鳳来寺  日記
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鳳来寺・本堂

日時:11月22日〜24日
経路:
 第一日目:千葉〜豊橋〜(飯田線)〜本長篠〜鳳来寺〜本長篠〜名古屋 (2泊)
 第二日目:午前中は骨休め、午後、名古屋在住のI先輩と囲碁対局 夕方名古屋支店OB会
 第三日目:名古屋〜東京(長崎支店OB会)〜千葉
   
内容:人生のエンデイングの仕上げに、と言うほど大袈裟ではないが、名古屋と東京で開催された会社のOB会に行ってきました。(東京は長崎支店の集まり)
名古屋までは、ジパング倶楽部を使っていきますので、東海道新幹線は「ひかり」または「こだま」の限定となります。浜松に停まるヒカリですので、ついでに、今大河ドラマで放送されている、「女城主直虎」の舞台にもなった鳳来寺に行ってきました。
名古屋勤務時に、「仏法僧」で有名なこの寺に行きたかったのですが、機会がなく、今回名古屋に行くついでに、豊橋で、飯田線に乗り換え、鳳来寺の最寄り駅の本長篠まで行きました。
本長篠駅では鳳来寺に行くバスの乗り換え時間が7分あったのですが、途中駅でICカードを使えない客がいたため、清算の手続きでもたついて、7分遅れて本長篠駅ついてしまい、バスは出た後でした。
時刻表を見ると(実は見間違って)バスは2時間後にしかない(実は同じ方面行きで1時間後に運行されている)のを見て、事前に調べてあった駅から鳳来寺まで歩くことにしました。幸い、雨も上がって、傘は必要ありませんでしたが、日頃、ウォーキングで歩いていても6KMは遠かった。それもそのはず、鳳来寺入り口までずうっと登り路。約1時間でたどり着いた時にはすっかり汗をかいてしまいました。途中、観光客を乗せた4〜5台の大型バスに抜かれていきました。
鳳来寺の境内入り口に行く間では、ハイキングスタイルの大勢の高齢者とすれ違いました。境内までの街並みは門前町をなし、宿坊もたくさんあり、それなりに風情のあるところでした。
バス停から歩くこと10分。境内の案内板に、「本堂まで登り60分、下り45分」とあり、一瞬登るのをためらいましたが、本長篠からでさえ1時間以上もかけてやっとここまで来たのだから、何としてでも本堂に辿りつきたいと思い、歩き始めました。道はすべて石の階段、しかも、高度を上げるに従い、急な登りになります。バクバクの心臓に頑張れと声を掛け、約30分で本堂に到着しました。
そこは深山幽谷と思いきや、自動車道が、本堂傍まで通じているらしく、多くの「ハイヒーラー」が来ていました。勿論、石段を降りる人はなく、再び登ってきた石段を降りました。急なところでは「斜滑降」で降りるしかなく、側壁の石垣を伝いながら、恐る恐る降りました。そして、約20分で何とか、元の入り口にたどり着きましたが、一張羅の革靴はすっかり傷つき、下着は汗ぐっしょり。15:35のバスにちょうど間に合って、本長篠まで乗ることができました。

本長篠から鳳来寺まで、井伊家の人たちが歩いたであろう道を、今回同じように歩いて、少しでも往時を偲ぶことができました。   (11月26日記)

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石段の途中の「仁王門」

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鳳来寺本堂からの新城市方面
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2017/11/19

ミャンマーの旅・エピローグ  旅行
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インレー湖は超高速のボートで渡った

