早朝タクシーを呼ぶかどうか迷っていたが、幸い天気も良く、おかげで一番確かな「歩き」を選ぶことができた。成田からホーチミンまで約7時間。かつてNHKの「20世紀の映像」で見た、ベトナム戦争の記録映画にでた、「あの脱出劇」の滑走路を感慨深くみた。飛行機から見るホーチミン市は予想したより大きく、いつかは訪ねたいと強く思った。
ホーチミン空港ではベトナム航空が「軽い」技術トラブルとかで、滑走路まで出たところで引き返し、都合約2時間遅れで出発した。航空機はホーチミンまではB787であったが、ホーチミンからはとかく問題の多いA320に代わり、冷や汗ものであったが、なんとか飛び立ったので一安心であった。途中、プノンペンに立ち寄ったが、すっかり暗くなり、懐かしい街並みを見ることはかなわなかった。予定より1時間遅れでビエンチャンに到着。これも遅れを見越してプノンペンでの乗り継ぎ時間をたっぷりとった、東南アジアペースか。
宿のドンチャンホテルはメコン川の川岸にあった。かつてビエンチャンで最も高い15階建てであったが、つい最近他のビルに抜かれたとのこと。お湯もたっぷり出て、快適な第一夜となった。

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凱旋門から南方面のビエンチャン市街。前日泊まったドンチャンホテルが見える

第二日目:ビエンチャン市内観光。
  @仏陀パークA友好橋BタートルアンC凱旋門DワットシーケットEワットパケオ
  16:30 ビエンチャン発〜ルアンパバーン着17:20
  ホテル:ジュリアナホテル
夕食は日本人が経営するレストランで民族舞踊を見ながら郷土料理を食べたが、昼食も含め  旅行中最悪の料理であった。メンバーの多くが沢山食べ残していたが、申し訳ない気持ちより、舞踊を見せるより食事の方に力を入れてほしいと思わずにはいられなかった。
ホテルもお湯が一人分しかなく、二番目に入った妻は、冷たいお湯で頭だけを洗い、エアコンの利かない部屋の寒さ対策のため「ナイトガウン」を着たまま床に就いた。ここルアンパバーンは標高が高い(500M以上)こともあり、熱帯とはいえ夜は暖房がいるのだった。

第三日目:メコン川クルーズとルアンパバーン市内見物
  @サンハイ村Aパク・ウー洞窟Bサンコン村Cプーシ―の丘
今回の旅の主目的であるメコン川クルーズの日。ルアンパバーンの町はずれにある船着き場から、50人ほどが乗れるボートに乗船して、25KMほど上流にあるパク・ウー洞窟を目指す。

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メコン川「渡船」

途中、サンハイ村に立ち寄って、地酒の製造所などを見物。前夜レストランで試飲したラオス焼酎を購入。45度の上物が500ML瓶で6ドルのところ値切って4ドルで手に入れた。本物かどうかは日本に帰って飲んでわかるだろう。メコン川クルーズの終点はパク・ウー洞窟。川沿いに切り立った石灰岩の岩山にぽっかりと洞窟が空いていて、無数の仏像が置いてあった。200段くらいの階段には苦労したが、川の傍の鍾乳洞はなにか神秘的でもある。昼食は対岸のレストランでとった。「テラピア」と呼ばれるメコンの淡水魚がことのほか美味しかった。

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サンハイ村の焼酎蒸留装置

市内に戻って、夕陽を見るためプーシの丘に登る。ここもまた階段。日の入り(5時40分)までの時間、山頂の石段に座っていたら、隣に若い西洋人がいた。英会話を勉強中なのでと断りを入れて話しかけたところ、卒業旅行でオランダから来て東南アジアを回っているという。その期間3カ月。すでに2カ月を費やして、インドネシア、タイ、ベトナムを訪ねたという。次の訪問国ミャンマーについて、お勧めの場所を聞かれたので、この前行ったばかりの「インレー湖」と「カックー遺跡」を紹介したが、スケジュール数日の「弾丸旅行者」の話はあてにならないよと、冷や汗をかきながら説明した。慣れない英会話に夢中になっているうちに、時間はあっという間に過ぎ、日没。我々の座っていたビューポイントは大勢の見物人で埋まり身動きも取れない。そう言えば、美女は4時からそこに座っていたという。押し寄せる見物人に危険を感じて、しぶしぶ美女にお別れし、プーシ―の丘を降りた。途中、山頂からは世界遺産のルアンパバーンの美しい家並が見れたが、夕刻のため、その美しさは半減されたようだった。