1.レッド・マウンテン(ワイン)
インレー湖は海抜約1000Mの地点にある大きな湖である。周りは500メートルほどの高さの山に囲まれている。熱帯とはいえ、この高さになると夕方は肌寒く、長そでが必要なくらいであった。夕日の美しさに加え、明け方、周辺の山に霧がかかっているのには驚いた。まるで、箱根みたいだとガイド氏に言ったら、日本に5〜6年留学していたという彼は、相槌を打ってくれた。
寒暖差の大きいこの地には、上等のワインが取れるというガイド氏のお勧めで、ホテルの夕食に1本UDS20 のボトルをオーダーした。それまで、ミャンマービールしか飲んでなかった、酒飲みメンバーの6人(うち女性4名)で、一本を六分割して乾杯した。ワインの味は濃く、マイルドな舌触りで、日本のホテルで飲んだら、5〜6千円はするのではないかと思われる上物であった。一本買って帰ろうかと思ったが、割れ物で荷物にもなるので、ヘイホー空港で買おうと思ったが、空港では売っていなかった。インレー湖周辺のレアなワインを買ってこれなかったことが心残りである。

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ホテルからの夕日

2.英植民地だったのに車は右側通行
ミャンマーは元、英国の植民地であるが、英国が残していった都市はロータリーがあったり、公園かと思わせる多くの樹木の間に、ヤンゴン大学とか立派なレンガ造りの家とか、往時をしのぶことができる施設がいっぱいであった。ベースのインフラがしっかりしていることは、これからのミャンマーの発展に寄与することだろう。ヤンゴン市内の中心部は軍政の強硬な政策で、バイクと東南アジアにはどこにでもある、トウクトウクのような乗り物の乗り入れを禁止していて、交通手段はタクシーとYBS(ヤンゴン・バス・システム)と呼ぶ公共バスのみであった。道路はなぜか「右側」(英国だったら左では?)通行で、沢山の「右ハンドル」の日本車が走りまわっていて、そのほとんどは、進出の一番早かったトヨタ車であった。
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ヤンゴン市内 緑一杯の住宅地

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蓮の茎から取った繊維

3.蓮の繊維
日本でもテレビで紹介されたという、インレー湖特産の「蓮の糸」の工房を見学した。この糸で織る着物は「超高い」ので、代わりに綿だけで織ったシャン族の民族衣装のズボン(ロンジー)を買った。綿に混ぜる絹は、お蚕さんを殺すことで糸を得るので、仏教信仰の強いミャンマーでは、全て輸入に頼っているとのこと。ミャンマーらしい仕来りに心を動かされた。

4.シャン高原

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カックー遺跡で会ったシャン族の若夫婦

いつか、ミャンマーを再び訪ねることがあったら、シャン高原に是非行ってみたいと思う。なかでも、マンダレーの近くビルマ方面軍の本部があったメイヨーは標高1100Mほどで、インレー湖と同様大変過ごしやすい所とか。植民地時代、多くの英国人が避暑地として使い、日本軍もその本部をここに置いたという。前線から遠く離れた涼しいメイヨーから、インパール作戦を指揮した日本軍の高官たちは、どんな思いで苦戦している日本兵を見ていたのだろうか・・・。 
   (11月18日 記)
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2017/11/18

ミャンマーの旅  旅行
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バガンの風景(パゴダ群)

ミャンマー旅行

日時:10月30日(火)〜11月6日(月) 5泊7日

旅行社:JTB(旅物語)  現地ガイド:ミンさん

ルート:成田〜ヤンゴン〜バガン〜インレー湖〜カックー遺跡〜ヤンゴン〜成田

第一日:成田(11:00)〜ヤンゴン(16:30)  宿:Grand United Hotel Ahlone

第二日:ヤンゴン〜チャテイ―ヨ(ゴールデンロック)〜バゴー〜ヤンゴン

 バゴー:チャイプーン四面仏像、シュエターリャウン寝釈迦仏  宿:Grand United Hotel Aholone

第三日:ヤンゴン7:30〜(Air KBZ)〜ニャンウー8:45〜バガン

 バガン:ニャンウー市場、テイ―ローミンパゴダ、アーナンダー寺院、タビニュ寺院、漆工房、
     シユエンジーゴンパゴダ(ライトアップ)〜バガン伝統芸能(操り人形)と夕食
     (サンセット・ガーデン・ニュー・バガン)      宿:Floral Breeze Hotel

第四日:バガン9:30〜(Air KBZ)〜ヘイホー10:20〜(バス)〜ニャウンシュエ(インレー湖) 〜(ボート)〜ナンパン(インジンゴン村)
 インレー湖:ファウンドーウーパゴダ、ガベー僧院、織物工房
                             宿:Inle Garden  Hotel

第五日:ホテル9:30〜カックー遺跡11:00〜ホテル14:30  宿:Inle Garden Hotel

第六日:ホテル〜(バス)〜ニャウンシュエ〜シュエナウン〜ヘイホー空港
    ヘイホー10:10〜(ミャンマー・ナショナル・エアーライン)〜ヤンゴン11:30

 ヤンゴン:ボージョーアウンサンマーケット、シュエダゴンパゴダ
    ホテルで休息後空港近くのタイ料理レストランで夕食〜ヤンゴン空港22:10発

第七日:成田空港着6:45

ミャンマーを表す言葉(キーワード)を選ぶとすればそれは、「パゴダ」「金」「軍政とアウンサンスーチー」そして広大なる国土(日本の1.8倍)を流れる「エーヤワーデイー川」であろうか。
今回、ミャンマー(ビルマ)を旅先に選んだ理由は、映画「ビルマの竪琴」やあの「インパール作戦」の悲劇であるが、正直言って、ミャンマーについては、ほとんど知らなかったと言っていい。
ミャンマーから帰った今、胸の中に、どすーんと宿題をもらったような気がする。私が生きている限り、ミャンマーはずうっと見守らなければならない国になった。



「パゴダ」
言うまでもなく、ミャンマーは仏教国。敬虔な信者たちをいたるところで見かけた。我がガイド氏も、寺の本院に着くと暫し許しを請うて、仏前にお祈りをしていた。

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バガンの「アーナンダー寺院」

なかには、大変ユニークな「カックー遺跡」のパゴダ群もあり、旅行者を引き付けて止まなかった。
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「カックー遺跡」はインレー湖の近くにある

「金」

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「チャイテイーヨー・パヤー(ゴールデンロック)」(バゴー)

金の好きな国民は中国と思っていたが、ミャンマーも負けないくらい。ただし、中国が財産として個人が金塊を所有するのに対し、ミャンマーでは仏様に捧げるもの。人々はひたすら金箔を買って、こんな大岩にも金箔を貼る。この違いは何?信仰心の篤い「ビルマ人」に幸いあれと祈らずにはいられない。
勿論、人々は仏様の体や寺院にも金箔を貼る。お陰で、いたるところの仏様は原型を留めず丸い塊となっている。

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シュエダゴオンパゴダ(ヤンゴン)

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ファウンドーウーパゴダ(インレー湖)の仏様は見る影もない


「軍政とアウンサンスーチー」
長く軍事独裁の政権を維持していた特権階級と庶民の経済格差は民主化した今も変わらず、軍の関係者が富を独り占めしているとのこと。経済活動も元軍人たちがうまく、自らに取り込み、利益をむさぼっているという。国の基幹産業となる、観光事業しかり、都市開発しかり。一人、民主化に取り組んでいるアウンサンスーチーさんがいなくなった後の揺り戻しが少ないことを祈るのみ。

「エーヤワディー川」
インドシナ半島の三大河川(メコン・メナム・エーヤワディー)の一つのこの川は、私たちは地図帳では「イラワジ川」と習った。中国国境の高地から発するこの川は、ミャンマーに豊かな穀倉地帯を生み出しているが、その治水はまだまだで、肥沃な大地という宝の持ち腐れとなっている。支流のチンドウイン川で亡くなったインパール作戦の犠牲者にも思いをはせる、鎮魂の旅となった。(11月8日 記)
                       
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広大な川幅の「エーヤワディー川」(バガンにて)
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2017/11/18

鳴子温泉と禿岳  登山
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禿岳からの鳥海山

日時:10月24日〜25日

メンバー:MAC関東OB会(「おじいさんの会」)6人

行程:第一日目:東京〜古川〜鳴子狭〜鳴子温泉(泊)