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世界遺産ルアンパバーンの家並

第四日目:クアンシ―の滝見物と市内観光
 @モン族の村Aクアンシー滝Bワット・ビスンナラートC王宮博物館Dワット・マイEワット・シェントーン

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クアンシ―の滝

クアンシーの滝は中国の九塞溝と同様、石灰岩を穿った滝の川である。ガイドブックではここで泳ぐ人がいるということだが、気温も気温だし、我々の仲間ではそんな「もの好き」もいないだろうと出発前話していたら、滝から降りてくる途中の川で、「いました」。川の傍には脱衣場もあったが、このご夫婦はホテル出発時から水着をちゃんと着こんでいたのでしょう。その勇気?に感激して、バスの中で話しかけたところ、木更津在住、北九州出身、ご主人の勤務先はあのNSCと言うことが分かり、更に奥さんはご先祖が有田の出身と言うことで、「唐津」の話で大いに盛り上がった。なかでも、ミュンヘン在住の娘さんとアイスランドの珍しい鳥「パフィン」を見に行かれた話は、大変面白かった。旅行メンバー22名のうち唯一お互いに名前を名乗り合う仲になった。Kさん、特に奥さんが活動力に満ち溢れておられて、大いに刺激を受けた次第。
          (1月19日 記)

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2018/1/9

お正月  日記
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鯉太郎は伯母さんから光る蛙のお年玉です

正月も9日なって、いよいよ今年の行事もスタートしました。振り返って、我が家の正月は三が日は夫婦だけの静かな日々でしたが、6日から一泊で婿殿が夫婦あるいは子連れで遊びに来てくれて、あわただしくも楽しい正月になりました。なかでも風邪を引いたお母さんを家に残し、鯉太郎がお父さんと訪ねてくれ、賑やかさも一層際立ちました。正月には孫の顔を見せてあげたいという次女夫婦の気づかいに感謝の持ちでいっぱいでした。「Empty Nest」がいっぺんに「Full Nest」になり、布団の準備と後片付けが大変でした。それでも、「時には賑やかなのもいいね」と、静寂を好む妻が、つぶやいていました。私としては、婿殿たちと「差し向かいで」飲めるのが何よりの喜びでした。「赤の他人」だった、婿殿二人が、どんな話をするのかも、興味があり、私としては、二人の話の聞き役となりました。「説教おやじ」もいいけれど、若い二人の話に聞き入る時間も貴重な時間のように感じました。来年は、長女も孫を連れてきてくれるでしょうから、もっと賑やかな正月になることでしょう。    (1月9日 記)
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2018/1/4

初もうで  日記
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日蓮宗大本山法華経寺

日時:1月2日(火)

今年の初もうでは、元旦が家の近くの千手観音と金城寺そして2日が市川市にある日蓮宗大本山中山法華経寺に行った。大きなお寺と聞いていたが、実際行ってみてさすが「大本山」だと納得。あの有馬記念の開催される中山競馬場の隣にあるが、町のど真ん中に、これほどの境内を擁するとは恐れ入った。
日蓮宗の荒行の場所とかで、前日行った金城寺も日蓮宗で大晦日は例年「水垢離」の奉納があるので、ここ中山法華経寺でも同じような奉納が行われたことだろう。
参拝客の人波はJR下総中山駅から京成中山のそばの京成線を越えて続いていた。
初もうでのあとは、宿題があるという妻を家に帰し、一人で全日本高校サッカーを見に行く。
年末、強豪の関東一校を倒して二回戦に進出した佐賀東高の応援の為である。試合は同じ九州の宮崎代表日章学園に4対1で完敗したが、久しぶりにサッカー競技を間近にみて、寒さも忘れた。京成中山〜日暮里〜巣鴨〜地下鉄三田線で本蓮沼駅まで、ちょっとした小旅行となった。西が丘サッカー場に着いたのが後半戦の15分を過ぎたころで、入場料1500円であったが、折角遠路はるばる来たのだからと、観戦する。席に着いたとたん追加点を入れられ敗戦も濃厚となったが、最後まで頑張っている高校生たちの姿に感激した。次の試合も見られるというので、そのまま残って大阪桐蔭と山形羽黒の一戦も見ていたが、前半戦で3対0と桐蔭がリードしたところで球場をあとにした。                   (1月3日 記)

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佐賀東の応援席は少人数で頑張っていた

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2018/1/3

出勤  日記
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鯉太郎もお父さんのカバンを掛けて出勤です

日時:12月29日

世の中、上野動物園の「シャンシャン」の可愛さに話題がいっぱいですが、うちの「鯉太郎」も1歳4か月となって、かわいい盛りです。最近、保育園で風邪がうつって8度5分の熱があるとかで、バア婆は昨日早朝から泊がけで、東京にすっ飛んでいきました。置いてきぼりにされた私は、年末恒例の、窓ガラスの掃除と、今年一年分の医療費のまとめです。病院には大して掛かっていないと思っていましたが、夫婦で約17万円の医療費の確定申告です。北日本や裏日本では大雪が降っていますが、こちらは北風が強いものの、晴れた日が続いています。今年もあとわずかです。
                               (12月29日)
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2017/12/29