   第二日目:鳴子温泉〜花立峠(790M)〜禿岳(小鏑山1262M)〜花立峠〜鬼首温泉〜

        古川〜東京

内容:
第一日目:東北新幹線古川駅は初めての下車であった。仙台在住のM先輩と合流して、まず鳴子峡に向かう。紅葉シーズンということで、多くの観光客で賑わっていた。時間的にも西日が差して、絶好の紅葉狩りができた。

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鳴子峡の紅葉はトップシーズン

第二日目:
旅館の朝食をばっちり食べて、8時に出発。途中、荒尾湖ダムの傍を通って、鬼首温泉の手前で左に曲がり、花立峠に向かう。天気は曇りであったが、見晴らしは良い。峠から尾根道をたどるコースで危険な個所は少なかったが、なにしろ老いの身、急坂には苦しんだ。峠からコースタイムどおり約2時間で山頂に。山頂からは鳥海山、月山、大朝日 の日本百名山が見えた。もう少し天気が良ければ、これらに、西吾妻、蔵王の百名山が望めるところであったが、雲に阻まれて見えなかった。帰りは鬼首温泉に立ち寄り、露天風呂を楽しんだ。

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禿岳からの月山(すっかり雪化粧)

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禿岳からの大朝日連峰(左方向)

古川(宮城県)は「ササニシキ」発生の地、広い田園は豊かさの象徴でもある。芭蕉が平泉から戻り、ここから鳴子温泉を抜けて最上(山形県)を目指したスタート点。
「蚤虱 馬の尿(バリ)する 枕もと」
「尿前の関」を抜けて山形(出羽の国)に入った芭蕉たちは、最上川を下り、更に、羽黒山を目指す。気の遠くなるような、奥の細道の旅である。

今回も自然の美しさと古をたどる素晴らしい山旅となった。      (10月29日 記)
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2017/10/10

雨季のアンコールワット  日記
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天空の城・ラピタのモデルと言われるベンメリアの遺跡

日時:9月30日〜10月4日(3泊5日)
ルート:成田〜ANA〜プノンペン〜カンボジアアンコールAIR〜シェムリアップ

旅の目的は妻が支援をしている、ラタナさんに会うことと、できれば、昨年まで支援していた、ウッチー君に会うこと。ANAがプノンペンまで直行便を飛ばすということで、気分的にも楽だし、何よりも昨年の訪問で知り合った日本語を話せるガイドのボンタオン君と日本語でメールで連絡が取れるようになったことが、一歩踏み出す良い理由となった。チケットは妻がSNSで見つけたJTBの格安ツアー、すなわち、Hotel & Air のWEB予約ツアーで、一人約7万円。添乗員は付かず、現地(シェムリアップ)での空港送り迎えのみ。プノンペンでの国際線から国内線(またその逆)は自分たちでやらなければならないが、何度もカンボジアに行っている妻にとっては、不安はほとんどなさそうであった。

第一日目:10月1日(日曜日)
 ミサが済んだ教会で会う約束通り、仲介役のSr.ポーンチップ とラタナさんに感激の再会をする。ラタナさんに日本からのお土産を渡したところ、彼女の母親からということで、クロマー(カンボジアの手ぬぐい)と手作りの袋をいただいた。教会のテラスではトテット神父も入れて、しばらく歓談した。一方、教会で会えたらと、face book で連絡していたウッチー君はついに現れず、Sr.ポーンチップにお願いして、同君の友人から宿泊先を連絡してもらうことにした。
教会のあとは、近くの博物館見学し、そのあと、以前ウッチーが働いていたという、「ラッフルズホテル」のレストランでカレーの昼食をとった。シェムリアップでNo.1 のラッフルズホテル(グランドホテル)の中は素晴らしかった。中庭も見たいという妻の願望は封鎖して、外に出たが、庶民は自由に徘徊できるような雰囲気ではなかった。ホテルでは数人の日本人を見かけたが、妻によると宿泊客ではなく、2000円の「アフタヌーン Tea Party」の客だという。一泊7万円以上とガイド氏がいう如く、ラッフルズホテルはここでは別格のホテルのようだった。

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クーレン山(プノン・クーレン)の涅槃仏

第二日目:10月2日(月曜日)
 約束の7時半に宿泊しているアンコールホテルのロビーでガイドのボンタオンが待っていてくれた。一年ぶりだったが、しっかり顔を覚えてくれていた。専用のタクシー(実はライトバン)で走ること約2時間、今回第一の観光目的地「クーレン山」に着く。400Mの山だが、山頂の寺院まで、道路が1本しかなく、午前中は登りの車だけ通し、12時からは下りの車だけだ通行可能という。従って、12時までは山上の遺跡巡りで時間を費やすしかない。シェムリアップに流れる川の源流ということで、多くの神々が川の流れの中の岩に刻まれているそうだが、雨季の増水の為全く見えなかった、代わりに、少し下流の滝は「ナイアガラ」よろしく、大瀑布となっていた。

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「カンボジア・ナイアガラ滝」

クレーン山を下りあと、雨季のトンレサップ湖の水上生活者の家を見ようと、コンポン・プルックを訪ねた。昨年訪れた時、トンレサップ湖は、水位が随分低かったが、今回は、雨季の末期で増水し始めているとのことであった。
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夕方、ホテルに着くと、ウッチー君からの伝言が入っていた。電話番号が書いてあったので、ガイドに携帯を借りて、カンボジア語で通訳をしてもらい、ホテルに来てもらった。彼は今やシェムリアップから15KMほど西のレストランで働いているという。雨の降る中、バイクでわざわざ駆けつけてくれ、感激の再会となった。ガイド氏に紹介されたホテル近くのレストランで食事をしながらの歓談。英語がうまくなったウッチーの言葉についていけず、話半分しか、理解できなかったが、3カ月ほど前に今の職場に変ったこと、その理由は、シェムリアップの生活費が高く、新人の給料ではやっていけなくなったことのようだった。ウッチーはその夜、シェムリアップの友人宅に泊めてもらい、翌朝早く、そこから出勤するという。何ともうれしいウッチーの歓迎ぶりであった。

第三日目:10月3日(火曜日)
3日間の予定はあっという間に過ぎ、最終日は、ホテル出発の午後4時まで、自由時間。従い、午前中はちょっと郊外に行き、昼までに市内に戻って、市内の寺巡りをした。
市内から約50KMにある「ベンメリア」は懐かしい寺。私たちが2008年、初めてカンボジアに来た時、どういうわけか勧められて訪れた一つがこのベンメリアであった。当時、内戦の名残がまだ強く、ガイド氏からはポルポトの残党が山賊となって、観光客を襲うことが頻発しているといわれたことを思い出す。ゲリラ出没地区は車を猛スピードで突っ切った。当時、遺跡は全く手つかずで、散乱する石をよじ登ったが、今や、ベンメリアはアンコールワットに次ぐ人気スポットということで、多くの客が訪れていた。石歩きも全くなく、木製の橋が遺跡の中に張り巡らされていて、観光客はそこから崩壊した遺跡を見ることできた。以前見れなかった、高所からの光景は、ベンメリアをまた、新たな魅力ある遺跡にしたようだ。

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ベンメリア


「天空の 破壊の城や ベンメリア」      (10月7日 記)



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2017/9/25

季節の変わり目  日記
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鯉太郎が初めて立ちました

9月は忙しい。
旅行から帰って、18日は自治会主催の「敬老会」に招かれた。70歳以上を招待する会には、18名の参加があり、当然私が最年少。今年から参加の新参者に、御礼の挨拶の番が回ってきたが、しこたま飲んで酔っ払ってしまったので、考えていたことの半分も言えなかった。尤も、宴の終わりで誰も聞いていないが。
23日は鯉太郎が両親と訪ねてくれた。昼食を取りに、南房総に行っている両親に代わって子守をする。時を同じくして長女夫婦も訪ねてくれ、久しぶりに賑やかな時間を過ごした。