岬めぐり  日記
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三浦半島・三浦富士(白い富士は見えず)

日時:12月23日
旅程:鎌取〜君津〜浜金谷〜金谷港==久里浜〜京急久里浜〜三崎口〜三崎港
   三崎港〜京急久里浜・・・JR久里浜〜鎌取

千葉に住んで27年、長年の願望であった、金谷からのフェリーで久里浜に渡った。以前、東京経由で、横須賀まで行ったことがあったが、三浦半島の先端、三崎港まで行ったのは、何十年ぶりであろうか。冬場、房総半島からよく見る白い富士を、今回フェリーから見ることを期待したが、天気が良すぎて、はるかに霞んで見えただけだった
以前下車したことのある三浦海岸の町は沢山のマンションが立ち並び、車窓から見ても昔の面影はなかった。そして、三崎港はこのところの「マグロ」ブームで、たくさんの人たちが訪れていた。三崎口から三崎港までのバスの旅は「油壷入り口」などの地名が懐かしい。
三崎港では一番安い「マグロ丼」にマグロの「白子」を加えビール中瓶一本で、すっかり殿様旅行気分。お陰で「岬巡り(三崎港発三浦海岸行き)」のバスにも乗り遅れてしまった。
帰途は、三崎口から京急久里浜で降り、JR久里浜から千葉行きの快速に乗り継ぎ、あとは夢道中となった。
                    (12月26日記)

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2017/12/26

宗像大社  日記
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宗像大社・高宮祭場

日時:12月1日〜3日
同行:妻

長姉の見舞いに帰省。妻の希望で国民休暇村・志賀島に一泊して、福岡の大宰府天満宮と宗像大社を訪ねた。太宰府では多くの韓国からの旅行者にもみくちゃにされたが、さすがに宗像大社は日本人だけの観光客であった。今年宗像大社が世界遺産に登録されたこともあり、観光客の急増に地元の店の方も喜んでおられた。
写真は宗像大社・辺津宮(宗像本土)の一角にある「高宮祭場」である。沖縄で見かけた、海洋信仰の象徴ともいえる、建物のない自然を対象とした「聖地」である。映像で見た沖の島の「沖津宮」も最初は岩陰の平地が神に祈る祭場だったそうで、その流れをくむ、大きな建屋の「こけ脅し」ではない「神様の居場所」である。
前日泊まった志賀島からは、「中津宮」のある「大島」がかすかに見えたが、玄界灘の洋上はるか沖70KMにある「沖ノ島」は見えなかった。来るとき玄界灘から入った飛行機からも沖の島は確認できなかった。何人も寄せ付けない沖の島がいつまでも、神秘に包まれたままであって欲しいと願わずにはいられない。              (12月15日記)
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2017/12/15

鳳来寺  日記
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鳳来寺・本堂

日時:11月22日〜24日
経路:
 第一日目:千葉〜豊橋〜(飯田線)〜本長篠〜鳳来寺〜本長篠〜名古屋 (2泊)
 第二日目:午前中は骨休め、午後、名古屋在住のI先輩と囲碁対局 夕方名古屋支店OB会
 第三日目:名古屋〜東京(長崎支店OB会)〜千葉
   
内容:人生のエンデイングの仕上げに、と言うほど大袈裟ではないが、名古屋と東京で開催された会社のOB会に行ってきました。(東京は長崎支店の集まり)
名古屋までは、ジパング倶楽部を使っていきますので、東海道新幹線は「ひかり」または「こだま」の限定となります。浜松に停まるヒカリですので、ついでに、今大河ドラマで放送されている、「女城主直虎」の舞台にもなった鳳来寺に行ってきました。
名古屋勤務時に、「仏法僧」で有名なこの寺に行きたかったのですが、機会がなく、今回名古屋に行くついでに、豊橋で、飯田線に乗り換え、鳳来寺の最寄り駅の本長篠まで行きました。
本長篠駅では鳳来寺に行くバスの乗り換え時間が7分あったのですが、途中駅でICカードを使えない客がいたため、清算の手続きでもたついて、7分遅れて本長篠駅ついてしまい、バスは出た後でした。
時刻表を見ると(実は見間違って)バスは2時間後にしかない(実は同じ方面行きで1時間後に運行されている)のを見て、事前に調べてあった駅から鳳来寺まで歩くことにしました。幸い、雨も上がって、傘は必要ありませんでしたが、日頃、ウォーキングで歩いていても6KMは遠かった。それもそのはず、鳳来寺入り口までずうっと登り路。約1時間でたどり着いた時にはすっかり汗をかいてしまいました。途中、観光客を乗せた4〜5台の大型バスに抜かれていきました。
鳳来寺の境内入り口に行く間では、ハイキングスタイルの大勢の高齢者とすれ違いました。境内までの街並みは門前町をなし、宿坊もたくさんあり、それなりに風情のあるところでした。
バス停から歩くこと10分。境内の案内板に、「本堂まで登り60分、下り45分」とあり、一瞬登るのをためらいましたが、本長篠からでさえ1時間以上もかけてやっとここまで来たのだから、何としてでも本堂に辿りつきたいと思い、歩き始めました。道はすべて石の階段、しかも、高度を上げるに従い、急な登りになります。バクバクの心臓に頑張れと声を掛け、約30分で本堂に到着しました。
そこは深山幽谷と思いきや、自動車道が、本堂傍まで通じているらしく、多くの「ハイヒーラー」が来ていました。勿論、石段を降りる人はなく、再び登ってきた石段を降りました。急なところでは「斜滑降」で降りるしかなく、側壁の石垣を伝いながら、恐る恐る降りました。そして、約20分で何とか、元の入り口にたどり着きましたが、一張羅の革靴はすっかり傷つき、下着は汗ぐっしょり。15:35のバスにちょうど間に合って、本長篠まで乗ることができました。

本長篠から鳳来寺まで、井伊家の人たちが歩いたであろう道を、今回同じように歩いて、少しでも往時を偲ぶことができました。   (11月26日記)

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石段の途中の「仁王門」

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鳳来寺本堂からの新城市方面
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2017/11/19

ミャンマーの旅・エピローグ  旅行
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インレー湖は超高速のボートで渡った

1.レッド・マウンテン(ワイン)
インレー湖は海抜約1000Mの地点にある大きな湖である。周りは500メートルほどの高さの山に囲まれている。熱帯とはいえ、この高さになると夕方は肌寒く、長そでが必要なくらいであった。夕日の美しさに加え、明け方、周辺の山に霧がかかっているのには驚いた。まるで、箱根みたいだとガイド氏に言ったら、日本に5〜6年留学していたという彼は、相槌を打ってくれた。
寒暖差の大きいこの地には、上等のワインが取れるというガイド氏のお勧めで、ホテルの夕食に1本UDS20 のボトルをオーダーした。それまで、ミャンマービールしか飲んでなかった、酒飲みメンバーの6人(うち女性4名)で、一本を六分割して乾杯した。ワインの味は濃く、マイルドな舌触りで、日本のホテルで飲んだら、5〜6千円はするのではないかと思われる上物であった。一本買って帰ろうかと思ったが、割れ物で荷物にもなるので、ヘイホー空港で買おうと思ったが、空港では売っていなかった。インレー湖周辺のレアなワインを買ってこれなかったことが心残りである。

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ホテルからの夕日

2.英植民地だったのに車は右側通行
ミャンマーは元、英国の植民地であるが、英国が残していった都市はロータリーがあったり、公園かと思わせる多くの樹木の間に、ヤンゴン大学とか立派なレンガ造りの家とか、往時をしのぶことができる施設がいっぱいであった。ベースのインフラがしっかりしていることは、これからのミャンマーの発展に寄与することだろう。ヤンゴン市内の中心部は軍政の強硬な政策で、バイクと東南アジアにはどこにでもある、トウクトウクのような乗り物の乗り入れを禁止していて、交通手段はタクシーとYBS(ヤンゴン・バス・システム)と呼ぶ公共バスのみであった。道路はなぜか「右側」(英国だったら左では?)通行で、沢山の「右ハンドル」の日本車が走りまわっていて、そのほとんどは、進出の一番早かったトヨタ車であった。
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ヤンゴン市内 緑一杯の住宅地

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蓮の茎から取った繊維

3.蓮の繊維
日本でもテレビで紹介されたという、インレー湖特産の「蓮の糸」の工房を見学した。この糸で織る着物は「超高い」ので、代わりに綿だけで織ったシャン族の民族衣装のズボン(ロンジー)を買った。綿に混ぜる絹は、お蚕さんを殺すことで糸を得るので、仏教信仰の強いミャンマーでは、全て輸入に頼っているとのこと。ミャンマーらしい仕来りに心を動かされた。

4.シャン高原

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カックー遺跡で会ったシャン族の若夫婦

いつか、ミャンマーを再び訪ねることがあったら、シャン高原に是非行ってみたいと思う。なかでも、マンダレーの近くビルマ方面軍の本部があったメイヨーは標高1100Mほどで、インレー湖と同様大変過ごしやすい所とか。植民地時代、多くの英国人が避暑地として使い、日本軍もその本部をここに置いたという。前線から遠く離れた涼しいメイヨーから、インパール作戦を指揮した日本軍の高官たちは、どんな思いで苦戦している日本兵を見ていたのだろうか・・・。 
   (11月18日 記)
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