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家のプルメリアが3年ぶりに咲いた。ここ数年、蕾は付くが開こうとすると、落花していたが、久しぶりの開花となった。この木は十数年前にハワイから買ってきた枝を挿し木したものだが、この花を見ると、また、ハワイに行きたくなった。そういえば、今年からJALがハワイ島コナへの直行便を開設したという。ハワイは何度行ってもいいところだ。
ところで、プルメリアの花言葉を調べてみたら次の通り。「気品」「恵まれた人」「日だまり」「内気な人」

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インド舞踊は民族衣装も派手やかで、動きもセクシー

今年も「インドフェスタ」が開催されるということで、9月24日、代々木公園に出かけた。お目当ての「ラダック」のブースでは、「山高」さんに会うことができ、ラダックの最新情報を聞くことができた。インド観光庁も北部インドの宣伝に力を入れているようで、レーだけでなく、シッキム地方の紹介もしていた。かつて、エベレスト遊覧飛行で遥か彼方に見た「カンチエンジュンガ(8586M・世界第三位)」を間近で見るため、いつかダージリンに行ければいいなーと思う。                    (9月25日 記)
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2017/9/24

片山津温泉・ゴルフ  日記
日時:9月12日〜15日

行程:
第一日目:西船橋〜中央道〜松本〜高山〜(東海北陸自動車道)〜金沢(泊)

第二日目:金沢〜片山津ゴルフ場〜北稜(泊)  ラウンド:加賀コース

第三日目:ラウンド:日本海コース コース〜片山津温泉・「湖畔の宿森本」(泊)

第四日目:片山津温泉〜(北陸自動車道)〜富山IC〜(R41)〜神岡〜(R471)〜平湯〜   
     松本〜中央道〜西船橋

内容:まず、往復約900KM、約18時間の全行程を二人で運転をしてくれた、車オーナーのSO君、および首都高の大渋滞をうまく切り抜けてくれた、KO君の二人に感謝したい。
行程中、高山から東海北陸自動車道と、富山から神岡を経由して平湯に抜けるコースは、人生で初めてのドライブであった。
今年の、山仲間のゴルフ会は35周年記念大会ということで、幹事さんが大奮闘してくれ、憧れの片山津ゴルフ場で、二日続けてのプレイとなった。ゴルフの成績は、大事にキープしていた高ハンディキャップを頼りに上位入賞を狙ったにも拘わらず、不満の残るものであった。しかし、二日間とも好天に恵まれ、良い思い出になった。
二日目には、大学卒業以来、47年も会っていなかった、小松市に住むS君と宿の「北稜」で会うことができた。お互い、40年近くの人生をざっくばらんに話すことができ、学生時代にタイムスリップしたような気分になった。
ゴルフ場は小松基地のすぐ傍で、ジェット機の発着陸の爆音に悩まされたが、さすがに北陸の名門コースで、手ごわかった。
宿のある片山津温泉郷は、灌水湖の出口に水門を付けて、淡水湖にした柴山潟のほとりにあった。近くには、木曽義仲と平家の古戦場(「首洗い池」・「実盛塚」)や、柴山潟の「主」だあった龍をいさめた弁天様の鎮座する「浮御堂」があるなど由緒あるところであった。湖面では、冬になると訪れる、白鳥を模った大きな噴水も、定期的に噴き上げていた。遠くに白山が見れるはずだが、建物の向きの加減で、ホテルからは見れなかったが、帰途、北陸自動車道の車窓から、ちらりと見えた。なにしろ、白山は年に40日しか片山津からは見れないとの、地元の人の話であった。
帰途立ち寄った、神岡ではあの「カミオカンデ」の駅の道があって、施設の展示などしていたが、実際の場所は地中深く、一般の人は近づくこともできないとは、店の人の話であった。三井鉱山のトンネルを利用したこの施設は、一般の我らには想像を絶するものである。(9月24日記)
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2017/9/24

石清水八幡宮  日記
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石清水八幡宮は雨

日時:9月7日〜9日

行先:第一日目:関空〜八幡〜男山(石清水八幡宮)〜十三(泊)

   第二日目:十三〜逆瀬川(宝塚ゴルフクラブ・旧コース)〜阪急茨木市〜十三(泊)

   第三日目:十三〜梅田(阪急インターコンチネンタル大阪)〜関空

内容:

大阪は私の入社初勤務の場所である。毎年大阪OB会の案内が来ていたが、山のOBゴルフ会と重なり、大阪の方をパスしてきたが、今年はうまくずれたので、翌日の昼食会と合わせて、出席した。
今年、会社関係の方々への、年賀状・断捨離をしたので、その挨拶も兼ねていた。
往復のLCCが関空発着ということで、初めて関空に行った。海上空港は成田に比べ広々としており、なんだか、作りがタイの空港に似ていた。
第一日目はホテルに入るまで時間があったので、先日テレビで見た「京阪電車特集」に触発され、「石清水八幡宮」を訪ねることにした。大阪勤務時代、京阪を使って、何度か京都や宇治に遊びに行ったが、京都の途中に、歴史もある八幡宮があるとは、その、テレビ番組を見て初めて知った。
京阪京橋からの途中、守口や門真それに樟葉など懐かしい駅を通ったが、昔の印象に比べ街並みが随分大きく感じられたが、それもそのはず、もう40年以上も過ぎている。
石清水八幡宮のある、男山には、八幡市駅から、ケーブルカーが山頂まで運んでくれた。季節外れの雨模様ゆえ、訪れている客はまばらであった。山頂の展望台に行って驚いたことには、この場所が、京都を望む絶好の場所にあることだった。眼下には、京を潤す三大河川、木津川、宇治川、桂川が中州を作り、目の前には、大山崎の山並みや京都市の南部が見える。遠くに京都タワーや比叡山も見えるはずだが、雨に霞んでいる。こんなにすごい要衝に位置して、この神社はどんな歴史を見てきたのだろうと、思わずにはいられなかった。秀吉に敗れた光秀は、どんな思いで、この山を見上げたのだろうとも、思う。テレビ番組を見ていなかったら一生知らなかった場所の発見に、今回の旅の最大収穫となった。

「秋雨に 比叡も霞む 男山」 (9月22日記)


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2017/9/23

カープVSジャイアンツ  日記
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一塁側二階席14列129番よりの眺め

日時:8月30日
場所:東京ドーム

「カープ女子」になった妻と野球観戦に行きました。妻が生協から手に入れたシルバー切符?です。
鯉太郎から借りた「丸くん」のユニフォームを振って応援しましたが、結果は6対4で負ました。敗因は二回相手ピッチャーの宮國にヒットを打たれたことに尽きますが、随所に細かいミスがあったように思えます。一回の攻撃で、大量点のチャンスにも拘わらず、1点しか入らなかったことも、試合の流れを決定づけました。攻撃面では、鈴木選手の欠場を、松山らでカバーしているように見えますが、やはり、鈴木の負傷(全治3か月とか)欠場の穴は大きく感じました。ただ、今日の収穫は、丸くんの3安打とセンター大飛球キャッチのファインプレー、それに、新井のツーベース適時打を見ることができたことです。大瀬良投手の粘り強い投球も、今後の試合に期待できそうでした。何より、多くのおばさんたちが大瀬良のユニフォームを着て闊歩していました。大瀬良って女性に人気なんだなーと改めて感心しました。       (9月1日 記)
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2017/8/29

月山  登山
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羽黒山・三神(月山・湯殿山・羽黒山)合祭殿(本殿)

日時:8月25日(金)〜27日(日)

天気:曇り、風強し

宿泊:第一日目「休暇村羽黒」 第二日目「羽黒山斎館」

百名山である月山には、2009年9月19日に姥沢登山口から登ったが、今回は妻の希望もあり、月山の表口からアプローチした。実は今を去ること約30年前、フランス人と結婚した妻の友人家族と我が家の総勢9名で今回と同じ表口からトライしたが、風雨の為、8合目の登山口で引き返したことがあった。その時は羽黒山の石段を登り、途中国宝の五重塔を見て、羽黒山の斎館に泊まった。今回は第一日目を「休暇村羽黒」に宿を取り、二日目に斉館に泊まった。

第一日目:くもり
 千葉〜東京〜新潟〜鶴岡〜休暇村
電車バスの乗り継ぎで、8時に千葉出発、羽黒山には15時に到着。前日の大雨で、日本海に注いだ濁流の為、海岸近くは黄色く濁っていた。鶴岡からは月山も雲の中で見えず。この前来た時の石段をパスしたので、バスはあっけなく羽黒山の中腹にある休暇村羽黒に到着した。

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月山中腹・無量坂付近からの「弥陀が原湿原」

第二日目:くもり・風強し
休暇村発8:10の月山8合目行きにのバスに乗って、約1時間、登山口のレストハウスに着いた。レストハウスでは荷物を無料で預かってくれたので、リュックもずいぶん軽くなった。
出発は9時10分。登山道は木道から始まったが、弥陀ヶ原を過ぎたあたりから、石ころ道となった。坂そのものが緩いため疲れは感じなかったが、さすが月山、長い坂道に苦闘する。途中、一の岳と二の岳の間(通称畳石)が、風の通り道となっていて、強風で前に進めない。かつて、岩手山山頂付近で遭遇した風ほどではなかったが、慣れない妻は道に座り込んでしまったので、救助に道を引き返し、二人で連なってやっと難所を切り抜けた。
九合目の「仏生池小屋」に着いたのが、11時。登山口から(観光用)コースタイム通り約2時がたっていた。一般の登山ガイドでは、登山口から9合目まで1時間となっているので、苦労の程が証明された。強風にあった妻は恐れをなし、先に進むのをあきらめて、一旦下りかけたが、未練心で、引き返し、小屋を通り越して、山頂を目指した。しかし、10分ほど歩いたところで、風も強くなり、山頂付近は雲に覆われていたので、最終的に登るのをあきらめ小屋に沈。500円の味噌汁をたのんで昼食とした。
12時、小屋を出発、再び、風の通り道で、強風に会い、ちょっと油断したすきに、妻は転んでしまった。しかし、けがはなく、長いだらだら坂を下り、弥陀ヶ原湿原を周遊して、レストハウスに着いたのが2時半。バスの出発時刻の4時まで、レストハウスでビールを飲みながら、時間をつぶした。

第3日目

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羽黒山にある「斎館」

30年前、二家族10人(4+6)が泊まった時には、50畳もあるかと思われる、大広間に10メートルほどの距離を置いて、家族が固まって寝たが、今回は、茶室を兼ねた「香覧亭」の個室であった。前夜の夕食の際、亭主が7時からある羽黒山神社本殿の祭事に出ることを勧めてくれたので、羽黒山の境内を見物したあと、斎館から直接繋がる渡り廊下を伝って本殿に行った。本殿では斎館に泊まった客以外にも、2〜3名が一緒に鎮座して、ありがたい神主さんの祝詞を受けた。その間約30分。正座した足は不思議にもしびれが来ず、神主から受けた、数珠のお祓いもあり、快適な朝の修行となった。これまで、祝詞は何度も受けたが、数珠のお祓い(頭をなでる)は生涯初めてであった。きっと、何か良いご利益がありそうな予感がする、パワースポットの一泊であった。

羽黒山からの帰りのバスから、晴れ渡った月山が見えた。そして、頭を返すと、山腹に未だ雪を残す鳥海山がくっきりと聳えていた。
今回、登頂はならなかったが、ゆっくりした山旅そして休暇村の美味しい料理と羽黒山の精進料理、三山本殿での数奇な体験などで、充実した時間を過ごすことができた。(8月29日 記)

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